近代以降、人間は、神や君主から自らを解き放ち、自己を認識して、自己実現を図ってきた。
法の支配や、市場経済社会、科学技術などの手段も作り出してきた。
しかし、現在の私たちの世界は、手段が、目的にすり替わってしまっている。
暴走化した手段は、自己実現という目的をも破壊し、人間の存在する基盤たる自然をも破壊してしまった。
今、私たちは、原点に立ち返らなければならない。
今、私たちが立ち返らなければ、私たち人類の未来はない。
そのために、今の私たちに必要不可欠なもの、近代の原点に立ち返ればわかるのだけれども、それは、更なる経済発展ではなく、更なる科学技術の発展でもない。
それは、自己実現のための手段として、私たち人間が作り出した自己統治、すなわち真の民主主義である。
現在の私たちが失った真の民主主義を復活させるために必要不可欠なもの
それは、制度ではない。組織でもない。代表者でもない。
私たち一人一人の中に内在する公的側面の確立以外ない。個の中に全体があり、個々の公的部分の確立なくして決して全体が変わることはあり得ない。
そうしてみた時、現在の日本のおバカな安倍、菅、麻生を筆頭とする与党や、何の目的も持たず、意味のないその場限りの離合集散を繰り返すおバカな野党では、現在の日本、世界を取り巻く難局を乗り越えることは絶対に不可能である。
そもそも現在の彼らに、将来の国民のために難局を乗り越えようとする覚悟は毛頭ない。自分たちが生きるであろう残り少ない彼らのしょうもないちっぽけなくだらない人生のこと、自分たち自身のことにしか関心はない。
特に、おバカな河井夫婦が犯した公職選挙法違反の共犯であるおバカな安倍、菅、麻生を筆頭とする与党は、もはや政党組織ではなく犯罪組織である。
盗人猛々しいというが、犯罪集団に成り下がっている今の安倍を中心とした政府、与党は、国難というどさくさに紛れてマスクや、持続化補助金などの様々な理由をつけて国民の血税をかすめ取り続けている。
しかし、これは我が国に限ったことではない。
世界を見まわしてみればいい。中国の習、ロシアのプーチン、アメリカのトランプ、大国とされているすべての国家において、同じことが言える。
彼らが国家の代表者である限り、現在の世界を取り巻く難局を乗り越えることは困難である。それどころか彼らは、ヒトという種の絶滅さえも加速させている張本人でもある。
私は、コロナウイルスの感染拡大は、確かに大きな問題であるとは思っているが、起こるべくして起こっているに過ぎない。今回のコロナウイルス感染問題は、近年、世界中で頻発している洪水、山火事、地震、干ばつ、それらに伴った原発事故含めた様々な事象と同様に、ヒトという種に対する自然からの警告の一つに過ぎないと思っている。
そしてそれは、ありとあらゆる自然からの警告を無視し、経済至上主義の中で自然破壊を推し進める人類に対する、その規模(世界のあらゆる地域)、その内容(経済至上主義の元凶であるグローバル化経済社会の停止)においてなされた最大級の警告である。
しかし、それは、私には、警告であると同時に、コロナウイルスという自然を通じたヒトという種の在り方への示唆に思えてならない。(人類を即死させるわけではなく、その致死率は若年層では低く、高齢者や生活習慣病者では高い。このことは、自然が現段階において、ヒトという種を絶滅させようとしているのではなく、生き残そうとしていることを意味している。)
そうした中で、ヒトが生存し続けるため考え出した生活様式を、世界中の人々は、「新たな生活」と呼んでいるが、私から言わせると、現在の経済至上主義社会を前提とした現在の富ある国家、富ある人々を当面守ってゆくためだけの、短期的な視野の中で作られた稚拙な生活様式以外の何者ではない。
そして、ヒトという種を最終的に絶滅させるものは、決してコロナウイルそのものではない。
その先にある現在世界中で進行している人間社会そのものが、間違いなく確実に人類の滅亡、ヒトという種の絶滅へと導くであろう。
つい最近まで、私自身が、その絶滅の時を見ることはないと思っていたが、コロナ感染拡大の中での各国の対応を目の当たりにしている今では、おそらく私自身もその瞬間を見ることになるであろうと確信している。
