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国家賠償請求訴訟上告審を終えて~私が最高裁に求めたもの

前回のブログの中でも述べた平成30年3月28日に私が、広島地裁に提訴した第48回衆議院議員総選挙における私の選挙権、被選挙権侵害に対する国家賠償請求訴訟(同年7月3日広島高裁控訴、12月27日控訴棄却)の上告審判決が5月29日にあり棄却され、5月31日にその判決の送達を受けた。

一連の裁判を終えて、私がこの裁判で司法に求めたものをお話ししておきたいと思う。
一つは、国会議員選挙とは何なのか、そしてその正当性についてであり、そしてもう一つは、そもそも国会議員選挙とは誰のためのものなのかということです。

第48回衆議院総選挙は、皆様も御存じのように第193回国会での財務省による組織ぐるみの森友学園問題に関する公文書改ざん、その改ざん文書の国会、会計検査院への提出、国会での虚偽答弁、そしてそれらの解明に蓋をする内閣による国会の求める臨時国会開催請求の拒否、ようやく開催された第194回国会の有無を言わさない冒頭解散、すなわち主権者たる国民の目と耳を塞いだ中での偽りの中での選挙であった。
そうした中で、私は、第48回衆議院議員総選挙に、民主主義とは何なのかを訴え、日本国憲法、公職選挙法のもとに立候補し、選挙を行いました。

① 国会議員選挙とは何なのか、そしてその正当性
私がこの裁判で、司法に問いかけたものの一つは、国会議員選挙とは何なのかということです。
国会議員とは、私たち国民の人権を侵害する可能性のある法律を作ることができる人達であり、そして、内閣総理大臣は、彼らの中から選ばれ、最高裁裁判官は、内閣総理大臣から指名、任命される。
いわば、国の立法、行政、司法すべての代表者、それを選ぶのが国会議員選挙なのです。
国家の運命を、日本国民の運命を握っているのが国会議員であると言って過言ではないのです。例えば、前回のブログで述べたおバカな国会議員が過半数を占め、彼らから、内閣総理大臣、防衛大臣が選ばれ、そして彼らが最高裁裁判官を選んだならば、もはや日本国民は、戦争へと駆り出され、たとえ司法に訴えたところでもはや止めることができず、非国民として官憲に逮捕されるのがおちでしょう。

だからこそ、日本国憲法は、前文第一文、すなわち日本国憲法の第一文で、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と定めています。その選挙の「正当性」を求めているのです。
私は、その日本国憲法が求める「正当性」とは、公職選挙法第一条が定める「その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によって公明且つ適正に行われることを確保し、もって民主政治の健全な発達を期することを目的とする」そのものであると思う。
先に述べた第48回衆議院議員総選挙は、公職選挙法第一条が求める民主政治の健全な発達を害する偽りの第193回、194回国会の下で、行われたのであり、第48回衆議院議員総選挙には日本国憲法における正当性はなかったと断言できる。

今、行政権は肥大化し、現実的には国会は国権の最高機関ではなく、内閣の下僕に成り下がってしまっている。平成30年6月15日安倍内閣は財務省による公文書改ざんに、首相の働きかけはなかったとの政府答弁の閣議決定をしたが、そこまでしないといけないのは働きかけがあった裏返しに他ならない。本当に稚拙な内閣総理大臣であり、それに従う内閣としか言いようがない。
しかし、閣議決定後の7月31日に大島衆議院議長が公式な記者会見の場で、イラク派遣の自衛官の日報の隠匿問題、森友学園問題に関する財務省による公文書改ざんなどに対して、立法府の判断を誤らせる民主主義の根幹にかかわる問題であること、政府に早期の原因究明を求め、国会に対しても行政監視の不備を指摘した。

私には、現在の日本には国会と内閣の抑制と均衡関係はもはや存在していないと思う。国会は、国会議員は内閣の下僕に成り下がっている。そうした中で、私はこの裁判を通じて国民の人権を守る最後の砦としての判断を求めたのです。しかし結果的に最高裁は、選挙権者、被選挙権者、そして主権者がよりどころとする公職選挙法第一条の解釈適用を拒否し、逃げてしまった。法律の解釈、適用をその使命とする裁判所がその使命を放棄した時、もはや国民の人権は司法によって守られることはない。

私は思うのです。三権分立機能が破たんしている中で、最終的に唯一残された私たち国民の人権を守る術が、国会議員選挙なのです。それ以外の術は日本国憲法上、存在していないのです。国会議員選挙の正当性が失われた時、もはや私たちの基本的人権は無いに等しい。

