2018年ももうじき終わろうとしている。
今年も世界中で、様々なことがあった。年々思うことであるが、私たち人間にとって、そして、人間を含む全ての生き物にとって、私たちは、余りにも無駄で、意味のない時を、過ごしている。
「人間は考える葦である」パスカルの「パンセ」の中の言葉である
私は、改めて、この言葉を思う
大辞林によれば、人間は自然の中で最も弱い葦の一茎にすぎない。だがそれは考える葦であるとして、自然において脆弱だが思考する人間の本質を表現したものとしている。
百科事典マイペディアの解説では、考えることができることにその偉大さと尊厳があるとして、思考する存在としての近代人の精神をよく示す句としている。
日本百科事典の解説では、17世紀フランスの思想家パスカルの言葉で、広大無辺な宇宙に比べれば、人間は無に等しく、「一茎の葦」のごとく弱く悲惨な存在にすぎないが、それは「考える葦」であり、思考によって「宇宙を包む」ことができる。ここに人間の尊厳があり、偉大さがある。このような偉大と悲惨、無限と無という相矛盾した二律背反の中で揺れ動く人間の存在をパスカルは「考える葦」という言葉で象徴させているのである。なお、この句は聖書の「傷ついた葦」に由来するとしている。
この言葉は、現代社会を如実に表している。
近代以降、私たち人間は、神によるから支配から解放されて、近代精神に基づいて、神から与えられた理性に基づいて生活してきた。
それは、人間中心的な考え方であり、科学的根拠に基づく思考である。
そうした中、政治的には、絶対君主制から、法に基づく政治に、経済的には、自由な交易に基づく市場経済を形成してきた。科学的には、様々な疾病を克服して、人間の寿命を延ばしてきた。
2018年現在、政治的には、民主主義が経済至上主義によって凌駕されている。何故ならば、富の蓄積の中では、説明責任は、必要とされず、必然的に民主主義は存在しえない。結果として、世界中の多くの国民は、思考停止し、科学主義の特徴である二項対立の中で、分断された社会が、国家間、国内いたるところで形成されている。アメリカにおける共和党、民主党の分断、ヨーロッパにおけるEU支持派と、独立派との分断、中東でのシリア問題を巡る分断等々である。
経済においては、市場経済の果てに、経済至上主義という世界を作り出し、現実の経済社会と乖離した記号化された為替取引の中で、ヘッジファンドによるアジア危機、記号化された商品取引の中で、リーマンショックを引き起こし、現実社会の中での貧富の格差は、日本国内はもとより、世界中で拡大している。
自然科学においては、中国人研究者によって行われた受精卵でのゲノム操作、ロシア、中国、アメリカ、北朝鮮などによる際限なき兵器開発、日本国内においても艦船の空母化、そしてもはや意味のない核燃料サイクル
それら世界中で起きている政治、経済、自然科学分野で生じている事象すべてはリンクしている。
2018年が終わろうとしている今、私は思う。
人間は、人間の偉大さと、尊厳さの中で、「理性」という思考によって、無を無限さと錯覚している
人間は、所詮「一茎の葦」にすぎない
そして今、その「一茎の葦」が、その生命の息吹を終えようとしている。
平成30年12月30日 文責 世界のたま