人間が、コロナ感染拡大に目を奪われ、「新たな生活」で生きながらえると能天気に考え、コロナウイルス感染を通じた自然からの人類への問いかけの真の意味を、私たちが真剣に受け止めない限りにおいては、もうじきその時は必ず訪れるであろう。
このままでは、私自身のみならず、あなた方自身も、人類滅亡のその瞬間を、近い将来、必ず目撃することになるであろう。
1) コロナウイルス感染拡大の意味するもの
まず第一に私たちが確認しておかなければならないことは、世界中で終わることのないコロナ感染拡大そのものに関して言えば、それは、自然界に対して人間自身が行ってきた他の生物の多様性の破壊、環境破壊、それらが、ヒトという種、自らに降りかかっているだけのことである。至極当然の単純な話である。
何故ならば、人間も自然の一部に過ぎない以上、自然破壊がもたらす影響は、ヒトという種に降りかかってくることは、必然であり、避けることは不可能である。
今年を含めて近年、世界中で多くの人々の命が失われている地震、洪水、森林火災、最近ではバッタの集団発生による作物被害等々、人間はこれらを自然災害と呼んでいるが、これらは全て人間自らが引き起こした自らも属している自然に対する災害に他ならない。
言わば、自分で自分の首を絞めている愚行に他ならない。
多くの愚かでおバカな政治家や、専門家が、未曾有の自然災害と雄叫びを上げているが、自分のケツに穴が開いているのもわからずに他人の穴が開いたケツを見て笑っているレベルのおバカさ加減である。
そして、その結果として多くの人間の命が失われているが、それも自然がヒトという種を含めた種の多様性、地球環境維持のために行っている自然によるヒトという種の自然淘汰に過ぎず、それは自然の摂理に他ならない。
2) 偽りの世界~その要因
以前にもお話したが、人間は、科学的な思考に基づいたものでなければ、受け入れない傾向にある。そうした人間は、二項対立的思考でコロナウイルスに対しても考えていると私は思う。わかりやすく言えば、コロナウイルスに関して言えば、人間は、コロナウイルスが悪であり、ヒトが善であると考えている。
しかし、よくよく考えてみた時、コロナウイルスはおそらく突然発生したわけではなく昔から生存していたのではないかと思う。そして、世界中で爆発的にヒトヒト感染をし始めたのが最近になってからであろう。
そうしてみた時、ヒトヒト感染を起こすきっかけになったのは何なのか、何故なのかを考えてみて思うのは、おそらくその原因を作ったのは、コロナウイルスではなく、ヒトなのではないかと思う。コロナウイルスの宿主はコウモリなどの動物であろうが、中国の経済成長の中で、自然破壊が行われ、コウモリなどの宿主の生息地が失われ、人間社会に近づかざる負えなくなったのではないか、それらを食する人たちが増えたのではないか、風土病とされていたものが、経済発展の中で、地域内のみで移動していた多くの中国の人の行動範囲が広がったせいで広がったのではないのか、少なくとも多くの中国の人々が、海外に渡ったがゆえに急速に世界中に広がったことは事実である。
科学的思考方法でいえば、還元主義的思考方法も、私は、コロナウイルス含めた自然というカウスな世界においては、無力であり、何の意味もなさないと確信している。世界中に感染拡大して以降、重症化を防ぐためのいくつかの薬剤が試され、投与されているが、真の意味での特効薬には程遠い、又、現在世界各国で、今までのワクチン開発とは違った遺伝子操作技術を駆使したワクチン製造が早いものでは治験段階にまで来ているが、臨床の場でのその効果、副作用に関しては、未知数である。
私には、これらの稚拙な科学的思考に基づいた発想では、カウスな自然から生まれたコロナウイルスに打ち勝つことは不可能であると確信している。
それはコロナウイルスが持つその感染力の強さ、その変異のスピードの速さ、感染後の循環器を中心とした多臓器への障害などのみでそう言っているのではない。
そもそも論であるが、コロナウイルスがせん滅されるべき悪であり、ヒトが善であるという二項対立的な考え方に無理がある。冒頭にも述べたように、そもそも自然を破壊してきたのは人間の方である。
