Monthly Archives: 7月 2016

更なるおバカな国民へGO!(3)

 先日お話ししたデカルト以降の近代精神の形成の中で、更なるおバカな国民への流れを決定づけているものは、自然科学の発達の中での、人間の自然に対する驕りである。

 新自由主義、経済至上主義、グローバリゼーションの下での、環境破壊は、その典型であるが、遺伝子組み換えなどの自然の摂理に対する侵犯、地球上のあらゆる自然が人工化されてゆく中で、自然はそれを押しとどめるべく、地球温暖化による異常気象、海面上昇、多剤耐性菌、ウイルス、そして人間の細胞の癌化、あらゆる手段を講じて人間に対して、自然へのより戻しを行ってきている。

 地球という星そのものも、所詮は宇宙という大きな自然の中での一つに過ぎない。そんな小さな地球という星の上で人間が何をしようと全体からすればたいしたことではない。宇宙という大自然の中では、例え自然のより戻しの中で人間という種が絶滅したところで、おそらく何もなかったかのようにただ過ぎ去ってゆくだけであろう。

 ドーピング問題でゆれるオリンピック、島の領有権でもめるASEAN首脳会議、テロが頻発するヨーロッパ諸国、様々な問題が世界で起きている。それらは所詮、人工的で取るに足らないくだらない問題にすぎないが、少なくとも現実的な問題である。

 数多くの現実的な問題がある中、一方で、ポケモンという架空の生き物を求めて多くの人々が街中をさまよっている。私は街中を多くのゾンビがさまよっている光景を重ねていた。
 
 彼らに共通しているのは生ける屍、心がないのだ。

 彼らの出現は、人間の潜在的な逃避行動なのか、それはわからない。ただ一つだけ言えることは、更なるおバカな国民へのGOだという事実だ。

     
     平成28年7月27日    文責  世界のたま

更なるおバカな国民へGO!(2)

自分たちが置かれている状況を全く認識していないおバカな国民が救われる可能性はあるのだろうか?
 
 国民の権利義務を制限する法律を制定し、それを執行する国会、内閣が違憲状態の国会議員で占拠され、政党国家化現象の中で、法律を定立し、日本国憲法上では国権の最高機関であるはずの国会が実質的に内閣の下に置かれ、国会と内閣における権力の抑制と均衡が機能停止に陥っている状況。

 民主主義という概念を選挙制度の上では、人口の少ない地方の意見を政治に反映するためだと一票の格差を正当化する一方で、国会の強行採決の局面や、沖縄問題などでは、多数決こそが民主主義であると豪語する。

 特に彼らの言う民主主義では、立憲民主主義における立憲という、憲法に基づいたという考え方が抜けているというより、意図的に外されている。

 上記に述べているように、現在のわが国における立法、行政という統治機構において立憲主義は機能しておらず、国民主権という観点からの民意によるコントロールも機能不全に陥っている。

 これは操縦不能になった飛行機に似ている。操縦かんを握っているコックピットの機長、副機長が国家機関であり、乗っている乗客が国民である。機体の一部は破壊され、操縦かんは機能していないがクルーにはその原因が見えていない。そして操縦不能になったことを乗客は知らず、それぞれがこの平穏な生活が永遠に続くものと錯覚している。

 機外の天候は悪化の一途をたどり、それは今の世界状況と同じで回復の見込みはない。

 そこで冒頭の問いである。おバカな現状認識をしていない国民が救われる手立てはあるのであろうか。

 私は、そんな状況下でおバカな国民が救われる方法があるとすれば、それは機外に求めることであると思う。管制塔を通じた多くの客観的な冷静な検討、指示である。そして最終的にはそれらを冷静に受け止め、適確に選択して、実行に移すクルー、および乗客自身である。

 管制塔の役割を果たすのが司法、すなわち裁判所である。

 どこまで立憲民主主義的な意味でその機能が、残存しているのか、それは私にもわからない。しかし、民主制という飛行機の根幹部分が破壊されてしまっている中、操縦かんが全く機能しない中、非民主主義的な機関であるがゆえに、民主制の崩壊の中で、最後までその機能が影響を受けることなく残存していることを私は信じたい。

 司法とは、日本国憲法が、国民の権利と自由を守るために、そして、最終的に日本国憲法自身をも守る憲法保障機関として、そのすべてを託した存在なのだから。

          平成28年7月25日   文責   世界のたま

更なるおバカな国民へGO!(1)

 この度の参議院選挙、並びに行われようとしている都知事選について言えることは立候補者、有権者含めた時代認識の欠如であり、このことは致命的な事実である。

 しかしながら、人間というものはそれぞれの時代の渦中にいるとき、その歴史的流れの中での己自身を客観的にとらえ、その時代の軌道修正を図ることは簡単そうで非常に難しいことなのであろう。

