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現代のマスメディアと思考停止社会~その先に未来はない

来月、日本で上映される「記者たち~衝撃と畏怖の真実」という映画がある。この映画は、9.11の後、2003年にアメリカがアフガニスタンに続いて、イラクとの戦争に踏み切る過程の中でのアメリカの小さなメディアであるナイト・リッダー社の記者たちが真実を追求した姿を描いた映画である。
当時、ワシントンポストやニューヨークタイムズなど大手のメディアは、ブッシュ大統領の訴えるイラク戦争へと突き進む根拠であるイラクによるアルカイダへの関与、大量破壊兵器の所有をそのままそれが真実であるとして報道していた。
世論がイラク戦争突入へと扇動される中で、ナイト・リッダー社の記者たちだけは、それらに疑問を呈し、たとえ非国民と非難されようと、その真実を追求し続けた。
この映画に関する感想を述べた東京大学大学院教授は、何故、多くのメディアがそうした過ちを犯してしまったかに関して、現代のマスメディアが、真実を伝えることから商業路線への転換をしてしまっていることがその要因の一つであると述べていた。

確かに、この映画が物語っているように、現代社会において、アメリカに限らず世界中のマスメディアが、経済至上主義の下、広告主の意向や、視聴率に振り回されてしまっている。更に言えば、国家主権が台頭する世界情勢の中で、ほぼ世界中の国々で、その程度の差はあれ、国家機関による報道規制(政権にとって都合の悪い真実の隠ぺい)が日増しに強くなってきているのは事実である。

この映画は、私たち現代人が、陥ってしまっている錯覚を、報道する側から描いた映画であると思う。即ち、一見、私たちは、世界中のニュースをネットなどの媒体機関を通じて瞬時に知ることができると思い込んでいる。しかし、それらは所詮、媒体機関というフィルターを通した上での事実でしかない。それが真実であるかどうかは別問題なのである。私たちはそれを真実であると思い込んでしまっているだけだ。知っていると錯覚している以外の何者でもない。

次世代移動通信システム5Gなどによって個々人の処理能力を遥かに超えた大量の情報が、より瞬時に、より多くの人々に送ることが可能になった一方で、ロシア、中国、日本などの先進国においては、政権が長期化してきている。長期政権が民衆によって打倒されたアラブの春とは真逆のことが、現在、先進国では起きている。
現代社会は、行き過ぎた経済至上主義の下で経済的、政治的、環境的、あらゆる面で行き詰まってきている。そうした中で、世界中で経済格差は広がり、経済至上主義がよりその格差を拡大させている。世界中の国々で経済発展を遂げる過程の中で増え続けた中間層は、現在、貧困層へと転落してしまい、勝ち残った人々は、クモの糸を登ってくる人々を蹴落とすために、より一層厳しい経済状況の中で、よりいっそう安定した強権的政権を望んでいる。
しかし、その一方で、経済的、政治的な行き詰まりの中、貧困層含めた社会的弱者の一部の人々は、経済的、政治的に追いつめられ必然的に暴力行為、即ち、テロ行為に走っている。
それに対して、長期政権、そしてそれらの支持層は、5Gなどを駆使して政権批判勢力の監視を強化し、それらを排除するための国民世論の扇動を図ろうとする。これも又、必然である。

私たちは、戦前の我が国が、大本営発表や、世論によって、神風特攻隊や、人間魚雷を賛美し、そして玉砕への道を歩んだこと、ナチスドイツにおいて多くの国民がユダヤ人の迫害に手を貸し、ホロコーストでの大量虐殺に及んだこと、それらの歴史は、過去のことで、現代社会においては、起き得ないことと考えているが、私には、私たちが錯覚しているだけにすぎないとしか思えない。

この映画は、現代社会における、マスメディアの持つ怖さ、盲点、脆さを指摘している。

そうしたマスメディアが持つ危うさの中で、洪水のように押し寄せる嘘か真かがわからない無数の情報の中で、私たちは何を為すべきなのか
それを考えてゆく上で、最も重要なことは、送り手であるメディアの反対側にある私たち、受け手が陥っている思考停止の問題である。
何故、私たちは思考停止に陥ってしまったのか。
私が思ういくつかの要因を挙げて見よう。

