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第Ⅳ部 借金大国 日本の終焉(最終章)

私は、政治や経済の専門家ではありません。

 

そんな私がホームページを立ち上げ、その中で今回、借金大国、日本についての提言をしようとしたのは、もう私たちにとって時間がないからです。

 

裏返せば、今が最後のチャンスだと思っています。今ならなんとか間に合うと思うからです。

ただし、私たち国民皆が相当の痛みを我慢しなければなりません。

 

現在、政治家を信用している人はほぼいないと思われますが、その一方で、世の中には政治、経済の専門家がおり、大企業の経営者、投資家がいるのだから何か日本経済がひっくり返るようなことがあればニュースにでもなるだろうと思っておられる方が大多数だと思います。

 

ただ、私はある日気づいたのです。こんな借金大国がどう考えてももつわけはないと。

 

しかし、テレビなどの世の中の情報は、二人の馬鹿な大臣なのか犯罪者なのかわからないような人間の辞任などの脳天気な、くだらないレベルのニュースばかりです。

 

気づいている人はいるのですが、多くの国民は本当の意味では知ってはいない。

 

ニュースで取り上げない以上、はっきり言って財政史など今まで個人的にはまったく興味はなかったのですが、これからの国の在り方を考える上で避けて通れず、自分の目で日本の現代の財政史を振り返って過去の事象を客観的に分析して自分なりの結論を出すことにしたのです。

 

政治家、官僚含めた他人の分析はこういう場合あてにはならないし、あてにしてはいけないのです。

 

当然ながら安倍首相、黒田日銀総裁、多くの上級と呼ばれている官僚は知っています。

日本国財政が現実的に、破綻していることを。

 

10月20日だったか安倍首相が世論調査で消費税増税反対が70~80%だったことに関して、上げないリスクを考慮して検討するような発言の記事が出ていたがリスクという表現を皆さんはどう感じたかもしれないが、私は日本が本当に危ないのだなと直感しました。

 

今の日本の政治、財政状況はいろんな意味で第Ⅱ部の中で取り上げましたが第二次世界大戦末期の社会情勢に似ていると思っています。

 

一見、自由があって全く違うよと笑われる方が多いと思いますが私には本質的な部分が似ていると思えてならない。皆さん、実際に自由があることと、自由があるように見えていることとは全く違うことなのです。

 

実際、累積の国債残高はGDPの二倍を超えてきているのに、それでも財政的に何も問題がないかのような社会の雰囲気

 

そして、アベノミクスや日銀による異次元緩和金融政策などの多少の延命効果しかない財政、金融政策をさも根本的な解決につながるかのように、錯覚させられている私たち国民は、ちょうど大本営発表に騙され続けた当時の国民と重なっている。

 

折しも、他の提言でも反対し、現在広島地裁民事部にその執行停止を訴えている特定秘密保護法案が12月に施行されようとしています。

 

これはおそらく、日本のこれからの財政破たん後のことも見据えていると思われます。

現実的に破綻が生じれば軟着陸を試みるとは思いますが、かなり日本経済、国民生活が混乱することが予想され、国民への情報管理を徹底したいことの付箋だと思っています。

 

それではなぜ破綻しているのか見てゆきましょう。

 

1999年 セロ金利政策(景気回復のため)

2001年 QE(量的金融緩和)の開始(日銀の当座預金残高を政策目標に置く)

日銀当座預金残高は5兆円から35兆円まで段階的に引き上げられ、日銀保有長期国債残高も50兆から100兆に積みあがってゆくことになる。

しかし、ゼロ金利政策、QEによるマネタリーベースの拡大もデフレ脱却に至らなかった。

2006年 CPI(消費者物価指数)が前年比0%以上の安定期に入ったとしてQE解除、無担保コールレートの引き上げ

2008年 日銀保有長期国債残高100兆円から63兆円へ減少

リーマンショック

日銀は無担保コートレートを0.5%から0.3%に引き下げる。

補完当座預金制度(日銀当座預金の所要準備金を超える部分につき0.1%の利息を付ける。)

2009年 長期国債買入れ額を年額21.6兆円ベースに引き上げると同時にオペレーション対象となる国債の種類を拡げたり、金融商品を日銀が直接購入する政策も行う。

2010年 包括的金融緩和政策の導入

1.無担保コールレートの引き下げで0~0.001%へ誘導

2.物価安定までのゼロ金利政策の持続(時間軸効果)

3.APP(資産買入れ等の基金)を日銀のバランスシート上に創設

国債などの金融資産買入れのための基金だが上限枠が徐々に引き上げられ101兆円まで増枠されたり、日本銀行券発行ルール(日銀の長期国債保有を銀行券発行残高量までとする内規)が適用されない問題点があった。

 

結果として日銀の国債保有額は増大し、リーマンショックにより金融機関がリスク債券からの逃避資金を長期国債に流れ込ませたこともあって長期金利は低下する。

 

2012年 第二次安倍内閣発足(自民党の政権への返り咲き)

1ドル77円

2013年4月4日 黒田日銀総裁が量的、質的金融緩和政策の導入の発表

マネタリーベース(市中通貨量)135兆円になる  年60~70兆円の拡大計画

5月 1ドル103円

2014年3月 マネタリーベース209兆円になる

 

2013年に導入された量的、質的金融緩和政策とそれまでの量的金融緩和政策との違いを見てみましょう。

1.それまでの金融政策の特徴

1.市場に金利政策という規律を失わせないように模索していた。

APPに関しても当初は長期国債の買入れは極力避けていた。

補完当座預金制度についても金利のつかない超過準備が多額に積み増されると、その資金がオーバーナイト市場に大量に流出する可能性があり結果としてオーバーナイト金利が政策金利を下回り名目金利0という短期金融市場の崩壊に直結する可能性があり、補完当座預金制度で超過準備に0.1%の金利を付けることでオーバーナイト金利が0.1%を下回ると、その資金が金利裁定行動により日銀当座預金に還流することを利用してオーバーナイト金利を0.1%以上に保とうとした。