② 国会議員選挙は、誰のためのものなのか
私が、この裁判で、司法判断を求めたもう一つの理由は、国会議員選挙は、誰のためのものなのかということです。第194国会の冒頭解散もそうであったのだけれど、今の国会議員、総理大臣の考えでは、国会議員選挙は、自分たち国会議員のための選挙としか考えていない。
① で述べた様に、国会議員選挙は、主権者たる国民の権力の源であり、国民のためのものである。このことは日本国憲法に、「代表者を通じて」と書かれてあるように、その源泉は主権者たる国民にあるのです。
私は、内閣総理大臣にどのような場合に解散権はあるのかという問題も含めてこの裁判で提起したが、司法は、明らかにすることなく避けてしまった。
ただ、はっきりしたことは、国の答弁書の中で、国は、「国会議員でもない原告が」と表現していたことで明らかなように、国は、国会議員選挙とは、国会議員のためのものであるとしている。
控訴審において、財務省の改ざんに関する事実究明、解散権に対する総理大臣の認識を問うため、安倍内閣総理大臣、麻生財務大臣、佐川元理財局長などの証人申請を行ったがそれらも却下されてしまった。
現在の日本において、結果的に司法も国会議員選挙は、国会議員のためのものであるとしている。そして与野党含めた国会議員自体もそうなのだと思う。
結局、国会議員選挙が主権者たる国民のものであるのは、選挙期間のみのほんの一瞬でしかないということを痛感した。
私たちは、選挙行動を通じて、国会議員選挙を私たち主権者たる国民に取り戻さなければならない。そうしない限り、現在、将来の日本国民、そして世界の人々の基本的人権はすべて失われていってしまうであろう。

最後に、今回、私が最高裁に提出した上告理由書、申し立て理由書を、添付しておこうと思う。

上告理由書

最高裁判所 御中       平成31年2月12日 

上告人  
〒731-0212
             広島県広島市安佐北区三入東1-30-21
                  玉田 憲勲
                    Tel 082-818-1116

 広島高等裁判所第4部 平成30年(ネ)第251号 国家賠償請求控訴事件につき、同裁判所が平成30年12月27日にした棄却判決(平成30年12月28日に上告人に送達)に対し、平成31年1月4日申立てた上告の理由を以下のように述べる。
 (事件番号 平成31年(ネオ)第1号)

1.判決要旨
1)国家賠償法第1条第1項にいう「違法」とは、公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背することをいうと解すべきである。
2)上告人が改ざんされたと主張する公文書(森友学園に対する国有地の貸付けや売却に関わる決裁文書)の保管等は主権者である国民全体の利益に沿うものではあるが、これを改ざんしたり、改ざん後の公文書を会計検査院に提出したりする行為が上告人との関係で、何らかの職務上の法的義務に違背するということはできない。
同様に、財務省職員による国会議員に対する文書の配布や財務省理財局長による国会答弁は、多数決原理による統一的な国家意思の形成に密接に関連し、これに影響を及ぼすべきものであるといえるが、個別の国民の権利ないし利益のために行われるものではないから、配布文書が改ざんされたものであろうと、その答弁が虚偽であったとしても、そのことだけでは、個別の国民との関係で何らかの職務上の法的義務に違背するということはできない。
またそれらによって、森友学園や問題となっている国有地と直接の関係を有するとは認められない上告人の権利や名誉を害するものでないことは明らかである。
内閣が国会議員による臨時国会召集要求に応じなかったことや、臨時国会の冒頭で解散したことも、個別の国民の権利ないし利益に向けられたものではないから、そのことが上告人との関係で違法になることはあり得ない。

2.理由
1)原判決は、第一審判決と同様に、意図的に、公職選挙法第一条の解釈、適用を回避しており、違憲(日本国憲法76条1項)、違法(裁判所法3条1項)であり、且つ最高裁判例に反している。