私には、生物が存在しうる地球環境が、限界点に達する中で、自然が、ヒトも含めたすべての生物の生存環境の防衛のために、人間が自然災害と呼ぶ事象を防衛反応として引き起こしているとしか思えない。自然からしてみれば、ヒトも含めた生存基盤を守ろうとしているだけなのに、それを自然災害と呼ばれて、たまったものではない。
そして、その一つがコロナウイルであり、その目的は、地球環境を破壊する人間の過剰な経済活動の停止であり、最終的にはそれらの根源である人間、すなわちヒトの自然淘汰に過ぎない。世界中のヒト以外の多数の生物が、人間による自然破壊の中、その種の絶滅の時を迎えているが、それがヒトに生じているに過ぎない。
それは、現代社会の中ではごく見慣れたありふれた風景に過ぎない。
しかし、ヒトは、自分たち人間に事が及ぶと人間中心主義の中で、てんやわんやの大騒ぎになってしまっているに過ぎない。
私には、ヒトがそんなに他の生物と比較して優れた生物には見えない。ただ単に往生際の悪い生物以外の何者ではない。
先ほども述べたように、カウスな自然を相手に、自然から生み出された一つの種に過ぎないヒトが科学という稚拙な武器を手にして戦ったところで初めから勝負はついている。
ヒトが自然の摂理にあらがうことは無意味である。
そんな人間が取れる手段は、都市封鎖、社会的距離ぐらいである。そうした中でも、ヒトは、一時的には、自然免疫をつけ、多くの死者を出しながらも生き延びることは可能であろう。
しかしそこから何の教訓も得て何の実践もしない限りにおいては、人間社会という狭い社会の中での政治、経済において生ずる諸問題の中で、コロナ感染をきっかけとして、人間同士の共食いは加速され、ヒトという種の絶滅の危機を回避することは困難であろう。
コロナ感染問題は、所詮、単なる引き金に過ぎない。
自然は人間を試しているに過ぎない。
ヒトという種が存在に値するのか否かを
政治的には、世界中で、コロナ感染拡大の中で様々なことが起きている。
香港で施行された国家安全維持法により2047年まで保障されていた香港の自治はもはや風前の灯火となってしまった。実際に同法による香港当局による検挙が始まっており、オーストラリア、イギリスなどは香港からの脱出者の受け入れなども検討している。
そうした中で、中国との貿易と人権との駆け引きの中で各国の様々な対応が行われている。
その中でも深刻化しているのが米中対立であり、直近では、総領事館閉鎖の応酬が行われた。
アメリカによる機密情報の漏洩に対する通信大手のファーウェイの使用排除、イギリスのジョンソン首相もこれに追従している。今後、オーストラリア、日本、EU諸国がどう対応するのかが問題となっている。
中国との国境問題では、インドとの間で実際の戦闘が行われ双方に死傷者が出ているし、中国とベトナム、中国とブータンとの間でも予断を許さない状況になっている。
南沙諸島をめぐっては、周辺諸国のみならず、イギリス、アメリカが実際に空母をその近海に展開している。
アフガニスタンにおいてロシアがアメリカ兵やイギリス兵の殺害に対して懸賞金をかけていたことが報道されていた。
2011年に生じたアラブの春で、アラブ諸国で民主化が進んだかに見られたが、その後、多くの国で内戦状態の再燃化が起きている。
リビアでは、再び内戦状態になっているが相も変わらず、その背後には、諸外国が絡んでおり、石油資源があるだけにそれらを巡る駆け引きも加わっており解決には程遠い。実際に石油製油所を抑えている反政府勢力にはロシアの傭兵が常駐している。
シリア内戦が始まって10年近くになっているが、食品は200%も上昇し、食糧難の中で、シリア国内に1200万人もの人々が支援を必要としている
レバノンにおいても経済は疲弊し、ヒズボラとイスラエルとの間で国境を巡っての争いも生じている。
ナイル川の水利権を巡っては、エジプト、エチオピア、スーダンの三国間でダム建設に伴って争いが生じており、アフリカ連合の中で協議されたが物別れに終わっている。
我が国に目を転じれば、おバカな安倍政権による検察庁の私物化、その集大成とした黒川検事総長誕生の画策も、表向きは、おバカな黒川高等検事長のかけマージャン問題で失敗に終わり、おバカな河井夫婦の公職選挙法違反に対する百日裁判が進行しており、8月中にも判決が下される予定になっている。最高裁による杏里の保釈請求も棄却されており、おバカな両名の辞職は時間の問題であろう。