2.金融システム安定のための政策

日銀が民間金融機関の保有資産を買い取る制度によって金融システムが銀行破綻から機能不全に陥ることがないように意図したものであった。

 

2013年以前の金融政策は単に金融緩和を狙ったものではなくいかに限られた政策を有効に保ちながら市場に対して金利という規律の維持、金融システム不安を顕在化させることなく許容可能な緩和目標を達成するかの試行錯誤の過程だった。

換言すれば、ゼロ金利政策とQEによる顕著な効果が上がらない中で日銀の複合的な政策目標は財政ファイナンス(国債の貨幣化)に陥ることなく、金融システムの安定性と秩序を保つことにあった。

そのためには国債金利を低めつつ、流動性を供給することで金融機関の経営の健全性を確保する必要性があり、これが積極的に金融緩和を推し進める一つの要因となっていた。

 

2.2013年以降、安倍政権の下で行われている量的・質的金融緩和のもつ危険性

 

1)2013年4月4日導入された量的・質的金融緩和の概要

1.消費者物価の前年度比上昇率2%を2年程度で実現する。

 

2.マネタリー・ベース(市中通貨+日銀当座預金通貨)を年間60~70兆円ベースで増加させる。(実際H25/3には135兆円だったマネタリーベースがH26/3には209兆円で74兆円増加しています。ただしこの間、日銀当座預金通貨が47兆円から118兆円と71兆円増加しており、市中へはほとんど流れていない。)

3.買入れ対象国債を全期間の国債として買入れの平均残存期間を3年弱から国債発行残高の平均並みの7年程度に延長する。

4.APPが行ってきた金融資産買入を年間1兆円ベースに増額する。

 

2)それまでの金融政策とは異なった危険性とは

1.日銀券発行ルール停止による長期国債大量購入

単なる内規に過ぎなかったが、日銀にとっては金融政策の規律を求めるもので、それによって日銀はQE、APPの創設を経ても長期国債の引き受けに関しても節度ある姿勢を示すことができたが、

このルールの停止を受け、日銀は無制限かつ無秩序な金融緩和を行うことが可能となり、限度なき日銀の国債の買い支えを可能とし日銀が国債の消化基金に陥る危険性をはらんでいる。

2.国債、財投債の引き受け構造の変化(日銀が唯一の国債の引き受け手への転換)

2006年までは郵便貯金が126.5兆円の国債、財投債を吸収していたが2007~2012年間での増加額は1兆円まで激減した。

これは郵貯が財政投融資預託金の引き出し額のほぼ全額を国債・財投債転換し終えたことが原因だった。(要はもう買えなくなってしまったということ)

したがって郵貯に代わって次に、買い支えたのが国内銀行だった。

2011年までに国内銀行は政府発行の国債、財投債の増加分の60%を引き受けている。

この原因は金融危機が顕在化するなかでリスクの低い安全資産である国債に投資先をシフトさせたことが誘因であった。

日銀の低金利政策、国債購入は預金という負債を貸し出しに用いることができない国内銀行を国債投資に集中、促進させ、かつ金融危機下の民間金融機関に対して安全資産を提供するという意味があった。

一方、日銀から見れば低金利を維持しながら日銀以外の金融機関に国債を安定的に保有させる補完的な役割を担っていた。

財政融資資金預託金の縮小を日本政府が国債、財投債の発行によって賄い、それを民間金融機関が買い支える移行過程を円滑にしていた。

そして結果として日本政府は国債の低利で安定的な発行、借り換えを行うことができていた。

しかし、日銀による2012年末以降の多額の買いオペレーションは、仮に民間金融機関が国債を貨幣化した資金を貸し出しなどで転用できない状態が顕在化し再び国債を購入するスパイラルに陥ると国債の市中消化は形式的なものにとどまり、結果として財政ファイナンスに陥る危険性が高い。

3.インフレターゲットの持つ危険性

量的・質的金融緩和政策導入以前、日銀は明確な物価指数目標を明らかにしてこなかったが2013年初めて対前年比2%以上の物価上昇という目標をあげた。

このことの持つ意味は一つには物価上昇が顕著になるまで日銀が国債を買い支えることを公言したことになってしまい、増税、国債発行の漸減などの財政規律是正の障害になってしまう危険性をはらんでいる。

仮に2%の物価上昇率が達成されるのであれば、長期国債金利も上昇している可能性が高く、累積し、長期化した国債の借り換え、償還に政府財政が耐えれなければ、日銀による財政ファイナンスが拡大してゆくことになる危険性が高い。

 

まとめ)

最後に、私たちが今、しないといけないこと、今しかできないことをお話しして最終章の最後とさせていただきます。

 

日本財政の現代史を振り返ることで、私自身多くのことを学ばさせていただきました。

 

戦後、間もなく焼け野原の日本社会再生のため、ヨーロッパの国々とは違って税金を少なくして、個人でいえば貯蓄、企業でいえば内部留保を増やした。

 

それが可能だったのは高度成長に伴う豊かな財源、まだ残っていた子が自宅で親の世話をする家族制度、企業の終身雇用、まだ少なかった高齢者数であった。

 

高度成長が終わり、増える社会保障費の中、小さな政府を想定した税制度の下では不可能であった財政を支えたのが、国債の発行と、個人、企業の貯蓄を利用した財政投融資だった。

 

国債を発行して財政の穴埋めをする中で自己保身のみの族議員が出現し、公共事業を増やし国民の支持を得るために減税も続ける悪循環の中で財政規律は失われ1975年赤字国債発行となる。

 

第Ⅰのボールであったが国民は財政規律より減税を選びさらに悪化、赤字国債を財政投融資が支える構図が出来上がる。

 

バブルがはじけ日米構造協議などの外圧の中、莫大の不良債権処理もしないで減税、赤字国債頼みの公共事業は膨らんでいった。

 

