コインチェックからの仮想通貨の流出が大きな問題を引き起こしたが、このことは、現代社会に生きている私たち社会の鏡である。
仮想通貨という表現をしているが、そもそも国家の中央銀行が発行しているドル、円、ユーロをはじめとする通常の通貨そのものも所詮は何の価値もない単なる交換手段にすぎない仮想価値に他ならない。
私が、コインチェックなどの事件を知ってまず思うことは、事件そのものより、仮想通貨をはじめとする仮想社会の中に生きる私たち人間の愚かさ、哀れさであり、その果てしない虚しさである。
仮想通貨以外でも、様々な技術を駆使して作り出されている仮想空間、そして仮想敵国まで人間はありとあらゆる仮想社会を作り上げている。
仮想社会を作り上げていることに対して、私たちはそれを技術の進歩であると錯覚している。ある者は経済的利益のために、ある者は自己満足のために、しかし、どこまで行ったところで、その先には何の価値も存在していない。
今回のコインチェックの損害に関しても、たとえ、その保障として実際の通貨に換金されたところで、所詮それ自体何の価値を有しない通貨以上の何ものでないのだから。
仮想通貨を国境を越えた交換手段としての側面をその利点としてあげられることがあるが、果たしてそうした利点は意味があるのであろうか。
グローバル化の流れの中で、ネット社会と物流を合体させた仮想通貨は一見、私たちの生活の中で便利な手段であり、有意義なものに考えられやすいが、私にはそれは誤りであると断言できる。
例えば、現実の通貨ユーロを考えて見ればわかることである。通貨の統合の中で、国家の融合を図る社会的な実験であるが、イギリスが離れ、アメリカファーストの中で、各国の国家主権主義が強くなる一方である。
通貨統合という手段によって、国家間融合、世界平和という目的がなしえると考えることは茶番である。
手段は所詮、手段でしかありえないのだから
その手段を目的にすり替えているのが、経済至上主義であり、その一役を担っているのがグローバル化企業であり、仮想通貨もその中の一手段にすぎない。
仮想通貨は、所詮単なる手段にすぎない。
今回のコインチェック事件は、手段としての仮想通貨を、それがさも価値があるかのように錯覚した者たちが、目的化してしまっている経済至上主義のなれの果てであることを明らかにしている。
仮想通貨を作る人々、それに踊らされる人々、全ての者たちが、手段としての貨幣に踊らされ、鎖につながされた奴隷にすぎないのだということに私たちは気が付かなければならない。
彼らは一見想像力が豊かで、知的な人間であるかのように思われるが、私にはその逆で、経済至上主義の中で、貨幣や物に心を奪われた真の意味で想像力の欠如した哀れな人間、一生、その鎖につながれた社会から抜け出すことができないちっぽけな人間にしか見えない。
世界平和、人類の平和的共存、一人一人の人間の価値の最大評価を目的だとした時、それを貨幣などの手段でなし得ようとするならば、その前提として、国家、民族、宗教的な対立の解消、究極的にはそれらが無くなる必要がある。
しかし、現実的には、誰が考えても困難である。それらは、人間にとって貨幣など以上に核心に近いものなのだから。
それらの私たち人間にとって大切と思う国家、民族、宗教などの、所詮はそれらも手段にすぎないものであるが、それらの手段を守りながら世界平和、人類の平和的共存、一人一人の人間の価値の最大評価という目的を成し遂げようとした時、私たちにとって何が最も大切かと言えば、通貨などの手段、経済至上主義を決して目的化してはならないということだ。
特に仮想通貨などのグローバル化に直結する手段を目的化してはならない。
その先にあるのは、争いの絶えない世界であり、奴隷社会であり、人としての尊厳のない社会である。
私たちは仮想通貨や、経済至上主義といった想像力の欠如した社会を乗り越えた新たな社会を作り出さなければならない。
私たちは決して歴史を繰り返してはならない。
平成30年1月30日 文責 世界のたま