社会保険制度の崩壊の中でも一部触れたが医療保険制度も事実上行き詰っている。
振り返ってみると1970年代、大規模な公共事業、減税に合わせて医療に対しても積極的な予算が組まれたが、その後のオイルショック、高度成長の終焉、少子高齢化の中で、今現在も国民の医療費は増え続け、1990年代になって加速度的に増えた莫大な国、地方公共団体の借金は天文学的な数字となってきている。
かつて小渕総理が言っていたが世界一の借金王そのものとなってしまっています。(一国の総理が言うのもどうかと思いますが)
財政面全般において日本が過去どのような経過、理由で借金を増やしてしまったのか、今後どのような方向に行けばよいかはまたの機会に述べようと思います。今回は今後の日本の医療の在り方に関してのみ提言をしようと思う。
医療、医療費を考えるとき私はいつも3つの視点から考えています。今回はそれらの視点から提言してみます。
- 国民からの視点 国民と言うと少しわかりにくいですが、患者さん、被保険者と言ってもいいと思います。
- 医療従事者からの視点 これは端的にいうと医者と言っていいと思います。
- 製薬メーカーからの視点 これはいわゆる薬屋さんです。
- 国民からの視点
(1)医療目的の明確化(何のために医療が必要なのか)
このことは私の様々な提言の核心部分なのですが、医療はあくまでも手段にすぎず、目的をはっきりさせなければならない。
それを聞かれたとき多くの国民は国民の命を救うためとか、健康の維持などと答えると思う。それは一見正解なのですが、それでは今までと変わりません。いくら予算があっても足りません。
誤解を恐れずに言うならば医療とは救うべき人を救うことだと思う。
一般的には人の命に差はないというけれど、現実的には優先順位があると思う。
たとえば緊急避難時、子供、女性からというのが一般的であるように、私はいろいろな問題を考えるときに行き詰ると優先順位を考えます。
限られた予算の中で、年齢という視点から言えば、私は高齢者より小児、若い人を優先すべきだと思っています。
ただし、誤解されないようにしていただきたいのですがただ単に年齢だけで言っているわけではありません。他の提言でも言っているように私の価値観の中心は自然との共存です。
生物にはすべて寿命というものがあります。私は自然の寿命の尊重こそが人としての尊厳を大切にしてあげることだと思う。
(2) 疾患からの検討
疾患という視点からみてみると、成人病、及びそれから派生する疾患が医療費の多くを占めています。
人間というものを考えるとき私は主観と客観、素質と環境それぞれ2面から全体構造としてとらえるようにしています。
成人病にもいろいろあってそれぞれ要因があるのも事実です。しかし生活習慣病と言われるくらい環境面も大きいことは事実です。
これも誤解を恐れずに言うならば、体質というものもありますが最終的には自己責任という考え方を入れない限り、限られた予算の中で医療制度を維持してゆくことは困難だと思います。
制度的には疾患別での自己負担の調整などが考えられます。自己責任という観点からも自己負担の増額は避けて通れないと思われます。
(3)健康維持への奨励
食生活などに気を付けて健康維持される方が、保険料収めっぱなしであることについてあまり言われることが少ないが何らかの奨励金的な保険料の還元などもされるべきだと思う。
2.医療従事者からの視点
(1)医療行為そのものについての方向性
現在進められている医療の分担化についてはまったくその通りであると思います。今後も引き続き行われているべきで、専門、家庭医の分担化と連携は一見矛盾していると思われるが、この分担と連携、2つの要素の融合こそが医療費抑制、尊厳死にとって不可欠であることを医療従事者が国民(患者)に訴えていかなければならないことだと思う。
特に家庭医にあってはいづれ医療と介護の今後の在り方の中で述べようと思うが介護分野との連携が不可欠である。
(2)国民の医療費(診療報酬)についての提言
医療費(診療報酬)についてはここでは簡単にとどめるが今まであまり言われたことがなかったと思うが、私見として介護費用(介護報酬)と基本的には併せて考えていかなければならない。