赤字国債の発行を減らすため本来ならきちんと国は、増税、歳出抑制など財政政策をしなければならなかったが、それはせずに、地方の地方債発行を促すべく巧妙な手段を講じて国の借金を地方に肩代わりさせるというこれでも国家なのかというあくどいこともなされ、国家としての終末期を迎える。

 

1990年台、こうして第Ⅱのボールも打ち返されることはなかった。

 

その後、政権交代しても、政治家、官僚、国民自身が変わることもないまま時間だけは過ぎ去り、残ったのは莫大な借金であった。

 

本来なら財政政策で打開しないといけないところ、結局、政治家、政党の議席を守るため都合の良い、国民受けの悪い、増税や社会保障費削減などの財政政策は避けられてしまい今日に至ってしまっているのです。

 

財政政策が機能しない中、日銀を中心とする金融政策のみが先行して打開しようとしてもこれは本末転倒で、結局無理が来てしまうことはわかっている。

 

現実的に2013年以降の金融政策は私が思うに、政策とは名ばかりで制度的に日銀の国債買い入れの上限枠や種類を撤廃し、その上、国債の償還年数を伸ばしたり、時間軸の面で長期に買入れができるようにしたり、単に日銀が赤字国債の最終的な消化基金になってしまっただけのことである。ただ言えることは適切な財政政策を行わない現状ではこうなることも時間の問題であったことも事実である。

 

安倍政権がいわば首を吊っている人の踏み台を外してくれただけのことだと思う。

 

財政と金融の分離にも関わってくるが、本来なら独立した金融政策で財政の規律が図られるところであるが、現状はこれも現在の金融政策の目的なのであろうが、これだけ日銀が国債を買い入れてもマネタリーベースは増えても日銀当座預金通貨が増えるだけでマネーストックは増えていない。補完通貨制度で日銀当座預金の過剰部分に金利がついているからであろうがそのせいでインフレ、金利上昇を防げている反面、金利上昇に伴う、本来ならば機能すべき財政面での歳出抑制、国債発行抑制が機能していない。

 

こうして赤字国債の増大、日銀での買入れが常態化している。

 

私はこの異常な状態が長く続いていけるわけがないと思います。

 

実際問題、郵貯、民間銀行含めて基本的に国債を買い支えることはできなくなってきており、何とか日銀が買い支え、幸いと言っていいか意図的と言っていいか私には判断がつかないが、微妙に、今のところ日銀当座預金通貨が増えるのみで市中流通通貨量は増えていない状態である。

 

そのためインフレもそれほど生じなければインフレターゲットからすれば際限なく政府は国債を発行し続け、日銀が引き受け続けることが可能である。

 

ただし、その額が大きくなればなるほど円安による輸入価格の上昇など何らかのきっかけで金利上昇などが生じてしまえば、政府、日銀からの圧力などがなければ、日銀当座預金からの市中への通貨量もなし崩し的に一挙に増大して国債金利も上昇し、発行、償還ともに困難な状況になり財政、金融政策とも手だてがなくなってしまうであろう。

 

最終的にはどのみち財政健全化しか方法はないのです。金融政策でごり押ししている状況ですが行き詰りはもうそこまで来ています。

 

結局、現在、金融政策の中で国債の償還も伸ばす作戦をしていますが金利等考えると将来の国民の負担を増大させているだけですべて麻薬と同じ一時しのぎです。

 

麻薬中毒になった国民は立ち上がるのにさらに多くの時間を要してしまうでしょう。

 

経済用語は難しく、財政、金融政策は、巧妙な手口でされているので本当にわかりにくいのです。

 

ただ、はっきりしているのは、最終的に増え続ける国債のつけは国民の預貯金で処理するしかないのです。

 

いわば国債が紙切れになると同時に私も含めた、国民の預貯金がなくなるだけの話です。

 

政府、日銀がこれほどまでにのんびり適当にできているのも幸いにして日本国債の95%程度は国内で持っているいわば国民の預貯金で担保されているからです。

 

よく政府が国民一人あたりの借金が何百万円ありますなどと言っていますが、その通りで最終的には金融封鎖でもして強制的に差し押さえてしまうでしょう。銀行などでの預貯金を1000万円までしか保障しないのもその例の一つです。

 

今、日本政府が一番恐れているのは海外へ国民の預貯金が流出することではないかと私は思います。

 

国内で金融封鎖しても海外へ流れた資産に関しては日本国債との相殺ができないからです。逆に言えば、すでに多くの官僚、企業のトップなどの資産家は海外へ資産を移していると思います。

 

私が第二次世界大戦末期の政治状況に似てるというのもそういう点で、最終的に国家のしりぬぐいをしてお国のためと騙されて死んでゆくのは何も知らされず黙々と国家の方策に従って貯蓄をして慎ましい生活をしている庶民である。

 

今の日本の借金をどうしていけばいいか、このまま黙って破綻が来る時を待つのか

今こそ、国民一人一人、企業で働く一人一人、企業そのもの、すべての人たちが、自分たちが今ある存在理由、何のために生きているのか、誰のために生きるのか

 

もう一度立ち止まって考えてませんか

 

私は思います。

 

私たちが今しないといけないことは

 

私たち一人一人が、身を削って財政再建をしなければならないのです。

 

日本、世界、そして私たち自身のために

 

個の中に全体があると信じて。

 

最後になりましたが、日本財政の現代史を執筆された諸先生方の考え方に共鳴し、多くのことを教えていただき、提言にも取り上げさせていただきました。諸先生方のような方がおられることにほっとすると同時に今後のご活躍をお祈り申し上げてお礼の言葉とさせていただきます。

 

平成26年10月28日  文責 世界のたま            sign

 

 

 

 

 

 

 

 

