Monthly Archives: 11月 2018

砂上の楼閣にすぎない現代社会~人はキラキラ輝く純粋な瞳の輝きを失ってしまった

現代社会は砂上の楼閣である。
その中で、人は、純粋な瞳の輝きを失ってしまった。

平成30年11月24日未明、官民合わせて36億円かけた上で、2025年度の大阪万博開催が決定された。そのメインの開催場所である人工島夢洲は、昭和のバブル期にテクノポート大阪計画の一環として計画されたもので、バブル崩壊とともに、夢破れた人工島であり、日本全国で問題となった第三セクターによる税金の無駄遣い、ハコモノ行政の負の遺産である。
そうした中で、その後始末に考え出されたのが、東京オリンピックと同様に、これから数千億もの莫大な未知の予算を必要とする今回の大阪万博開催、そして具体的な内容を省令に丸投げした隣接地カジノを含む総合リゾート(RI)構想である。 
大阪府知事は、今回の万博誘致によって2兆円の経済効果を謳い、及び腰だった産業界も結果的に、それに便乗している。
バブルという経済至上主義社会における砂上の楼閣の中で、莫大な予算の中で作り上げられた人工島、そして更なる莫大な予算をかけて、人間は新たな砂上の楼閣を作ろうとしている。その中で、人々は本来何の価値も有していない交換価値にすぎない貨幣を賭けて一瞬の夢を買う。しかしその一瞬の夢の先に、人間にとって、現実的な意味での未来は、存在はしていない。
世耕弘成経済産業相は、未明行われた投票会場において、「世界中の人々の暮らしを守り、強靭にする実験室になる」とのあいさつを行った。
しかし、私は思うのです。彼は、現代社会そのものが人類滅亡の実験室であることを忘れている。
大阪万博、総合リゾート構想は、経済至上主義の中での蜃気楼、砂上の楼閣にすぎない。

日産自動車、ルノー、三菱自動車会長カルロス・ゴーンによる金融商品取引法違反すなわち有価証券報告書虚偽記載による逮捕、巨額な報酬に加えて、巨額な私的流用もマスコミによって盛んに取り上げられている。内部告発とされているが、実態は、報道でなされているように、フランス政府によるフランス国内のルノー労働者の雇用維持のための日産との合併要請に対する日産、日本政府の反発の中で生じたものであると思う。
しかし、真の実態は、所詮、経済至上主義というコップの中での争いにすぎない。富あるものが更なる富を求めての奪い合い、そうした中で、中国、ロシアなどでもよく行われている権力闘争の中での一部の者の吊し上げと同様な多くの国民の視線をそらし、留飲を下げるトリックにすぎないと私は思う。
消費税アップに伴うカード決済利用者に対するポイント制度、多くの識者からも指摘されているが、カード決済をする人の多くは、ある程度の資産を持った者であり、カードを使われる側の店舗も中小以上の企業である。資産のないもの、零細企業は、その対象外である。
しかし、最も重要であり問題なことは、税とは何なのか、何のための税なのか、それが理解されないまま今回消費税を、何故引き上げなければならないのか、何のために引き上げるのかということが忘れ去られていることにある。
今までのブログの中でも何度かお話ししているが、税の目的は、国民生活のための財源であり、もう一つの主要な目的は、所得の再分配機能である。
そうした中で、消費税を考えて見ると、国家の財源という点では、安定的な財源であり、現実的に、我が国においても消費税を導入して以降、財源としては、景気に大きく左右され難い最たる財源である。一方、所得の再分配機能、即ち、自由と、平等という観点から消費税を考えて見ると、富あるものも貧しきものも同じ税率で物を買えば徴収されるという点においては逆進性である。そうした中で、その是正として、非課税品目を様々取り入れたりしようとしているのであるが、一見正論のように思われるが、私は間違っていると思う。
そもそも今回、消費税を引き上げる目的は、1000兆円を超えた国家の負債、日銀によるGDPに近づくレベルの多量の国債の引き受け、株式の買い入れ、更なる赤字国債を発行しない限りやり繰りできない毎年の国家予算、特に増え続ける社会保障費用、それらの財源として、財政規律のための消費税増税であったはずである。このことは、国際機関からも警告されていることでもあり、待ったなしの緊急の課題である。
今回の消費税増税に伴う非課税品導入、ポイント制度は、消費税の持つ最大の特徴である景気に左右されない安定財源という特徴を損ない、その徴収額の莫大な損失は、緊急の課題である財政規律、安定した社会保障の充実という点においても愚策以外の何者ではない。
徴収するときはきっちりと徴収した上で、格差解消を含めて、充実した社会保障を行ってゆくべきである。
それこそが本来の消費税であり、あるべき税の姿である。
それがわかった上で、政府がそれらの愚策を行う理由は、非課税品目となることを求める経済界からの企業献金、複雑な税制度にすればするだけ必要となるそれらを調整、監督、監視する天下り団体、すなわち、政治家、官僚、そして所詮は、非課税品を最も多く購入できる高額所得者である。
そしてバカを見るのは、購入した非課税品によって免れたわずかな非課税額と砂上の楼閣にすぎない稚拙な社会保障制度を引き換えた私たち国民であり、複雑な消費税制度に対応できない零細企業である。
リストラ、低賃金の中で、大企業の内部留保は増え続け、その多くは、企業トップ、大株主、ヘッジファンドなどに流れているのが現実である。
企業が儲かれば、その利益は従業員に還ってくるというトリクルダウン理論、そして今回の消費税論議、すべて経済至上主義の下での砂上の楼閣にすぎない。