蓋し、人の体というものは医療と介護を分けて考えることは元々無理な話であり、事実、2000年介護保険導入時、盛んに医療と介護の分断が行政指導として行われ、私は理解できなかった。
最近の行政の考え方は連携の方向に変わってきており、それが本来の在り方だと思うし、報酬面でも合わせて考えていくことを提言したいし、いづれわかることであるがその方向性しかありえないのです。(2000年当時、行政指導的には分断が図られたが社会的入院に伴う医療費増大を断ち切るという当時の考え方に過度に反応したもので歴史的には仕方がないものだったかとは思う。)
その中で、診療報酬、介護報酬の減額は避けて通れないものだと思う。
そういった議論の中でいつも出てくるのが医療の質の低下だが、そういった医療従事者は医療業界から去るべきだと思うし、現在、医療現場で働かれている多くの医療従事者はそうでないと私は信じている。基本的に議員、公務員もそうだが税金で食べさせていただいている者は公的責任から逃れることはできないのだから。
(3)予防医学の重要性
多くの生活習慣病は、食生活で予防、改善できるものが多い。たとえ良い薬ができても多くの場合、それに頼り、怠惰になり、結果としてさらなる新薬、治療が必要となる。医療費抑制のためには今後は予防医学が最も重要になってくる。 日本のこれからの医療を考えた時、間違いなく製薬より予防である。そういった意味で管理栄養士などの活躍が不可欠であり、それらの有資格者の奮起を期待している。
3.製薬メーカーからの視点
(1)製薬企業の社会的、公的責任
医療従事者の責任の中でも述べたことだが薬価に基づき医療機関を通じて税金である国民の医療費を受けとっている製薬企業にあっては、一般的な企業責任とは別の公的責任があると私は考えます。
かつてエイズウイルス混入に関しての血液製剤事件の教訓が本当に生かされているのかというと、私は甚だ疑問に感じることがある。
治験時のデーターの改ざん、副作用の隠匿、カルテデータの意図的誤使用など最近でも様々な問題が生じています。
いろいろな原因が考えられますが、一つは治験そのものの在り方です。そもそも企業が研究費用を出せばその企業にとって有利なデーターしか出てこないし、万一不利なデーターが出たところで企業がそれを公表するとは思えない。
よく第三者機関によるチェックというが所詮企業サイドになってしまうことはだれが考えてもわかることであり、治験そのものの考え方を考えないといけないと思う。
本当は企業倫理に求めたいところであるが期待できないのが現実だとつくづく思う。
(2)今後のMR(医薬情報担当者)の在り方についての提言
MRがはじめて製薬企業に位置付けられたのが1994年であり、その後1997年から認定試験制度が開始されている。
先に触れた血液製剤事件でも(その当時はMRはなかったが)多くの営業マンがアメリカで使用禁止となった血液製剤を日本国内で差益を求める企業と医療機関のために売りさばき結果的に多くのエイズウイルス感染者を出してしまった。
厚生省、血液学会、医療従事者、企業すべてに責任があり営業マンにも会社から言われただけだとして責任がないとは思われない。現在のMRで、この事件を知らないMRもいるのではないかと思う。
最近、特に思うのだがMRの役割は大きい。
MR自身、自分がどんな薬を医療機関に勧めているのか、海外での副作用はないのか、治験は本当に問題ないのか、MR資格有するもの個人としての自覚を促したい。
上司からの指示でただ単に売上競争に参加するのであれば公的な医療業種に携わるべきでない。このことは企業自体の体質が大きいのも事実だが。
最後になるが、先発メーカーのMRについては高い先発薬価という税金が投入されている以上、より納税者たる患者への情報提供義務が課されていることを認識しなければならない。医師にも診療拒否が認められてないように1錠でも服用されている患者がいる医療機関への情報提供は義務であり、そういった目的意識のない、MRとしてのプライドがないMRおよびそういう体質の企業はおそらく第二、第三の薬剤事件を起こすであろう。
法的な責任がどうであれ道義的責任のとれるMRであってほしい。
薬の向こうに、人の生命に 関わっているという責任と自負と喜びを感じ取れるMRであってほしい。