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遅くなってすみません~政党選挙の排除に関する有権者の質問への回答

7/8にメールで質問受けていましたが、見落としていました。(あまり普段ネット利用するのは好きではないので)昨夜(7/11夜)にブログを見ていて気付いた次第です。誠に御返事遅くなって申し訳ございません。

(御質問)政党政治の悪いところを排除したり、国民と政治家が賢く理性的で知性的で自然と生物を愛せる精神を兼ね備えることができるのが理想だと思います。しかし、現状からどのように政党政治の排除 真の民主主義が実現するのか想像ができません。何年も何十年もかかるような気がします。長く険しく簡単ではないと思います、どのようなステップをお考えですか?良ければ聞かせてください。

(御返事)まず、はっきりさせておかないといけないのは、政党選挙の排除は、御質問のような、理想ではなく、若者の将来の存在、25年後のヒトという種の存在を考えた時、絶対条件であるということです。すなわち、何が何でもするしかないということです。

その上で、私は、政党自体は、決して否定しておりません。日本国憲法上、結社の自由は保障されていますし、政治活動の自由もあります。私が、訴えているのは、日本国憲法上の要請がない、政党選挙の排除です。その点は、間違えないで下さい。(ちなみに、政党という文言は、日本国憲法にはいっさい記載はない。あるのは、国会議員は、全国民の代表であるという文言だけです)

我が国の政党選挙制度は、政党のための選挙制度に落ちぶれています。比例代表がいい例ですが、個人では決して立候補できません。現在の既成政党は、その組織票による議席を確保するために、個人での立候補を、排除すべく、選挙制度を改正してきたと思います。
個人で立候補してみてわかることですが、まず、ポスター張りを考えてみても、ポスター掲示板の何番が、自分の張る位置の番号かがわかるのが、選挙活動ができる告示日の朝に行われるくじ引きによってです。広島県内8千か所以上のポスター掲示板に一斉に張ることができるのは、政党以外困難です。個人では、1年以上張るだけでかかるでしょう。しかも、回収もしなければなりません。何年か前に有権者からポスターも張らずにやる気があるのかといわれたこともありました。
私は、ポスターや選挙カーでの名前の連呼で、名前を書いてもらっても何の意味はない、それらの票によって選ばれた当選者と、有権者には、日本国憲法の代表信託関係はなく、真の民主主義は、決して達成できないと考えています。
2000年に入ってからの小選挙区制度は、中選挙区ではある程度可能だった個人での無所属立候補がほぼ不可能になりました。

投票率に関しても、日本のみならず、世界中で、特に若い有権者の投票率が落ちています。フランス革命、1968年の5月革命など国民の政治意識の高いフランスでも同様です。
投票率に関しては、既成政党は、組織票の価値を高めるためには、低い方がいいのです。組織票を構成する有権者は、雨が降ろうが、槍が降ろうが、投票所に行くからです。既成政党は、基本的には、有権者には、投票所に行ってほしくないのです。行政が、選挙には必ず行きましょうと言っているのは既成政党にとってはなはだ迷惑なことでしょう。ですから、学校教育で、あまり選挙権などを教えることは避ける傾向にあると思っています。

では、そのように、政党選挙を既成事実化し、国民に刷り込ませ、内面化し、その結果、質問者のように、政党選挙のない仕組みが考えられない国民が大部分だと思います。現実的にも、政党による恩恵を受けている国民も多い中で、どうやって、その排除をするかですが、今回の街頭演説でも、冒頭で訴え続けましたが、支持政党なしというのが、真の有権者であると思います。まずは、それに尽きます。実際に、既成政党に反発して棄権されている方もかなりおられる。

今回、政党選挙の排除で、立候補させてもらい、いくらかの支持をいただきました。その事実が、まず、質問者への答えです。
質問者が何十年かかるかもとおっしゃられていますが、それは、有権者がおバカから脱せられるかどうかにかかっている。自然との共通感覚、真の想像力、真の理性を持つことができるのか、自分自身と同様に有権者の子、孫のこと、25年後の未来を想像できるのかにかかっているのです。言い換えれば、それが全てです。その上で、私のような、政党選挙の排除を訴える立候補者が全国で出て、有権者がおバカから脱せられたら、一回の選挙で変えられます。

ただし、ブログでも、街頭演説でも何度も述べましたが、政党選挙を排除した国会議員による議会を真の民主主義議会(話し合いによる少数が多数になりうる可能性のある議会)として維持するためには、2つの仕組みが不可欠です。

