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現代社会は、瞳を閉じてしまっている~見えない、見ようとしない社会

アフガニスタンで、中村医師が銃弾に打たれて亡くなられた。
アフガニスタンといいう国は、帝国の墓場とも言われてきたように、その歴史は侵略との闘いの歴史である。古くは、ムガール帝国、大英帝国、モンゴル帝国、そして、近くでは、1978年、日米と中国との接近の中でなされた旧ソ連によるアフガニスタン侵攻、そして2001年9.11事件をきっかけとしてなされたアメリカによるアフガニスタン侵攻、そしてNATOとアフガニスタンとの闘いは、今現在も続いている。
そのような地で、中村医師は亡くなられた。

瞳は、心の窓といわれている。
私は、現代社会は、瞳が曇って見えない、心を閉ざした社会であると思う。瞳が曇り、心を閉ざしている原因は、私たち自身に刷り込まれた経済至上主義である。

私たち人間は、自然破壊をし続ける中で、数多くの種を絶滅させ、生物は、その多様性を失っている。そして私たち人間自身も、お互いを傷つけあい、そうした中で、ヒトという種内での多様性、又、文化の多様性をも失ってきている。

そして、その原因は、私たち自身にある。私たちは、心を閉ざし、瞳を曇らせ、その原因が見えていないか、たとえ見えていたとしても見えないふりをしている。

過去を、振り返ってみれば、第二次世界大戦前の、日本やドイツの国民の多くはある意味で情報が限られていたかもしれないし、それが原因で判断を誤ったのかもしれない。
しかし、情報があれば、より正しい判断、物事を見ることができるのかと考えたとき、私はそうではないと思う。現代の情報化時代、すべてが見えていると私たちは、錯覚をしている。
あの時代とは違うと、過信している。
私たち自身の瞳が濁り、心が閉ざされた中での情報は何の意味をなさない。

国内を見れば、先の桜を見る会問題、森友、加計学園問題、国外を見れば、ウイグル、チベット、ロヒンギャでの迫害、北朝鮮、香港、シリアなどをめぐる問題、様々な問題が存在している。それらの情報を、日本中で、多くの国民が、そして世界中でも多くの人々が、共有しており、その瞳にそれらが映っているはずであるが、心が閉ざされている限り何の意味もない。
如何に多くの情報があったとしても、その情報の氾濫の中で、自分自身が、自分の回り、最終的には自分自身しか見えなくなってしまっている現代社会において、人類は同じ過ちを必ず繰り返す。第二次世界大戦と同じ結果を招くだけである。

そうした中で、最も重要な問題は、人類が自然を破壊し地球環境を再生不能状態にしていることである。私たちは、将来の国民に対して、心を閉ざしてしまっている。

その主たる原因たる経済至上主義の中で、わが国日本は、経済発展し、一億総中流社会を作ってきたが、国内、国外でのパイは小さくなり多くの国民は、中流から脱落してその格差は広がってきている。他者を蹴落とし、生き残ろうとする社会、しかし、どこまで行っても、そこにいるのは、所詮、企業の駒でしかない存在、記号化された人間でしかない。

このことは、わが国に限ったことではない、イギリス総選挙が明らかにした問題、保守党が勢力を伸ばし過半数を獲得、一方で労働党が大幅に議席数を減らした。年明け早々にもEUからの独立問題が現実化してゆくが、北アイルランド問題、スコットランド独立党の躍進など、新たな問題を抱えている。この問題の特徴は、国内と、国外に対する一国中心主義に共通する問題である。すなわち国内的には自立を阻止し、国際的には自立を勝ち取ろうとする二面性である。
この二面性はトランプ大統領の一国中心主義以降、世界中で顕著になってきている問題であり、イギリスでも顕著になってきただけのことだ。中国での香港、ウイグル、チベットに対する弾圧、自立の阻止と他国に対する経済進出、アフリカ、アジア地域での自立に対する干渉という相対する二面性も同様な問題である。
インドでのカシミール問題、スペインでのカタルーニャ問題も同様な問題である。

経済至上主義がグローバル化する中で、一部の経済的勝者が一時的な生き残りをかけた戦いの結果、多くの国民は意図的に分断化され、迫害、弾圧されてしまっている。しかし、最終的にはっきりしていることは、結果として何も、そして誰も残らないということだ。私たちは間違えている。
私たちを待ち受けているもの、それは、勝者もいない世界である。

勝者もいない世界、言い換えれば、それは、私たち人類のいない世界である。
コップ25が閉幕したが世界がまとまることはなかった。
フィンランド、チェコは、原子力をクリーンなエネルギーに含める決議案に入らなかった。

この年末年始も世界中で多くの人々が海外旅行を計画しており、わが国においても過去最高の72万以上の人々が海外旅行すると思われる。移動するための航空機含めて、それらによって温室効果ガスは増大し、多くの小さな海洋諸島国はじめとする経済的弱者の人たちにそのしわ寄せは集中する。気候アパルトヘイト問題である。

経済至上主義がグローバル化する中で、一億中流社会が崩壊し、経済的な格差社会が生じているが、このことは、気候アパルトヘイトでも同様である。我が国においても阪神淡路大震災、東日本大震災、西日本豪雨災害など一部地域の自然災害、原発災害と考えているが、世界中のすべての地域でいつ起こってもおかしくない現実的な問題である。

コップ25では、気候アパルトヘイトによって迫害されている地域、諸国と経済大国すなわち経済至上主義に洗脳された迫害者との溝は埋まらなかった。

しかし、歴史は証明するであろう。今だもって南アフリカのアパルトヘイト問題は解決していないが、それらが過ちであったように、中流社会が崩壊したように、多くの世界中の人々が、環境破壊によって、その財産、生活、命を失った時、自らのこととして気づくのであろう。しかしその時では遅いのだ。

先日の国内のニュースで、男性国家公務員の育児休暇を一か月以上取ることが議論され、法制化の方向で検討されているようなことが報道されていたが、一方で、この年末年始も休暇を取ることすらままならないコンビニはじめとする中小零細企業の多数の労働者が存在している。

桜を見る会、森友加計学園、カジノを含むIR、東京オリンピック、センター試験などすべての問題はすべて共通している。

最終的な丁寧な議論はなされず、一部の者たちだけによる一部の者たちのためになされている忖度政治に他ならない。

忖度された結果が押し通されるのであれば、如何なる知識を得たり、如何なる学問をする必要性は何一つない。
今回のセンター試験における論文試験の導入問題は、一人一人の受験者の思考を問うものとしていたが、現代社会の中で、そもそも思考能力を問う必要性は存在していない。忖度政治の中では、思考する意味はないのだから

現代社会は、原因と、結果、そしてその過程がつながっていない社会である。
経済至上主義社会の中では、貨幣含めた経済的価値がすべてであり、経済的勝者にとっては、説明責任がいらない世界になってしまっている。一方で、経済的弱者は、その発言権を奪われている。コップ25での環境問題や国連総会での核兵器廃止問題で明らかであるように

説明責任のいらない社会においては、論理的思考や、知識など何の意味もなさない。
そしてその行くつく先は、経済的弱者はもとより、経済的勝者も生き残ることのできない世界である。

私たちは決して瞳を閉じてはならない。
決して心の窓を閉ざしてはならない。

  2019年12月30日  文責  玉田憲勲