現在、日本を含む世界で起きていることは、その程度の差は別にして根本は同じことである。
それは一言で言えば言論統制である。
そして、その統制方法は千差万別である。ロシアにおいては、主要メディアはプーチンの支配下にはいってしまっている。中国に関して言えば、そもそも国民に言論の自由はない。天安門事件がその代表である。そうした中で、科学技術を利用して徹底した監視社会を作り上げてきている。
日本やアメリカに関して言えば、一見言論の自由は存在しているが、経済至上主義がもたらした経済格差を利用した民主主義の崩壊が生じている。民主主義の核心は、少数者が話し合いの中で多数者になりうる可能性であり、その前提が言論の自由の保障である。
自由な発言がないところで、話し合いの意味は存在しえない。グローバル化した経済の中で、先進国においては、経済格差が広がり、貨幣による人間のコントロール、言論の自由、民主主義への侵害が明らかになってきている。
桜の会問題や、おバカな河井夫婦問題での金銭による票の買収は、民主主義制度の根幹である選挙制度を崩壊させ、その結果として偽りの議会、政府による権力の行使、そうした結果が、最終的に現在の日本の忖度政治につながっている。そしてそれが、起訴権を独占する検察に関していえば、今回のおバカな黒川検察官人事につながり、もっと言えば最高裁裁判官人事にも及び、すべての国民の言論の自由含めた人権侵害に直結している。
経済においては、1990年代のインターネットの普及と同時に、グローバル経済化し、大企業を中心としたサプライチェーン化が進み、それと同時に在庫を持たないジャストインタイムシステムが構築された。
そうした中では、必然的に世界中で政治体制は別にして、経済格差が生じてきており、特に民主主義が培われていない国では、急速な経済発展が、より深刻な経済格差を生んでしまっている。そうした中で生じた深刻な経済格差は、その結果として先にも上げた言論の自由を含む民主主義国家と比較にならないより深刻な人権侵害を生じてしまっている。
現在の中国が典型例であるが、鄧小平による改革開放路線の中で急速な経済発展を成し遂げた一方で、ウイグルをはじめとする多くの少数民族への弾圧は熾烈を極め、結果としての天安門事件は必然であった。
グローバル化した世界経済の中での中国に対する依存度は増しており、そうした中で生じている現在の中国による国内、国外への非民主的な強硬路線は、起こるべくして起こった必然に過ぎない。
EU各国におけるコロナ感染拡大の中での、疲弊したヨーロッパ各国の経済復興のためのヨーロッパ復興基金問題がようやく解決した。復興基金の如何なる割合を返済義務のない補助金とするのか、返済義務のある貸し付けにするのかでもめていたが、ようやく決着を見た。
この問題の背景には、オランダ、デンマーク、オーストリア、スウェーデン、フィンランドなどの倹約5か国とイタリア、ギリシャなどの国々との対立がある。
3) 偽りの世界からの脱却
現在の我が国におけるおバカな安倍を筆頭とした忖度政治、忖度社会は、まさに裸の王様そのものである。真実でない事実が、真実とされている偽りの社会に過ぎない。
それは日本に限ったことではなく、現代社会全体が、偽りの社会になってしまっている。
近代以降、物心二元論に加えて、人間は、人間中心主義の中で、科学的に証明されたことのみを真実としてきた。
しかし、ヒトは、自然界の中の単なる一つの種に過ぎない。
人間中心主義は誤っており、人間を取り巻く世界は、実際にはカウスな世界である。科学という手段をもってしても解明することのできない世界である。
行き過ぎた人間中心主義、科学主義を前提とした現代社会は、所詮、偽りの世界に過ぎない。
人間が生存し続けるために、ヒトという種が絶滅の危機から逃れるためには、私たち人類が偽りの世界から脱却するしかその術はない。