それは、日本国憲法改正による国会議員のリコール制度です。これは、選ばれた選挙区以外からのリコール請求などが考えられます。それがなければ、国民と、全国民の代表者としての信託関係が保てません。それともう一つが、地方分権の確立です。国会での審議内容を、極力充実化させるためにも、国会議員と地方政治家の癒着を防ぐためにも、税源移譲含めた地方分権が不可欠です。国家権力の分立にもつながります。これらが担保されない限り、政党選挙の排除による真の民主主義の確立そしてその維持は不可能でしょう。

最終的には、現在のおバカな有権者次第です。そして、将来の真の民主主義の継続を考えた時、小学校までの脳育の抜本的改革(おバカによるおバカの再生産という現状の改革)なくしては、維持は困難でしょう。
まずは、現在のおバカな有権者、政党によって、政治的、経済的にポチの様に従順に手なずけられた、投票にも行かず、自分の趣味、仕事に専念しなさいと洗脳された有権者の洗脳状態からの離脱、おバカからの脱出にすべてはかかっていると思うのです。

しかし、私たちに残された時間は、あまりにも少ない。ほぼ、人類の絶滅は回避できないと思う。それを考えると、おバカのままで、極楽とんぼのまま死を迎えることの方が、幸せなのかとも、今回の選挙を終えて思ったりもしています。

    2022年7月12日  文責  玉田憲勲

参議院議員選挙を終えて~極楽とんぼのおバカな与野党国会議員、有権者たちへ

冒頭に、今回の参議院議員選挙において御支援くださった方々へ、厚く御礼申し上げます。

今、私が思うことは、25年後の人類の絶滅、ヒトという種の自然淘汰は、もはや不可避であり、私には、一人一人の人類にとって、過酷で、悲惨な末路が、はっきりと見えている。
一方で、分かったことは、我が国の与野党国会議員、多くの国民のおバカさのレベルが軌道修正困難なレベルに達しているということだった。

今回の選挙戦において、象徴的だったのが、元首相安倍氏が、凶弾に倒れたことであった。
彼の死については、本当に心からご冥福をお祈り申し上げたいと思う。

しかし、私にとって、最も思いを馳せたのは、我が国における真の民主主義の完全な死の確認であった。

私は、今回の選挙において、25年後の人類の絶滅の回避の術が、唯一、政党選挙の排除であることを訴え、真の民主主義の確立、即ち、少数が多数になりうる政治の確立を求めた。

そうした中で、今回の事件が起きた。
多くの国民、日本を含めた世界中の政治家、そしてマスコミは、その死自体を盛んに取り上げている。
しかし、最も重要なことは、政治家、国民が、この事件をどう受け止めるかにある。
政党の党首のほとんどは、与党をはじめとして野党もすべてが、民主主義の根幹たる選挙を侵害する事件に憤りを隠し得ないと述べている。又、インタビューに答える国民の多くが、まさか日本でこんな事件が起こるなんて信じられないと語っている。

私は、選挙中、25年後の人類の絶滅に気づかない与野党国会議員、そして多くの国民を自然との共通感覚を持たない、真の想像力を持たないおバカであると断じてきた。

今、私は、おバカな与野党国会議員に問いたい
今回の事件が、民主主義の根幹を侵害したのではなく、民主主義の根幹が破壊されているから今回の事件が起きたのだということを
国民の財産であり、民主主義の根幹たる公文書の改ざんを行い、改ざんを強制させられた近畿財務局職員赤木さんを死に追いやり、民主主義の根幹たる選挙を、お金あげまくりによって侵害した。
おバカな与野党国会議員、党首たちよ、お前らが民主主義の根幹をこわしたために、今回の事件がおきたことを

今、おバカな国民に問いたい
お前たちは、日本、世界中で、真の民主主義がすでにズタズタに破壊されていることに、だからこそ、今回の事件が起きたことを何故気付けないのか

おバカな与野党国会議員、そしておバカな国民が、加害者に凶弾を打たせ、安倍氏を死に追いやったのだと、私は確信している。

真の民主主義を失った私たちに、ロシア、中国をはじめとした独裁国家に勝てる術はない。
真の民主主義を失った私たちは、ヒトという種の自然淘汰に抗うことはできない。

そうした中で、25年後の人類の絶滅、ヒトという種の自然淘汰は、もはや不可避である。

我が国、そして世界中で、これから人々が予測し得ない事象が、加速度的に、間断なく発生し、我々人類を、死へと追いつめてゆくであろう。それは、もう今から始まっている。

今回の事件は、幕開けにすぎない。

最後に言っておこう
若者たちよ、現代社会は、アウシュビッツ収容所である。入り口には、「働けば、自由がある」と書かれてあるが、君たちを待っているのは、ガス室という死だけである。そして唯一残された自由は、自殺という自由だけである。

2022年7月11日  文責 玉田憲勲