第Ⅲ部 なぜ日本が借金大国になってしまったのか

第Ⅱ部でも言っているように、あくまでも私見であるが、日本の現代史の中で1975年、1990年に二つのボールが投げられた。

私たちはそれを見逃してしまった。というより多くの人はボールが投げられたことすら気付かなかった。

人の人生でもそうだけれど、いつの時代も人はそれぞれその人なりに一生懸命生きているのだとは思う。

ボールが投げられたことに気付くかどうかは私がこのホームページを立ち上げた理由、主権者諸君へ、世界への提言の中で訴えている個の中に全体を見ることができる生き方をしているのか、

言い換えれば自分以外の他者のことをどこまで考えて生きているのか、ただそれだけのことだと思う。

 

2000年代に入り、小泉自民党政権、民主党政権を経て、今日の安倍自民党政権に至っているが2001年以降の財政政策の在り方のポイントとしては市場主義的な経済政策の是非と、増税を伴うか、伴わないかが焦点となっている。

 

2001年 省庁再編により1府22省庁から1府12省庁となる

小泉政権の発足 内閣支持率80%越え

構造改革による金融正常化

 

小泉政権の強さの要因として竹中氏は選挙制度、政治資金制度改革により下記の要因を挙げている。

  1. 中選挙区から小選挙区、比例代表並立制により主要な政党による政策論争が生じた。(マニフェスト選挙)大選挙区だと同じ党から複数の立候補者が出て政策論争より個人レベルのどぶ板選挙になりやすい。
  2. 首相の地位を維持、獲得する条件として世論の支持が重要になった。大選挙区だと同じ党から複数の立候補者が出て党内で派閥形成しやすくその派閥領袖からの支持の方が大きかった。
  3. 首相の権力が強化された。大選挙区だと派閥領袖が院政的に首相を制約できた。(具体的には候補者の最終的決定権など)
  4. 行政改革で大蔵省の権限のコントロール
  5. 政治過程における参議院議員の地位が大きくなった。それまでは衆議院議員が中心であった。

 

上記のように一見、強さがあり議会の中では小選挙区制度の結果として二大政党に議席が集まったが

実態としては、両党とも社会からの支持を集める中間団体(組合、農協、医師会など)の組織力の弱体化により、候補者依存型の小さな支持基盤の二大政党制であった。

そのため議席を獲得するために特定の支持政党を持たない普通の有権者に対してマニフェストを売り込む選挙至上主義政党が登場した

結果として大連立はもとより、政党間交渉も難航して、政策決定も不可能となり、政策課題は先送りされやすくなった。

 

総合的に判断して一見、支持率も高く強い政権には思えたが、

今、冷静に振り返ってみると、決して強かったわけではなく、小泉氏自身の表面的なパーフォーマンスの良さと上記でも述べた単純化したマニフェストを掲げた選挙至上主義政治、

そして1990年代の閉塞した時代背景の中で自民党をぶっ潰すという言葉に多くの国民がすがっただけなのだろうと思う。

 

構造改革による金融正常化はあったがそれ以外の成果は見当たらず、逆に多くの問題を残してしまった。

  1. 増税に関しては回避した。
  2. 骨太の方針2001で掲げた国債30兆枠も、守れず国債残高も増え続けた。
  3. 歳出削減はあったが内容的には不況に伴う国債金利の低下による恩恵や地方交付税の削減などで根本的な財政政策によるものではない。
  4. 外国為替資金特別会計における多量のドルの積み上げ(評価損リスクを持った埋蔵債務)

2008年 リーマンショック

2009年 民主党による政権交代

2010年 税収依存度50%を切ってしまう。

税収依存度とは予算を税収で何割賄えているかを示す指数であるが、バブル期だったが1989年では90%、リーマンショック時でも60パーセント以上あった。

 

政調会、事務次官会議の廃止、国家戦略室の設置、事業仕分け、子ども手当、

コンクリートから人へ

2011年 東日本大震災

小泉政権と同様に、今、冷静に政権交代が何だったのか振り返ったとき、政権末期においては自民党との差はなくなり、ほとんどの政策の主だったものは、2012年の自民党政権復帰の中で何事もなかったかのようにかつての自民党政権下での政治体制に戻ってしまった。

累積の国債残高は増え続け、無駄な時間だけが過ぎてしまった感がある。

その理由として、私は大きく二つあるのではないかと思う。

一つは民主党が上記でも述べた寄せ集めの政党であったこと。

そしてもう一つは、強い政権の意志がなかったからだと思う。

リーマンショックや東日本大震災などがあり、政権運営は困難を極めたことは事実であったが、本質的には政権を取るための政権だったとしか思えない。

政権という手段を目的化してしまった典型例だったと思う。

ただ、一つ良かったことは政権交代や、二大政党制など政治体制が変わったところで、国会議員、国民自体が変わらなければ何も変わらないということを彼らは教えてくれた。

 

この時代を振り返って2009年の政権交代が一見、1975年、1990年に続いて3つ目のボールが投げられたように見えるが、

ただ単に、何の考えもなく勝手に無茶振りしただけのことだったと思う。

その無茶振りしたのは、自民党でも民主党でもなく

ただ単に政権が変われば何かが変わると思った私たち愚かな国民であることを、

政権、政党という手段をいくら変えたところで目的がなければ何の意味もないことを、

そして、一人一人が価値観を変えるしかないことを、

私たちは認識しなければならない。

 

第Ⅳ部に続く  最終章 (借金大国 日本の終焉)

 

2014年10月19日  文責  世界のたま        sign

第Ⅱ部 なぜ日本が借金大国になってしまったのか

日本の戦後の歩みを見てゆく中で、いくつかのターニングポイントがある。

私自身もそうだけれど誰にでもその人の人生の中でいくつかのボールが人生から投げられる。

そのボールを打つのか、見逃すのか、それは人それぞれであり、打ってうまくいくこともあれば見逃した方が良かったと振り返ったとき思うこともあるであろう。

大切なことはたとえ一回選択を失敗したとしても、それを悔やむことではなくて次の選択を誤らないことだと思う。

そのためには過去をしっかり見つめて客観的な分析をすることだ。

人間というものは最初、主観的な判断で行動をとることが多いし、それが人間だと思うから。

これはあくまでも私見であるが日本の現代史の中で1975年に一つ目のボールが投げられたのだと思う。第Ⅱ部では二つ目のボールが投げられることになる。

そして最後に一つだけ言えることは、人生が投げかけるボールはそんなに多くはない。

 