 近代哲学の父であるフランスの哲学者デカルトが語った、我思うゆえに我あり、すなわちそれまでの他の動物と同じように自然を恐れ、神によってすべてが決せられると信じた世界から、あらゆるものの存在を信じることはできないが、こうして考えている自分自身の存在だけは否定できないとする、人間中心主義、科学的に証明されたもののみを信じる科学主義、それらが私たち近代精神の源泉であり、そこから派生した民主主義、資本主義、自然科学の発展それらすべてが行き詰まっていること。

 グローバル化の流れの中での富の蓄積により、資本主義が民主主義を機能不全に陥れようとしている現実、蓋し、あらゆる民主主義的組織は説明責任を持っているが、私的組織は説明責任を持つことはないのだから。

 今回私が参議院選挙に立候補してつくづく分かったことは、本来の政党の意味を全くなくしてしまっている説明責任を持っていない政党による選挙制度の支配、独占化だ。前回の衆議院選挙から衆議院選挙では個人の立候補者の政見放送ができなくなってしまったが、それ以外でも個人が立候補することは制度的に困難になってきている現実。

 そして説明責任を持たない非民主的な政党をただ単に盲信し、追従する自律心のないおバカな国民と、権利の上に胡坐をかいている愚かな国民。

 特定秘密保護法により表現の自由が侵害され、安保関連法により平和的生存権が侵害され、違憲選挙制度、立候補の自由への侵害により民主制度が侵害され、民主制による国民の権利侵害への回復が困難になっている現実。

 それらの事実を前にして、私たち国民は更なるおバカな国民へとただひたすら突き進んでいるのである。

     平成28年7月25日   文責  世界のたま

参議院選挙につきまして応援ありがとうございました。

参議院選挙につきまして、応援ありがとうございました。
16.691人の貴重な一票、一票を大切にさせていただきます。
選挙を終え、選挙結果を前にして一言だけ述べさせていただきます。
歴史を振り返って初めて人々は冷静に物事を判断できること、渦中にいてはその判断がなかなかできないことをつくづく思い知らされました。
今回の結果についても歴史が証明することになると思う。
ただし、私は、あと三回私たち主権者にチャンスがあると思っています。(選挙という意味ではありません)
現在の主権者、そして未来の主権者のために
応援してくださった方々の一票一票を無駄にすることなく大切にさせていただきます。
本当にありがとうございました。
なお、この二日間コメントを寄せてくださった方々には本日中に御返事させていただく所存です。

平成28年7月11日  文責  世界のたま

最後の訴え(政党や組織人である前に私たちは主権者たれ)

参議院選挙まで残すところあと3日になりました。
与党の勝利や改憲勢力が2/3に迫るなどのニュースが流れる中で、今、私が思うことを選挙前の最後の訴えとして述べておこうと思う。

今、我が国は歴史的な大きな分岐点に立っています。
しかし、今回の参議院選挙において、多くの政党、有権者、報道機関が争点としているのは、経済問題、安全保障問題、医療介護年金などの社会保障問題、憲法改正問題など細かいところのみである。
どうでもいいとまで言わないが、完全に優先順位を間違えています。
国家機関が現在存在している憲法を守ること、まず、それを第一に考えなければならないのです。そのことを抜きにして先に他を考えることはありえないのです。

この二年間の間に我が国で起きていること、それは何度も言っていることであるが我が国が国家(現代立憲民主主義国家)として体をなしていない、崩壊してしまっているということです。

現在の日本国憲法の改正を訴え、論議することは構わない。しかし、改憲を訴える人の、どれだけの人が現在の日本国憲法を理解しているのでしょう。現在存在する日本国憲法を理解することなく改憲を訴えることは、子供が次から次へと新しいおもちゃをねだるのと同じで無知の極みである。

特に、日本国憲法上、第98条、第99条によって現在の日本国憲法に拘束される国会議員においてはあってはならないことであり、国家的な犯罪に等しいものであると私は思う。

今回、私が立候補して訴えている、衆参議院選挙の違憲状態の改善も、ただひとえに国家機関が、まず現在存在する国家の基本法たる日本国憲法を守れという、そのことだけなのです。

日本国憲法は、日本国民の自由、権利を守る最後の砦なのです。

平和に馴れ、自由の有り難さを忘れかけている現代の日本国民にとって、日本国憲法は遠い存在になっているとは思う。

現代立憲民主主義における三権分立(皆さん、社会でまず学ぶことですが)は、近代の歴史の中で人間がその自由と権利を守るために作り上げた統治機構なのです。

国会が司法(最高裁判所)の判断を無視し、政党中心の政治体制の中で、総理大臣が国会に対して立法府の長であると発言したり、政権、政党を利するために国会の解散権を行使する。もはや、我が国には三権分立(国家権力の分散化による抑制と均衡)は存在していないと思う。

そのあとに待ち受けているのは、主権者たる国民の自由と権利への侵害です。

私がこのブログを通じて有権者の皆さまに伝えたい最後の言葉

所属する政党、組織人である前に、国民、主権者たれ!

  
  平成28年7月7日    文責   世界のたま