司法権とは、日本国憲法76条1項、裁判所法3条1項に基づく具体的な(法律上の)争訟について法を適用し、宣言することによって、これを裁定する国家作用である。最高裁判例(警察予備隊違憲訴訟 昭和27年10月8日大法廷判決 昭和(マ)第23号民集6巻9号783頁)においても具体的な争訟性があれば憲法及びその他の法律命令等の解釈は可能としている。
控訴審でも述べたが、上告人が訴えていることは、原判決が述べるように単に請求原因事実によって、上告人の抽象的、一般的な国民の権利が侵害されたとしているのではなく、被上告人による違憲、違法な請求原因事実によって、公職選挙法第一条が保障する第48回衆議院議員総選挙における上告人の具体的な選挙権、被選挙権が侵害されたとしているのである。被上告人は日本国憲法第73条に基づき公職選挙法を誠実に執行し、国務を総理しなければならないにもかかわらず違憲、違法な請求原因事実により公職選挙法上求められる職務上の法的義務に違背し、上告人の選挙権、被選挙権を侵害したとしているのである。
すなわち、被上告人らの行為が、公職選挙法第一条に反していること、同条によって保障される上告人の第48回衆議院議員総選挙において自由に表明せる意見により公明適正に行われるべき選挙権、被選挙権への侵害、民主政治の健全な発達への侵害を訴えているにもかかわらず、原判決は、意図的に、公職選挙法第一条の解釈、適用を回避している。このことは、司法権が、具体的な(法律上の)争訟について法を適用し、宣言することによって、これを裁定する国家作用であるとする日本国憲法76条1項、裁判所法3条1項に明らかに反しており、最高裁判例(警察予備隊違憲訴訟 昭和27年10月8日大法廷判決 昭和(マ)第23号 民集6巻9号783頁)にも反している。
なお公職選挙法第一条は、その条文の中で、「その選挙が」と明記されていることで明らかなように、決して抽象的な法規範ではなく上告人の自由な意思表明に基づいた、公明且つ適正な選挙権、被選挙権の行使、民主政治の健全な発達を期することを保障する具体的な法規範である。
第48回衆議院議員総選挙における国民の審判対象たる第193回国会、第194回国会、それは、改ざん文書、虚偽答弁の下での国会審議、国会、国民への説明責任を放棄した冒頭解散、改ざん文書に基づく会計検査院報告、それらの中で公職選挙法第一条に基づいた公明且つ適正な判断、正当な選挙権の行使は困難であった。それはあたかも目を閉じ、耳を塞いで物事を判断しろというに等しく、上告人の選挙権、被選挙権に対する侵害行為に他ならない。
又、請求原因事実たる被上告人らによる公文書改ざん、廃棄に関しては、自ら停職、減給、懲戒処分を科しており、会計検査院への改ざん文書提出に関しても会計検査院が、会計検査法に反することを明らかにしている。いずれも違法行為であることは明らかである。更に、それらの違法行為は、日本国憲法第15条2項(公員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない)、第73条(法律を誠実に執行し)に反した違憲行為であることも明らかである。
被上告人に関しても、同様に原審の陳述の中で、公職選挙法第一条の解釈、適用に関しては、言及していないというより、明らかに回避しているが、被上告人に関しは、自らにとって不利な条文の解釈、適用を回避することは、当然許されるものと思われる。
しかし、日本国憲法、裁判所法に則って司法権を行使する裁判官においては決して許されるものではない。司法権の不当な行使以外の何ものではない。

 
 
2)原判決における第48回衆議院議員総選挙、並びに上告人の選挙権、被選挙権についての解釈は、日本国憲法前文、第43条、第44条、第47条及び、それら条文に則って保障された公職選挙法第一条に反している。

原判決は、被上告人によって侵害された上告人の選挙権、被選挙権を含む参政権が、日本国憲法によって保障される基本的自由権の中で最も不可侵とされる思想、良心の自由、及び表現の自由を含む、それらに準ずる重要な基本的自由権であると同時に、人権保障のための手段としての民主制における根幹としての権利であることを看過している。上告人は、原判決が述べているような上告人の一般的な権利や名誉の侵害を訴えているのではない。
原判決は「公文書の保管は主権者である国民全体の利益に沿うものである」「国会議員に対する文章の配布や財務省理財局長による国会答弁は、多数決原理による統一的な国家意思の形成に密接に関連し、これに影響を及ぼすべきものであるといえる」と述べる一方で、個別な国民との関係で何らかの職務上の法的義務に違背するということはできないとしている。
しかし、公職選挙法第一条によって保障される上告人の選挙権、被選挙権は、同条第一文に書かれているように日本国憲法に則って保障されたものであり、それは日本国憲法前文第一文「正当な選挙」第43条「全国民を代表する(正当に)選挙された」第44条「両議院の議員及び選挙人の資格は法律で定める」第47条「選挙区、投票の方法、その他両議院の議員の選挙に関する事項(選挙が選挙人の自由な表明される意思、選挙の公明性、適正性を含む)は法律でこれを定める」に基づく具体的な法的権利であり、被上告人は、公職選挙法第一条を誠実に執行する職務上の法的義務に反していることは明らかである。
さらに言うならば、上告人の選挙権、被選挙権に対する国家行為との関連性、特に、違憲、違法な国家行為がなされた場合、思想、良心の自由、表現の自由を含んだ参政権の基本的人権としての重要性を鑑みた時、その権利に対する国家行為による侵害の違憲性、違法性の判断においては、国家行為の違憲、違法推定がなされるべきである。
ゆえに、原判決が述べているように国民全体の利益に沿うものである公文書の改ざん、多数決原理による統一的な国家意思の形成に密接に関連し、これに影響を及ぼすべきものである国会議員に対する改ざん文章の配布や財務省理財局長による虚偽の国会答弁は、日本国憲法に則った選挙制度を確立し、選挙人の自由に表明せる意思によって公明且つ適正に行われることを確保し、民主政治の健全な発達を期することを目的とする公職選挙法第一条に反していることは明らかであり、公職選挙法第一条が則っている日本国憲法前文、第43条、第44条、第47条に反していることも明らかである。