1985年~ 高度成長期は終焉したがバブル景気の持続 (5%前後の成長率)

1989年  赤字国債発行ゼロの実現(建設国債は発行)

日米構造協議(1990年から10年間で430兆円の公共投資の国際公約)

日本銀行による金融引き締め(バブルつぶしのため連続的な公定歩合引き上げ)

1990年  大蔵省による総量規制(土地関連融資の抑制)通達

株価の暴落、地価下落、銀行の不良債権の増加

1991年 日本銀行による公定歩合の引き下げ、

金融機関による貸し渋り、貸し剥がし

金融収縮による実体経済の悪化という下方スパイラル(バブル崩壊の始まり)

 

バブル崩壊直後の宮沢喜一首相は、1990年以降の景気後退は、それまでの景気後退(実体経済における需給調整)と異なって資産価格の大幅な下落による金融収縮こそが根本原因でありそれが実体経済に悪影響を及ぼしていると正しく認識して公的資金を注入してでも不良債権を根本的に処理しなければ景気回復はないと発言したが、それを本気で実行すれば銀行国有化や破綻処理も辞さないことになり、金融界からの大反対でその行動は封じ込められる。

 

この問題の根本問題は回避されたまま、公共事業を中心とした緊急経済対策と減税政策(従来通りの対症療法)が繰り返されたが下支えにはなっても景気浮揚することはなく、巨額の公債残高となってしまった。今、現在では公的債務残高がついに第二次世界大戦末期に比肩する対GDP比200%超の水準にまで達しているが、その起源となったのが1990年代の財政政策だった。

 

細川・村山政権による地方分権改革

小選挙区制の導入  1.二大政党制への道

2.マニフェストに基づく政党間の論戦

3.党首による党内コントロール強化の実現

橋本政権による六大改革(経済財政諮問会議の設置など)

 

首相主導型の政治行政システムは財政健全化と予算組み替えに向けて財務省が持っている限界を乗り越える潜在的可能性を持っていたが実際にそれが発揮されたのは2000年以降の小泉政権になってからだ。そこでわかることは新しい政治経済システムを作っただけでは何も変化を生じない、それに生命力を吹き込むのは、政権の意志である。

 

経済のグローバル化、金融自由化、高齢化社会、低成長時代

 

日米構造協議(国際公約)に基づく多額の公共事業投資の必要性と、国家財政の再建の狭間の中で考えられたのが、

本当にずる賢いと思われるが国の資金を使わないで、地方自治体に負担させるというものだった。

地方交付税を用いた政策誘導として地方単独事業として推進させたり、民間活力を用いて自治体との第三セクターの設立によって本来、国が行うべき公共事業を地方や民間に押し付けた。

細かなことは省くが本当に巧みに自治体を誘導して多額の地方債を発行させた。

1989年には66兆円だった地方債残高は1999年には174兆円にも上り10年間で3倍にもなった。そして2000年に入って地方の危機を迎えることになる。

そして2010年時点で195兆円、対GDP比で40%にもなっている。

こうなる原因は何かというと、地方に歳入の自治がないことだ。

どうしても国の意向に左右され結果的には、責任、負債だけ地方にとらされることとなる。もちろん地方にも責任がないわけではないが。

 

1994年 日米構造協議に基づく公共投資基本計画が10年間で630兆円規模に拡大される

赤字国債の発行の再開

1995年 1ドル70円台を記録

財政危機宣言

1997年 消費税増税 (財政構造改革元年としたが不良債権処理は先送りのままだった)

アジア危機

国内通貨危機の再燃 北海道拓殖銀行の破綻、山一証券の自主廃業、三洋証券の破綻

1998年 財政構造改革法の停止

大蔵省資金運用部はこの年だけで16兆円近くの国債を引き受ける。原資機関自体の国債保有も増大

1999年 デフレ傾向 セロ金利政策

2001年 量的緩和政策(非伝統的な金融政策)の開始へとつながってゆく。

 

1980年代から2000年までの日本の歩みを見たとき、第Ⅰ部でも述べたように、小さな政府として作られた税制度を変えることなく増え続ける社会保障費、一方、高度成長の終焉に伴う収入の減少

その穴埋めとしての赤字国債を財政投融資が受け皿となっていった。

税金が増えるわけでもなく、社会保障が削られるでもなく、不良債権処理もしないままで、国民からは見えにくい形での処理が行われた。

政治家も、官僚も、そして国民自身も自己保身のため、結局先延ばしにしてしまった。

いざ財政構造改革を行おうとしたときに、バブルがはじけ、アメリカからは貿易収支改善のため、多額の国内向けの公共事業を押し付けられた。

それでも、景気は浮上せず、馬鹿の一つ覚えのように減税と公共事業を敢行して莫大の赤字国債を発行し、公的債務残高を急速に増やしてしまった。

この時代に何ができたのかと考えてみたとき、確かに不良債権処理をすべきだったのだけれど、はたして多額の公的資金の投入など世論が許したのかと問われたら、結局難しかったとも思う。

アメリカからの外圧に屈しないで行けたのかということも現実問題としては難しかったとも思う。

ただ一つだけ言えることは1990年に1975年に続いて二つ目の大きなボールが投げられ、私たちは、それを見逃したのだ。

 

第Ⅲ部へ続く

2014年10月16日    文責  世界のたま   sign

 