① 権力そのものによる言論統制
これはいつの時代も同じことで、国家権力は、統治してゆく上で、その程度の差はあれ、言論統制を図ることが常である。政権にとって都合の悪いネットなどの書き込みの削除などは典型例であるが、戦前の日本における憲兵、中国の文化大革命における紅衛兵、ナチス政権下での親衛隊、現在の国家においても公安警察、秘密警察などを通じた言論統制の中で、人々は自ら思考することを停止してしまう。例えば、中国での人権弁護士に対する弾圧、ウイグル自治区での強制収容施設内における思想教育、ロシアでのジャーナリスト殺害などは、多くの国民に思考停止を生じさせる。
世界中で国家主権が台頭する中、言論統制はその厳しさを増している。

② 自動運転システム
科学の発達に伴って、様々な領域での自動化が進んでいる。企業における生産活動は元より、一般家庭においても掃除、洗濯、料理など日常生活全ての面で自動化は目を見張るものがある。高齢者の運転事故などをきっかけに自動車の自動運転化も考えられている。一見、これらは、私たちの生活を便利にして、快適なものにする素晴らしいものだと簡単に考えがちであるが、その便利さの代償に、多くの人々は思考停止を招いている。
蓋し、あらゆる自動化の中で、人は自ら何一つ考える必要がなくなるのだから
最近起きたボーイング社製造のハイテク機の二度にわたる離陸直後数分間での墜落事故、その原因は最新鋭の自動制御システムにある可能性が指摘されている。そのトラブルの中でも自分の頭で思考し、自動操縦を解除して危難を回避した操縦士もあったようだが、皮肉なものである。

③ 経済至上主義
現代社会は、経済至上主義の嵐が世界中で吹き荒れている。特に1991年にソビエト連邦が崩壊し、グローバル化、即ちアメリカ化の時代を迎えた中、同時にITバブルも起こり、それらが経済至上主義を世界中でさらに加速させた。しかしITバブルも崩壊し、アジア通貨危機、リーマンショックなどを経て、「ウォール街を占拠せよ」、「我々は99%」などで代表される格差社会が世界中で蔓延し、現在も世界中で、その格差はさらに広がってきている。
経済至上主義の下では、格差社会は悪くなっても決して改善することはない。何故ならば、経済至上主義社会において、経済的強者は、経済的弱者に対する何らの説明責任も必要としないのだから。政治的には説明責任をその本質とする民主主義は存在し得ず、そうした民主主義を否定した社会が、弱者の人権を守ることは決してあり得ない。
そうした中で、多数を占める経済的弱者は抵抗することをあきらめ、思考することを止めてしまう。

これらの要因などが重なって、現代社会の多くの人々は、思考停止してしまっている。
しかし、よくよく考えて見ると人間が神から理性を与えられたとした近代以降の人間中心主義そのものが、思考停止の権化であるといえる。
何故ならば、人間は自然との会話を拒否し、他者との共存すらも否定してしまったのだから

市場経済、法の支配の下で、人間の一部の者たちは、先進国としてある意味での豊かさを手に入れたが、彼らの多くの人々は、自らの豊かさのみにその関心を向け、思考を停止し、合理的無知の中で、選挙に行くことすら忘れ、選挙に行く者も合理的非合理性の中で、政党を支持しているという理由のみで、それ以上の思考することもない投票行動をし続けている。

人間が思考を停止することで、前頭葉の機能は低下し、より他者との協調性、バランス感覚は喪失し、結果として相対的に生物本来の持つ自己防衛本能、攻撃性が前面に出やすくなってしまう。そうした中で、世界中で、国家主権が台頭し、テロや、小競り合いなどの暴力的行為が増えてきているのは必然である。一方で、民主主義は失われ、メディアは、スポーツや娯楽に終始して、批判的な政治的発言を控える。
我が国においても、森友学園以降の数知れない政府による文書の改ざん問題を踏まえて、公文書の電子化などが言われているが、問題のすり替えであり、茶番以外の何者ではない。問題はそこにはないのだから。

問題があるのは、政治家、官僚、そして私たち国民が、思考停止してしまっていることに尽きる。
そして私たち一人一人が思考停止することから脱却しない限り、格差社会の解消はもとより、私たち自身、そして子供たちの未来など絶対に存在しえない。

私自身、選挙に立候補して政治的発言を為し、最高裁に上告し、こうやってブログも書いているが、このままの政治状況が続けば、弾圧されるのも時間の問題であろう。
私自身、何一つ思い残すことはないが、子供たちの未来、地球の未来だけは、残したいものだとつくづく思う。

  平成31年3月25日   文責   世界のたま