 *条文内( )内は上告人が挿入
    
3)原判決の第194回臨時国会の冒頭解散や臨時国会召集の解釈は、日本国憲法第69条、第7条、第53条に反している。

上告人は、国権の最高機関たる国会の解散の実質的な根拠条文は、日本国憲法第69条のみであり、第7条でいう国会の解散は国事行為としての形式的なものであると考える。蓋し、国権の最高機関性を考えた時、解散権の行使は限定的に捉えるのが、日本国憲法の要請である。実際に、解散権の行使は内閣総理大臣の専権事項であると言われながらも、大義を根拠に行われている。
そこで言う大義とは、原判決が述べるように国民の代表者で組織される国会が、多数決原理に基づく統一的な国家意思の形成が困難になった時であると上告人は考える。
又、第53条に基づく臨時国会の召集についても、条文では議院の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならないとされている。しかし、被上告人は、その期間が定められていないことを理由にその召集を拒否し、ようやく開いた第194回国会においても国会が求める内閣による説明を拒否し、冒頭解散するに至っている。
国会が求める被上告人が行った公文書改ざん問題、国会での虚偽答弁問題、会計検査院への改ざん文書提出問題などに対する国会への説明責任を拒絶する臨時国会開催の拒否、それらを放棄する臨時国会の冒頭解散は、国会審議による多数決原理に基づく統一的な国家意思の形成過程の否定であり、日本国憲法第69条、第7条が定める国会の解散権の限界を超えており、第53条が定める臨時国会召集義務に反していることも明らかである。
さらに、民主政治の健全な発達を期することを目的とする公職選挙法第一条に反していることも明らかである。原判決の第194回臨時国会の冒頭解散や臨時国会召集の解釈は、明らかに日本国憲法第69条、第7条、第53条に反している。

まとめ
最高裁裁判官、上告人はただ単に上告人の勝訴を求めているのではありません。
多くの先人たちが、命を懸けて築き上げてきた我が国の現代立憲民主主義がこのまま崩壊してゆくことを憂いているのです。
グローバル化や経済至上主義の中、多くの国々で国家主権が台頭し現代立憲民主主義は、世界中で危機に瀕しています。
そうした中、我が国は、日本国憲法前文で、国際社会において、名誉ある地位を占めたいと誓い、第97条では、基本的自由権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものであるとして日本国憲法が、それらの権利を日本国民に保障しています。
しかし、我が国においても、国権の最高機関たる国会の大島衆議院議長がH30年7月31日「立法府の判断を誤らせるおそれがあり、民主主義の根幹を揺るがすものだ。国民に大いなる不信感を抱かせる」「行政を監視すべき任にある国会も、責務を十分に果たしてきたかは検証の余地があるのではないか」と述べているように、憲法保障制度としての三権分立機能が危うくなってきていることは明白な事実です。
最高裁裁判官、上告人は、日本国憲法上、唯一残された憲法保障制度が、主権者たる国民の権力的契機たる選挙権、被選挙権であると思います。それらが侵された時、もはや我が国の現代立憲民主主義が存在することはあり得ません。その時では遅いのです。
事前に、その唯一残された憲法保障制度としての選挙権、被選挙権を守ることができるのは、違憲立法審査権を有するあなた方、裁判官しかいないのです。  
以上