私は、近代以降の世界を決して否定するものではない。すべての生物は、脳幹部を中心とした自己防衛本能を備えており、それぞれの生物が、それぞれの種の保存行動を図り、個体の生存のための本能的行動を図ることはごく自然のことである。又、近代以降、ただ単に神を崇め、自然を恐れた生活から、個に目覚め、自己実現、自己統治のための科学の発達、法の支配の確立、市場経済の確立を図ってきたことは至極当然の流れであると考えており、否定するものではない。
しかし、近代から現代社会に移行して以降、人間は、行き過ぎた人間中心主義、科学主義の中で、暴走してしまっている。
理性という物差しで、人間中心主義の根源である脳幹部と科学主義の根源である前頭葉とのバランスが図れるうちは良かったのであるが、1900年後半以降、世界中の個々の人間がより経済的豊かさを求める中、物欲、金銭欲、性欲などの脳幹部に起因する欲望は、増大する一方で、必然的に前頭葉に起因する科学万能主義、学歴社会も同時に発達させた。
しかし、そうした中で、特に2000年以降、それらのバランスをとるべき理性のみが退縮してしまったのだと思う。
すなわち、理性を失った世界が、現代社会である。
言い換えれば、欲とは、経済至上主義であり、理性とは、民主主義である。
別な言い方をすれば、欲とは、自己実現であり、理性とは、自己統治であるともいえる。
私は、先ほども述べたが、欲は、如何なる生物も持っている。しかし、ヒト以外の生物は、自然によってその欲望のコントロールがなされてきた。
ただ人間だけが、拡大再生産をその使命とする資本主義社会と科学を発達させる中で、不必要な欲望を喚起させ続け、今日の自然破壊を招いてしまった。
何度も言うが、コロナウイルス拡大自体が、大きな問題なのではない。途中経過は別にして、自然の摂理の中で、自然がヒトという種のバランスをとっているだけのことである。
問題は、コロナウイルスが人間に問いかける課題に対してのその答えである。
その答えが、コロナ感染拡大の中で、先に挙げた、今現在世界中の国々や我が国が行っていることであるとすれば、自然は、徹底的なヒトという種の淘汰を成し遂げるであろう。
偽りの世界から脱却するために最も重要なこと、それは、冒頭に述べたように、自己実現そのものではなく、自己実現するための手段としての自己統治である。
現在、世界中で、盛んに経済活動の再開が進められており、そのために世界中の中央銀行は、前例のない金融緩和政策を推し進めている。そして政府も際限のない財政出動を行っている。
各国とも自国中心主義を色濃く出しており、そうした中で、先に挙げた国境を巡る問題が生じ、実際の戦闘も生じている。
我が国自身も、専守防衛と言いながらも、与党内部から敵基地攻撃論が出てきている。
今までも何度も述べてきたが、安全保障制度において、敵基地攻撃論などを持ち出せば、セキュリティジレンマの中でのセキュリティパラドックスを生じさせるだけで、逆に弱めてしまうだけである。何の意味も持たない幼稚な発想以外の何者でもない。
現在の政府を含めた政権与党がコロナ感染対策、経済政策、安全保障政策、すべての面で、日々考え方がぶれているのは、日本という国家のあるべき姿や、これからの世界がどうあるべきかの確固たる信念がないからに他ならない。
彼らが自然との関係に根差した真の理性を持ち得ていないからに他ならない。
彼らに、近代以降の人間の歩みの中でどこが誤りであったのかという歴史的立体的考察ができていないからに他ならない。
今のわが国、世界にとって、コロナウイルス感染拡大に伴うパンデミックの中で、私たちが取り組むべき課題の優先順位が何なのか、安全保障政策なのか、経済政策なのか、手段としての民主主義なのか、あるべき確固たる国家観、世界観がない限りその優先順位の選択は困難である。
私たち人類が、現在の偽りの世界から脱却する唯一の方法は、私たちがまず取り組まないといけないことは、何度も言うが、世界経済発展のための手段としての民主主義、個人の自己実現のための手段としての民主主義、そうした真の民主主義の確立のみである。
そうして考えた時、私は、もう一度冒頭で述べたことを繰り返すしかない。
現在の日本のおバカな安倍、菅、麻生を筆頭とする与党や、何の目的も持たず、意味のないその場限りの離合集散を繰り返すおバカな野党では、現在の日本、世界を取り巻く難局を乗り越えることは絶対に不可能である。
2020年7月30日 文責 玉田 憲勲