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多様性~私たち人類が生き残るための唯一の術である

私は、先月行われた参議院議員選挙期間中、そしてそれ以降も私たち人類にとって、今、そしてこの先、何が最も必要なことなのかを考えていた。

そうした中で、今、私が最も必要であると思うのは「多様性」である。「多様性」こそが、私たち人類が生き残るための唯一の術である。今までにもブログの中で、自然との共通感覚を大切にした自然との共存、他者との共存について述べてきたが、その中で最も重要な要素が「多様性」なのである。

現在、人類が生きている基盤、そして、生き続けるための基盤である大自然を考えてみてもわかることであるが、その多様性を失ったとき、人類含めたすべての生物は、存在し続けることは不可能である。何故なら、全ての生物は、あらゆる環境変化に応じて多様化する中で、その命を繋いできたのだから
多様化の停止、それは人類にとって死を意味している。蓋し、ヒトという種そのものも、多様化の中で生じた一つの種にすぎないのだから
そうした多様化を繰り返す大自然の中で、私たち人間は生活している。

現代社会における三つの要素、民主主義、国家主権、グローバル化についても考えてみた。

民主主義、特に現代立憲民主主主義に関して言えば、我が国において、そして世界中の国々においても、壊滅的危機的状況にある。その原因が何かと言えば、それは多様性の欠如に他ならないと思う。
私は、民主主義とは、少数者が多数者になりうる可能性であると考えている。そのための大前提は、社会における多様性である。多様性のないところにそもそも少数者も、多数者も存在し得ない。それらが存在しない社会、それはすなわち、思想、良心の自由の存在しない社会か、民主主義の存在しない社会かのどちらかである。しかし、どちらにしたところで多様性の存在しない社会に変わりはない。

上記のように、民主主義が衰退減弱する一方、世界中で国家主権は台頭している。アメリカにおけるアメリカファーストを筆頭に、中米関係、東南アジア各国の関係の中での中国、米ロ関係におけるロシア、EU離脱の中でのイギリス、EU領域内でのEU各国、日韓関係における日本と韓国、中東情勢の中でのイラン、イスラエルなど、世界中でみられている。

その要因は、国内においては、上記に述べた様に、国内政治における多様性の欠如に起因する民主主義の崩壊であり、国外においては、国際関係の中での国家間の多様性の欠如に他ならない。国際連合においては、特に常任理事国間での反目、核兵器禁止条約に関して言えば、核兵器保有国、そしてその傘に入っている日本をはじめとする国々の条約参加拒否、環境問題でのアメリカの京都議定書からの離脱に続いてのパリ協定からの離脱、イランの核問題におけるアメリカの核合意からの離脱、米ロ間でのINF全廃条約(中距離核兵器禁止条約)の失効等々、それらの要因は、国際関係における多様性の欠如に他ならない。
今回のフランスでのG7首脳会議でも開催前から首脳宣言は出さないとマクロン大統領は明言していたが、ロシアのサミット復帰も含めて紛糾し、サミットが始まって以来初めて首脳宣言は出されないこととなった。

グローバル化に関して言えば、1991年ソビエト連邦が崩壊し、特に1990年代以降、急速に広がったインターネットの普及とともに経済を中心としたグローバル化が起こったが、それは、第二次世界大戦後のアメリカを中心とした世界が形成されたように、東西冷戦で勝利したアメリカによる世界中のアメリカ化、それがグローバル化であったのだと思う。そうした意味でのグローバル化は、必然的に現代社会における世界各国の多様性の喪失につながってしまっている。

中国、ロシア、そしてイラン、EU各国とアメリカとの緊張状態は、アメリカファースト主義を公言するトランプ政権に起因すると考えやすいが、根底には、現代のグローバル化、即ち、多様性の否定そのものに原因があると思う。そういう意味において、中国、ロシア、イランなどの国々の言い分にも一理はある。但し、それらの国々における国内の多様性、民主主義に関して言えば欠如しているのも事実である。

そうした現代社会における三つの要素、全ての面で多様性が失われている現代社会においては、必然的に個々人の基本的人権など、特にその最たる人権とされる生命すらも最早風前の灯火となっている。

フランスでG7首脳会議が行われているが、その主要議題にアマゾンでの終わりの見えない大規模な森林火災が取り上げられている。アマゾンでは今年に入って7万か所以上で火災が発生しており、今現在も広大な原生林が火災によって失われている。地球温暖化の中で、アマゾン以外でもロシアを含めた世界各地で大規模な森林火災が生じており、そこで生活を営む人々を含めた多くの生物の生存が脅かされている。
特にアマゾンの熱帯雨林は、地球の酸素の20%を産出する一方で、多量の二酸化炭素を吸収する地球の肺である。酸素を産出するどころか、一酸化酸素や二酸化炭素を産出し続けている。火災によるその呼吸停止は、人類含めた地球上のあらゆる生物の生命の終焉を意味している。
又、海水温の上昇による温暖化によって、化学物質によって、放射能汚染によって、プラスチックの海洋投棄によるマイクロプラスチックなどの原因によっても、海洋生物のみならず、地球上全ての、人間を含めた多くの生物の生存が脅かされ、その多様性が失われている。このことは、国連も警鐘を鳴らし続けている。