上告受理申立て理由書

最高裁判所 御中           平成30年2月12日 

上告人  
〒731-0212
                  広島県広島市安佐北区三入東1-30-21
                  玉田 憲勲
                    Tel 082-818-1116

  
広島高等裁判所第4部 平成30年(ネ)第251号 国家賠償請求控訴事件につき、同裁判所が平成30年12月27日にした棄却判決(平成30年12月28日に上告人に送達)に対し、平成31年1月4日申立てた上告受理申立ての理由を以下のように述べる。
 (事件番号 平成31年(ネ受)第1号)

理由
1)原判決の被選挙権、選挙権についての解釈は、最高裁判例(平成30(行ツ)153選挙無効請求事件平成30年12月19日最高裁大法廷)に反している。
 
原判決は、上告人が侵害された公職選挙法第一条に基づく選挙権、被選挙権を、ただ単に、形式的な選挙する権利、立候補する権利ととらえているが、最高裁判例(平成30(行ツ)153選挙無効請求事件平成30年12月19日最高裁大法廷)は選挙権の平等を、形式的なものとしてではなく、実質的な投票の価値の平等を要するものとしており、選挙権を形式的な権利としか判断していない原判決は最高裁判例に反している。
     
2)原判決は、我が国における憲法保障制度の現状を看過している
      
日本国憲法における国民の基本的人権を守るための憲法保障機能を鑑みた時、日本国憲法の最高法規性、公務員の憲法尊重義務などの道義的規範を除けば、制度的には、三権分立による抑制と均衡、裁判所による違憲審査制、そして主権者たる国民の権力的契機たる選挙権に尽きるであろう。
しかし、三権分立制度においては、行政国家化現象、政党国家現象のもとで機能不全に陥っている。被上告人による公文書改ざん、改ざん文書の国会、会計検査院への提出、国会における虚偽答弁、国会への説明責任を放棄した臨時国会召集の拒否、臨時国会の冒頭解散、これらは、国民の人権保障機能たる三権分立制度の機能不全以外の何者ではない。
そうした中で、民主政治の健全な発達を期することを目的とした公職選挙法第一条に基づく選挙権侵害に対する原判決は、我が国における憲法保障制度の現状を看過し、人権保障の最後の砦としての役割を放棄している。
結果として、現実的に、国民の安全保障に関わるPKO派遣した自衛官の日報に関する国会での虚偽答弁、入管法改正での国会提出資料の改ざん、障害者雇用における中央省庁の水増し改ざん、働き方改革法案国会審議での虚偽答弁、直近では、基幹統計である毎月勤労統計の改ざんなどが生じている。これらすべて国民の生活に直結する、言わば国民の基本的人権に直接かかわるものである。原判決が述べるような個別の国民との関係で何らかの職務上の法的義務に違背するということはないとする判断をしている限りは、より一層の被上告人による人権侵害がなされる蓋然性は高い。
 そうした三権分立制度が機能不全状態にある中で、唯一残された憲法保障制度としての選挙権の侵害に関する司法判断は、最も厳格な違憲、違法判断が必要とされるはずであり、原判決は不当である。

3)三権分立制度における司法は、その司法判断において、立法府の判断により耳を傾けるべきである。

平成30年7月31日に、国会の大島衆議院議長は森友学園をめぐる財務省の決裁文書改ざん問題や、自衛隊イラク派遣での日報問題などについて、「立法府の判断を誤らせるおそれがあり、民主主義の根幹を揺るがすものだ。国民に大いなる不信感を抱かせる。政府には、問題を引き起こした経緯や原因を早急に究明し、再発防止のための運用改善や制度構築を行うよう強く求めたい」と述べ、国会に対しても「行政を監視すべき任にある国会も責務を十分に果たしてきたかは検証の余地があるのではないか。国会として、正当かつ強力な調査権の、より一層の活用を心がけるべきだ」と述べている。
国権の最高機関たる国会の長が、現在の我が国の三権分立制度の機能不全を指摘し、民主主義の根幹を揺るがすものだとしているのです。司法の独立を尊重し、司法に対しての所見は述べておられないが、上告人は、司法府に対してもその責務を果たしてきたのかの検証を求めているのだと思う。立法府の判断に、耳を傾けない原判決は、不当である。

最後になりますが、最高裁裁判官、上告人は、主権者として、司法府が三権分立制度における立法府の判断に真摯に耳を傾けて下さることを願ってやみません。
                               以上

        令和元年6月2日  文責   世界のたま