第Ⅰ部 なぜ日本が借金大国になってしまったのか

他の提言でも述べていますが、皆さんもご存じのように1000兆円を超える借金大国になってしまっています。

では何故日本がそうなってしまったのか。日本財政の現代史Ⅰで、その歴史をたどってみましょう。

日本が敗戦国になった当初のドッジラインによる均衡財政は、1960年所得倍増計画を発表した池田隼人内閣に引き継がれる。

四大工業地帯を結びつけるベルト地帯の整備のための公共事業で雇用を産み地方から余った労働力が流れ込んだ。その後は地方への公共事業を増やし地方で働く人の雇用も創出した。

国民皆保険、皆年金を実現したのも池田内閣ですが、赤字国債発行禁止の中で基本的には小さな政府(国の支出をできるだけ少なくして民間に任せることは民間に任せる)を目指しており、

それを可能にしたのが1970年代まで盛んに行われた減税と貯蓄奨励のための優遇処置による国民の貯蓄を増やす政策だった。

この時代、赤字国債を発行しない小さな政府を実現できた理由は下記の3つが考えられる。

  1. 減税、貯蓄奨励のための優遇処置による莫大の貯蓄

その貯蓄先である一般金融機関からの企業への融資、郵貯を原資とする財政投融資が高度成長を支え、国民の所得を増やし、それが貯蓄を増やすという好循環。赤字国債を発行するより財政投融資を優先。

財政投融資というのは民間では対応困難な事業を補完するために、郵便貯金、簡易生命保険資金、年金資金を財源として政府系機関や地方自治体を通じて行う投融資活動である。それが制度的に定着したのは戦後であった。その頃の財政投融資は社会資本整備の手段として用いられた。

2.企業による終身雇用、医療、年金保険制度の確立

3.家族環境 女性は働く夫を家庭で支え、専属主婦の年金制度、老後は家族が家庭内で介護し、在宅で看取る。

その後の時代の流れ(私がポイントと思う事柄を年代別に簡単にまとめてみました。)

1965年 国債発行(税収が財政規模の歯止めになっていたが公債発行することで歯止めがなくなるため、発行の原則が作成される。1.公債は公共事業に限定し、経常的な歳出は租税、普通歳入でまかなう。2.公債は市中消化とする。(日本銀行が引き受けない))

 

国債発行によってそれまでは大蔵省が収入を通じて財政規律を行っていたがそれが困難になってしまい族議員を生じさせ、それに対して大蔵省はシーリングによる予算総額の統制を行ってゆくこととなる。

要するに国債発行するまでは税収入がわからなければ支出も決めれなかったため税収入を把握できる大蔵省中心で財政が行われていたが、

国債を発行することで収入がはっきりしなくても極端には収入がなくても支出が可能になり、国会議員の財政への関与が大きくなり結果として族議員が生まれたのだ。

 

1970年 公債依存度4.2%

1971年 ニクソンショック(ドルの金の兌換停止) 円の切り上げ

1973年 オイルショック 地方で革新知事誕生 老人医療費無料化

財政投融資計画が国会の議決対象となる。

1974年 一般会計で社会保障費が公共事業費を超える。日本列島改造論での狂乱物価

大蔵省資金運用部で財政投融資(外)資金による国債引き受け開始

1975年 特例公債(赤字国債)の発行 公債依存度26.3%

1979年 公債依存度 39.6%

この時代、国債発行が始まり急速に増大する中、族議員が生じたが族議員のもたらした問題として

1.政治家と官僚の力の逆転  特に官僚出身の政治家の力が増した。

2.シーリングによる規制で大蔵省は予算の増大を抑えようとしたが族議員の             圧力の中で平等的な対応を要求され予算の硬直化を生じた。

3.族議員による予算の分捕りのため、一部の国民の利益のための予算支出が行われ、普遍的で個別的なサービスには極力、支出が抑えられ、国民の自己負担が増えたりする結果となる。

4.公共事業費の増大が族議員の力を強めそれが公共事業費用を増大させる負の連鎖が始まった。

1978年 大平内閣 大型一般消費税導入を訴えるが党内外、世論の反対もあり断念

1980年 増税なき財政再建

1982年 鈴木内閣 財政非常事態宣言を行う。

1989年 一般消費税の施行

 

財政投融資は当初、社会資本整備のため利用されて、それが日本の経済成長に寄与して社会が発展できたことは事実でそこまでは手段として悪くはなかったと私は思う。

だが、1970年代半ばからの社会保障費増大に伴う多量の赤字国債の発行、その赤字国債の引き受け先となっていった。

健全財政を考えた時、貯蓄が財政投融資を通じて国債に投資されるか、税として取られ健全財政に資するか、どちらを選択すべきだったのか答えははっきりしている。現にヨーロッパは、日本とは違って、税による社会保障の整備を行っていった。

健全な財政、赤字のない財政を実現したかったのであれば、社会資本整備から対人社会サービスへ財政ニーズが変わってゆくのに合わせて国民貯蓄から租税へ財源をシフトさせてゆくことが不可欠であった。

それができなかったのは他の提言でも述べているが、政治家で言えば次回選挙での当選、官僚で言えば天下りの確保など、それぞれの全体を見ない個に対する保身、欲望。企業で言えば自らの利益のみを追求し、本来の企業の最終目的である国家、国民の利益を考えられなかった。

そして最終的には国民自らが、それまでの減税含めた優遇処置に対する欲から抜け出せず、自らの利益のみに執着してしまったからに他ならない。

私たちはこれから何をしなければならないのか。答えははっきりしている。

第Ⅱ部へ続く

2014年10月14日    文責  世界のたま   sign

 

製薬会社とオレオレ詐欺(10/7改訂)

先週末と言っても2日前のことであるが、私は滅多に製薬会社主催の講演会などには行かないのだが、講演内容が臨床試験の見方、考え方という面白そうな内容だったので何年かぶりに出かけてみた。

他の提言でも書いているが企業責任、特に国民の生命、健康にかかわる製薬会社の公的責任は年々大きくなっているはずなのに他の業種の企業に比べてモラルの低下が甚だしいと思われる。