先日ロシアで小型原子炉爆発事故があり、多くの人が犠牲になったが、ロシア政府は亡くなった方への弔いは、新型兵器開発を成し遂げることだと述べている。

香港では、中国への犯罪者引き渡し条例をきっかけに連日何万人ものデモが行われ、先日は一時期香港国際空港の機能が停止した。それに対して中国は軍隊を待機させ、天安門事件の再来が危惧されている。

日韓関係は、こじれにこじれて、貿易戦争、軍事情報協定破棄、そして竹島での韓国軍による軍事演習にまで至っている。

インドによるカシミール地方での自治権はく奪は、インド国内問題(カシミール自治区の住民の人権制限)を超えて、パキスタン、中国との国境の緊張を高めている。

南アフリカや北アイングランドにおいては、未だにアパルトヘイト、アイルランド紛争による壁が存在している。

アメリカによるINF全廃条約の失効に伴う海上中距離核弾頭の地上型へのミサイル実験、そしてルーマニアへの配備の合意は、かつてのキューバ危機の再来に他ならない。

アメリカ大統領によるデンマークの自治領であるグリーンランド購入の発言

ホルムズ海峡におけるアメリカの呼びかけによる有志連合へのイギリス、バーレーンについでのオーストラリアの参加表明

アメリカにおける宇宙軍の創設

先進国による産業廃棄物の東南アジア諸国などへの輸出

これら最近起きている一連の事象は全て国際政治における多様性の否定に他ならない。

国内政治においては、先の参議院議員選挙における個人の立候補を排除する政党中心の、特に多くの死票を生ずる多様性を否定する小選挙区制度、さらに、党首に強力な公認権を認める党内民主制の否定、それらは全て国内政治における民主制の否定、政治的多様性の否定に他ならない。

横浜市のカジノを含むIR誘致問題、大阪、和歌山、長崎に次いで横浜市長が誘致に名乗りを上げてきた。日本政府は3ヵ所を想定している。政府、地方とも堅実な財政政策をすることもなく安易な手段での税収入の確保、経済効果を狙った経済至上主義の権化に他ならない。

東京オリンピックが近づいているが、その誘致合戦、シンボルマークから会場建設まで、お金にまみれた経済至上主義の権化は、カジノを含むIRと同様に一時的な海外からの観光客含めた経済効果を狙っているが、民主主義の対極にある経済至上主義は、EUで問題となっている地球温暖化を移動手段として最も促進する航空機による移動をさらに促進するものである。

私は、オリンピックなどの世界の祭典は、経済的な発展がまだ途上にある国や、難民問題で行き詰まっている国、戦争によって破壊された国でおこなわれ、それらの国々の経済発展、政治的安定、それらの国々を介した世界平和のために行われるべきものだと考える。そもそも先進国と言われる国々が、産業廃棄物を押し付け、先進国の経済活動である軍需産業によって作られた兵器の使用による犠牲を出させている中で、それらの国々を押しのけ、裏金を出してまで選考委員を買収し、更なる利得を得ようとして開催すべきものではない。

私には、先進国首脳会議だとか、現在の先進国としている国々は、世界中で経済格差を生み出し、拡大し、環境破壊を推し進める詐欺集団国家としか思えない。恥を知るべきだと思う。

上記の事例で明らかなように国際的には、安全保障が問題となり、国内的には民主主義が問題となっている。そしてその根底には大自然の環境問題が横たわっている。

現在生じている国際的、国内的、そして大自然に関する諸問題において共通して言えることは、多様性の欠如に尽きる。そして、失われつつある多様性の確保のための手段として私たち一人一人が為さねばならないこと、それは、今まで何度も述べてきていることであるが、経済至上主義グローバル化の否定であり、経済至上主義国家の否定であり、所得格差の是正である。

そうした中で、私は、日本国憲法が、世界の憲法の中で、最も優れた憲法であると考えている。何故ならば、日本国憲法は、絶対的な相対性を持った憲法だからである。

日本国憲法は、日本国民に対して憲法を順守することを義務付けておらず、否定することすらをも許している。日本国憲法は、国民に対してその命すら投げ出しているのである。
そして戦争を放棄し、政党も規定していない。

私は、そんな日本国憲法が目指す国家、国民とは、絶対的な相対性を持った国家、国民であると思う。

それは絶対的な多様性のある国家、国民に他ならない。
私たち日本国民一人一人は、その日々の生活の中で、家庭生活、学校生活、仕事の上でも多様性を大切にして生活しなければならない。
そして、選挙における投票行為、裁判官の国民審査などの政治的行為においても、多様性という価値基準の中で考え、熟慮した上で判断しなければならない。
何度サミットを開こうが、各国間で首脳会談を重ねようが、何の意味もない。彼ら一人一人に、そして各国に、多様性がない限り、その解決はあり得ない。

各国が、多様性を持つためには、各国の国民一人一人が多様性を持たない限り、少なくとも多様性を持った代表者が選ばれない限り、国家が多様性を持つことは考えられない。

そのためには、国民一人一人が多様性を持った生き方をすること、それ以外の早道はない。そして何度も言うが、私たちに残された時間は少ない。大自然は、加速度的にその多様性を消失している

私たち日本国民は、絶対的な多様性を保障する憲法を有している唯一の国民である。
戦争放棄条文の改正や、政党の条文化、憲法擁護義務者としての国民の条文化など、多様性を否定する憲法改正は、愚の骨頂以外の何者でもない。

最後にもう一度言っておこう、私たち日本国民は、己を捨ててでも他者のために生きる絶対的な多様性のある人間であらねばならない。

    2019年8月26日   文責   世界のたま