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君は、記号化を止めないのか

戦争、テロ、震災、難民、香港やレバノンなどでの民主化運動、ミャンマー、ウイグル、チベット、スーダン、シリア、アフガニスタン等々での記号化された人たち

先日、イギリスでトラックのコンテナの中から39人のベトナム人を中心とする移民の遺体が発見された。彼らを運んだ者たちも、そして彼らによって運ばれていた移民たち自身も貨幣によって記号化された人間に他ならない。

我が国に目を転じれば、この度の相次ぐ台風によって亡くなり、負傷し、家屋を失った人々、農作物や家畜などの生活の糧を失った多くの人々も記号化されてしまっている。

そうした中で、二人の大臣の二つの発言が問題となっている。
一つは、萩生田文科省大臣の「身の丈」発言である。それは、2020年から予定されている大学入学共通テストにおける英語の民間テストの経済格差による不平等に関する問題である。確かに経済的豊かな受験生は、試験費用のかかる民間テストの模擬試験を何度も受けられることが可能であろうし、受験地までの交通費用も経済的に恵まれない受験生にとっては不利になることが予測される。

もう一つは、河野防衛省大臣が、講演の中で行った雨男発言である。自分自身が雨男であるとした上で、今回の三つの台風による雨を引っかけたのである。

彼らは、経済格差によって苦しむ人たちや、今回の豪雨災害そのものはもちろん、それらによって被災された方々を記号化してしまっている。
そうした彼らに、現実に存在している経済的弱者や、被災者一人一人の苦しみが届くことは決してあり得ない。

貨幣とは、人々が物の交換性を高めるために、人々の生活を利するために作り出されたものである。それは、所詮単なる手段に他ならない。
現在、世界の億万長者の数に関して言えば、中国がアメリカを抜いて世界一に躍り出ており、日本はちなみにアメリカに次ぐ3番目に多い。又、我が国の企業の内部留保について言えば、500兆円に達しようとしている。
一方で、貧困層は増え続けており、人々の経済格差の拡大は、我が国において、そして世界中で進行している。

AI社会、それは人が対象を記号化し、そして自らをも記号化された社会にほかならず、それ自体が何の解決をもたらすものではない。
犯罪防止、抑止のための顔認証システムは、言論、出版、表現などの手段としての自由権を侵害し、人間にとっての核心である内心の自由をも侵害する。
そうした中で、現実的に日本国内では、名古屋での芸術祭での出展問題、又、映画祭での出品問題が生じており、海外でも香港においてデモ参加者へのマスク着用の禁止などの問題が生じている。

防災対策、自然災害予知、災害復旧廃棄物選別、各分野で最先端技術は進歩していると私たちは錯覚しているが、それらは、あくまでも人間が生存できる自然環境、地球環境を前提としている。その前提となる人間にとって検証困難なカオスな自然環境、地球環境に関しては、目に蓋をしたまま決して見ようとはしない。
それはまるで液状化現象が起きている土地の上に、液状化する現実には目をつむったままで、科学技術を駆使して一生懸命家を築こうとしているに等しい。

時は金なりという言葉が端的に物語っているが、現代社会における時間は、作られた時間である。効率よく利益を上げ、早く開発したものが高利益を上げる一方で、時間を買われたものたちは低賃金で、残業を強いられる。そしてそこで言う時間とは、所詮すべて記号化された時間に過ぎない。増え続ける派遣社員も記号化された人間に過ぎない
そうした中でも記号化し得ない自然時間は決して変わることなく、更なる記号化を推し進める人間社会を横目に見ながら、時を刻み続けている

AIによってもカオスなもの、カオスな現象への対応は困難であり、AIはどこまでいっても所詮、単なる手段にすぎない

大自然、人間を取り巻く環境はもとより人間含めた全ての生物もカオスな存在である。言語含めた文化、民族、宗教それらカオスなものに関わる問題を現代社会の経済至上主義、AI化という記号化の下で、解決することは不可能である。

私たちは何をすべきなのか
最も必要なことは、一人一人の人間、一個一個の生物、一つ一つの現象を自己投影し、自己のものとすることであり、それは一人一人の真の理性化である。

それらの前提は、一人一人の人間、一個一個の生物が、一つ一つの現象が記号化されないことであり、他者を記号化せず、自らも記号化されることのない生き方をすることである。

アメリカを中心とする国際社会は、今回のイスラム国指導者バグダディの殺害によってイスラム国の弱体化が進み、テロ抑止につながると合理的解釈している。

しかし、テロとは何なのか。 
個人、団体による自らの主義主張を通すための暴力的破壊行為であるとされるが、テロとは、所詮、カオスな行為である。民族、宗教、経済格差、国家体制などの違いなどをその要因として生じるカオスな行為である。

21世紀に入ってブッシュ大統領はテロとの戦いと称してアフガニスタン侵攻、イラク戦争に突入した。

今年に入ってからも世界中でいくつもの大きな収拾のつかない山火事が発生し、世界中でいくつのも洪水が発生している。我が国においても、今回の台風被害を考えればわかるが、ハザードマップの限界、ダムを含めた防災システムの限界を明らかにしている。
地震予知が不可能であるとしたように、アメリカの研究機関もパリ協定の基準が守られたとしても異常気象による被害人口は当初の予想を超えるとしているが、私は超えるというレベルのものではないと考えている。

人間は、すべてのものを、すべての事象を記号化してきたし、現在もその記号化の波は止まることをしらない。

カオスな世界において、記号化することに何の意味もない。
カオスな世界を前にして、記号化は無力である。

アメリカ、ロシア、中国、EU、日本など、そのうちのどの国が政治的、経済的、軍事的に超大国になろうと、記号化された社会であり続ける限り、現在、将来の世界中で生じるカオスな事象に対する答えを出すことは不可能である。

我が国においても、自民党が絶対多数を取ろうが、野党が多数を取ろうが、記号化された社会を変えない限り、カオスな事象に対する答えを出すことはあり得ない。

記号化された社会の末路は明確である。
カオスな事象に、間違いなく記号化された社会は、いとも簡単に飲み込まれてしまうであろう。

最後に、もう一度尋ねてみよう。
君は、記号化を止めないのか。

    
     2019年10月30日  文責  世界のたま