ただ一方で製薬会社だけの責任かというと製薬会社と癒着しているとしか思えないような医療行政、民間報道機関の在り方にも問題があると思われる。

そして最終的には医療従事者自身、医師の責任も大きいと思う。

そんな中でいかにして副作用などから国民の健康を守り、医療費の抑制につなげてゆくのかという点で今回の講演は非常に参考になった。

ただ、あくまでも製薬メーカー主催の講演会であり、ある意味では主催メーカーにとって有利な講演内容になることは否めないがそれも考慮して差し引いたうえでの提言をしてみたい。

講演内容としては報道でも盛んに取り上げられた降圧剤ノバルテイスのデイオバン、武田薬品のブロプレス2剤がいかに臨床試験データを改ざんしたり、解析をごまかして医療機関にプロモーションして売り上げを伸ばしたか、

そのやり口と、医師はどのようにすれば製薬会社に騙されずにすむのか、裏返せば医師の責任と、今後の臨床試験の在り方であった。

両剤に関しては意図的なデータの改ざんや後付け解析が行われ、組織的な販売合戦を繰り広げ莫大な利益を上げ、一部の臨床データーがおかしいのではないかという意見は数年間放置されその間も利益を上げ続けた。

両社とも役員の減給など含めていわゆる社会的責任を取った形になってはいるが講演を聞いていて二つのことを思った。

一つは今回の事件は最近まで騒がれていた食品の産地偽装などと構造的に同じことをしているわけであるが

何故かそこまで悪いことをしているように社会的にも医療業界全般としてもそしてMR含めた当事者企業が思っていないことである。

では何故そうなんでしょう。

一つにはそもそもその薬剤の持つ臓器保護作用やアムロジピンなど他剤との比較は実際の医療現場ではなかなか評価しにくく製薬会社のいわば言ったもん勝ちということがある。

蓋し、その評価には時間がかかったり、個人差が大きいからである。そういった意味で臨床医がその嘘を実際の臨床の場で見抜くことが難しいことであるからだと思う。

そういう点を逆に言えば製薬会社は逆手にとってなんだってありと安易に考えているところがある。

他方、法律的観点から言えばこういったケースは刑法上でいえば詐欺罪を構成するとも思われる。

詐欺罪の成立のためには1)欺罔行為2)欺罔行為による相手側の錯誤3)財物の交付、財産上の不法の利益が必要となる。

実際に当てはめてみると製薬会社のMRによる最終的な欺罔行為、医師の錯誤、錯誤に基づく患者への医師の処方という流れになるのだが

ここで問題なのが3)であると思われる。

私見から言えば薬剤が持っているとされた臓器保護作用や、他剤より効果が優れるというMRの言うことをうのみにして錯誤に陥って処方がされ結果的に製薬会社は莫大の不当な利益が得られたとして詐欺罪を構成すると思うが、

立証するうえで、実際の処方がどこまで錯誤に陥った処方だったかが証明が難しい点、

製薬会社が利益を得ているが医師も処方料や納入価よりおそらく高いであろう薬価に基づく診療報酬を得ていることで実際に処方した医師が利益を得ることはあっても金銭としては損害を受けていないことで公に問題になることがないのであろう。

実際には薬価の安いアムロジピンの代わりに薬価の高いデイオバンやブロプレスが処方されることによって税金である無駄な診療報酬が支払われ、

欺罔された部分では効果がない薬を患者さんは飲まされるという点で、

製薬会社から国民は大きな被害を受けているのであるが、産地偽装に比べて制度的に非常にわかりにくいだけなのです。

二つ目に思ったのがこの製薬会社による欺罔行為は非常にオレオレ詐欺と構造的に似ていることです。

製薬会社のトップがオレオレ組織の金主、それぞれの支店長が番頭、MRがプレーヤー、ダシ子、ウケ子になるのかと思う。

何が言いたいかと言えば組織的な犯罪行為と言っていいのではないかということです。

それとオレオレ詐欺集団もそうなのだけど金主や実際に被害者と接点を持つダシ子、ウケ子は細かい具体的な事情を知らないことが多い。

金主については捕まらないようにするためであり、ダシ子、ウケ子に関しては犯罪行為であることを知って躊躇するのを防ぐ意味があると思われる。

そういった意味でも非常に構造的に似ている。MRは無知なことが多い。

逆に言えば企業からみてMRは、無知でいてくれないと困るのです。

だからこそ医師に対して悪びれることなく素晴らしいある意味ではオレオレでいうプレーヤーとして鍛えられたプレゼンができる。それがさも優秀であるかと錯覚している。

オレオレでいう番頭である支店長などが掲げる目標に向かってひたすら欺罔行為を繰り返し続ける。疑問視する臨床医に対してはMRがマニュアル的な応答をする。オレオレでいう被害者に対する想定問答集と同じ構図だ。

給与もオレオレ詐欺でいう分け前と似ていて売り上げ目標と連動していることが多いいと思う。

一方、無知なだけにMRは自分たちが社会に対してどんなことをしたのかといういわゆる加害者意識も持つことも少ない。悲しいほど夜遅くまでもくもくと働き続ける。それが患者のためであることを信じて。そこには医療情報提供者としてのMRはいない。そこにいるのは違法行為のプレーヤーにすぎない。そして延々と被害者、被害額は増え続ける。

実際、両剤の違法行為による被害者数、被害額はオレオレどころではないと思われる。

言いすぎていることもあるかもしれない。

ただ、他の提言でも言っているように製薬会社は一般の企業より大きな公的な責任を負っている。医療費という税金を間接的にであれもらう立場であり、国民の生命に直接かかわっているという自覚が必要である。

世界の提言の中で取り上げている杉原ちうね

彼は国家の意向に反して外交官という身分より人として、多くのユダヤの人を救った。それに対して日本政府は外務省から追放してしまった。その後、長年かかって、海外からの圧力の中で身分回復をすることができた。そんなMRが出てきてくれることを切に待望している。

個を捨てて他者の痛みがわかる、個の中に全体を考えることのできるMRであってほしい。

最後に提言であるが、各製薬会社主体での臨床試験ではいずれにしても限界がある。ただ現在の制度を前提にするならば臨床試験の方法として二重盲検法が一番であり、後付解析は控えるべきだと思う。それ以上に最も重要なことは、製薬会社とどうしても癒着しやすい行政組織、大学(医学部)組織、学会組織、臨床医それぞれが自分たちが何のために誰のために医療に関わっているのかを見つめなおすことだと、寒くなった夜空を見上げながらふと思った一日だった。

 

2014年10月6日   文責 世界のたま   sign

自然について

仕事が忙しくてしばらく書けなかったが今回は自然について書いてみようと思う。

私は昔から自然という言葉が好きだったというより何故かその中に自分が落ち着ける何かを感じていた。自分自身でも理解できない安堵感がそこにはある。

私自身の価値観の根底に自然との共存ということがあるが自然とはいったい何なのか少し考えてみたいと思います。

一般的に自然というと海や、山などを想像される人が多いいと思う。

単語として使われる際には加工された人工的な手が入っていないものに対して使用されることが多い。自然食品などと使われるように。

私が自然とは何かと聞かれたなら一言で答えるとそれは海です。

小さなころから私は海が大好きで潮の香りを体に受けていれば何時間でも時の流れを忘れていれた。磯の香りと言っても日本海、瀬戸内海、太平洋それぞれその香りは違っている。海の近くで育ったわけではない。

そして、海につながっていることを意識していたのではないが川の流れを見ることでも何故か心が癒された。

昔は近くに自然のままの小さな川がいくつもあったから川の中を石の下をまさぐっていろんな生物を見ながら歩くのが楽しみだった。

今でもそうだが海でも磯辺が一番好きな場所だ。

そこにはいろんな小生物が生活している。その一つ一つの小さな生物があるものは小刻みに走り回っており、あるものは死んでしまったかのように頑なにその体を磯の岩にくっつけている。

それら一つ一つの小さな生物を見ていると時がたつのを忘れてしまう。

それら一つ一つの生物はこの地球上の片隅で一生懸命生きている。私がこの時間にこの場所で彼らと会わなければ一生会うことがなかったと彼らと同じ時を刻みながらよく考える。

私が20歳くらいの頃、何かある度に海に行って一日中海を見ていた。そうすると海は何故かいろいろな迷いや思いをゆったりと吸い取ってくれた。

その頃、何故、海に行くと心が落ち着くのだろうとふと考えていたとき他の提言の中でも触れているが個体発生は系統発生を繰り返すという言葉に出会ったときすべてが理解できた。

人間の発生を考えてみると、精子と卵子から受精卵ができ細胞分裂を繰り返しながら母親の子宮の中の羊水の中で鰓呼吸をした後、母体から離れて口呼吸を初めて一個の人間になる。

言い換えれば一個の個体の発生の過程は人が海から陸へ上がった進化の過程を繰り返している。

私が海を見て落ち着けるのは私自身の心の中に普段は意識することはないが潜在的に故郷への思い、それは母親の子宮の中の羊水への思いであり、そして遠い自分自身の生命の根源でもある海への思いなのであろう。自らが生まれ出た場所に身をゆだねることで自分自身の身も心もその中に溶け込んでいき同一化されるのであろう。

私にとって一言でいえば自然と言えば海なのだが一般的に自然という言葉は様々なケースで使用されている。

何故私が自然との共存を訴えているのか、人間は自然の大切さを再認識しなければならないのかを三つの視点からお話ししようと思います。

一つは科学の分野で、本当の意味での自然を大切にしなければならないということです。

他の提言でも述べているように自然を侮ってはいけない。遺伝子操作や、人工的に作り出された薬剤含めた物質はいずれは自然淘汰の中でかき消されてしまい歴史的には何の意味も持たないことを人間は学習しなければならない。

それは大きな海のうねりがすべてのものを何もなかったかのように飲み込んでしまうのに似ている。

現在騒がれているエボラ出血熱なども昔から存在していたウイルスであってそれらと人間はある意味で共存していたのであってそれを駆逐できるかと言われたら自然の一部に過ぎない人間にはもともと不可能なのです。

あらゆる抗生剤に反応しない多剤耐性菌もしかり、エイズウイルスなども人の免疫防御系システムの要であるT細胞に宿って静かにある時期は共存している。

だれがそんな感染システムを考えられるだろう。

自然とは人間が考えるよりある意味でずる賢い。だが、それは人間からみた考えである。本当は鏡に映った人間自身だと思う。

自然はただ単におそらくすべての生物のために元に戻そうとしているだけであろう。自然自らを守るために。

二つ目は自然権というものがある。自然権を保障していない憲法は現代立憲主義的憲法でないとされているが、自然権とは思想、良心の自由など前国家的権利のことで、国家を前提としない権利であり、いわゆる人が生まれながらにして有している権利のことである。

だから自然権を保障している日本国憲法のもとではたとえ日本国籍を有しない外国人に対してでも自然権は保障されている。

この自然権という人が人であるがゆえに、ただそれだけで認められる権利、私はその響きがものすごく大好きです。だから他の提言で述べているようにその権利の行使を妨げる特定秘密保護法などは絶対に容認できないのです。

三つ目は精神科領域での治療としてあるがままの自分をみつめ、受け入れるやり方がありますが、これはすべての事象で言えることだと思います。よくスポーツの世界などでも自然体で臨むなどという言い方がありますが自然のあるがままの姿を受け入れる、今の現代社会で最も欠けていることがそのことのように思えてならない。

いつの時代からか人間は自然から離れて台風や、地震などの自然現象や、ウイルスなどの生物を敵とみなして戦い、人工物をさもそれが最も価値のあるように考えてきたがそれは人間の奢りであることにそろそろ気づかなければならない。

 

2014年10月4日      文責 世界のたま       sign