サウジアラビア政府に批判的な記事を書き続けていたアメリカ在住のサウジアラビア人記者ジャマル・カショギ氏がトルコにあるサウジアラビア領事館内で、暗殺された事件が起き、現在、サウジアラビアのムハンマド皇太子の指示が疑われている。
そうした中で、アメリカトランプ大統領は、関与したかもしれないが武器輸出に伴う経済優先を表明した。ヨーロッパでは、ドイツがEU加盟国に武器禁輸を呼びかけ、その結果、デンマークは同調したが、自由と平等を理念とするフランスは難色を示している。
経済グローバル化が進む中で、資源含めたそのパイには限界がある。その限られたパイを求めた自国ファースト主義、すなわち国家主権が世界中で強調される中で、自由と平等をその目的とする民主主義は存在しえない。
EUを見てもわかることであるが、世界中の人々は、国家主権を放棄することはないであろう。そうした中で、私たちが経済のグローバル化を選択し続けるならば、もはや現代立憲民主主義は砂上の楼閣にすぎない。

森友加計学園国有地売却問題に関して、会計検査院が、今春から進めていた追加検査の結果をまとめて国会に提出した。
その中で、会計検査院は、財務省近畿財務局が交渉中に学園側に価格情報を伝えていたことを「適切とは認められない」と指摘、財務省が決裁文書を改ざんし、会計検査院へ提出した行為、学園側との交渉記録を故意に提出しなかった行為は会計検査院法に反する違法行為であることを認定した。しかし、元理財局長佐川宣寿氏がすでに退職していること、提出文書の改ざんに主にかかわった職員らがすでに懲戒処分を受けていることなどから関係者の会計検査院法に基づく懲戒処分要求は見送っている。
このことは、前回のブログでも取り上げ、現在私が、広島高裁に控訴している控訴理由の核心部分の一つでもあるが、会計検査院がいうような単なる違法行為ではない。日本国憲法における財政民主主義、そして、公務員が全体の奉仕者であり、一部の奉仕者でないとする第15条、さらには公務員の憲法尊重擁護義務に反した違憲行為である。
前回のブログでも述べたが、我が国における現代立憲民主主義も、もはや砂上の楼閣にすぎない。

中国新疆ウイルグル自治区での多くのウイグル族が政治的再教育施設に収容されている実態が世界中で明らかにされてきている。
収容された経験ある人の話では、それらの施設では、ウイグル族やカザフ族などのイスラム教を信仰する10代から80代までの少数民族の男女が収容されている。早朝から深夜まで革命歌を歌わされたり、共産党の政策の学習をさせられる毎日、その中では拷問も行われ、施設内での死亡者も出ている。
私は、1960年代、かつて中国で行われた文化大革命を思い起こした。実態は毛沢東による権力闘争であり、その妻らの四人組によって行われた粛清、毛沢東に先導された学生含めた若者、紅衛兵による暴力統制、知識人を中心とした一般国民を強制的に連行、隔離した集団生活の中での労働を強制した下放運動、そうした中での死者は、何百万人、何千万人と言われている。その後、1970年代、カンボジアにおいて、毛沢東の行った文化大革命を模したポルポト政権下での同様の粛清においても何百万人の命が失われている。

話は変わりますが、スーパーボランティア尾畠春夫さんは、酒も飲まず、貯金もゼロ、野草を食べ健康保険証は11年間使ったこともないそうだ。そんな彼の初の書籍の刊行が延期された。印税もいらないとして、出版を希望する各社が足並みをそろえたら契約することだったようだが、おそらく、出版社との行き違いが生じたのだと思う。
私の推測であるが、元々、無償での行為を信条とする尾畠春夫さんと、所詮、企業利益を追求する出版社とは相反することは自明な事実であったと思う。
そうした経済至上主義の中で、尾畠春夫さんは、彼自身が、記号化されることを拒否したにすぎないのだと思う。

世界中で多くの人たちが、迫害され、戦禍で逃げまどい、難民として彷徨っている。そうした中で、多くの人たちが人身売買され、殺害されている。
私には、そうした多くの人たちは、記号化されてしまった人間だと思えてならない。
現在、国会で問題となっている入管法改正での外国人労働者受け入れ問題など、その典型例だと思う。
日本政府は、決して、受け入れようとする外国人労働者を一人の人権を享有した人間としては見てはいない。経済至上主義社会の中で記号化された対象としか見てはいない。

経済至上主義の下、私たち、多くの国民が、記号化されようとしている。
国会を見ていてもわかるが、すでに、多くの国会議員、大臣、官僚、さらに言えば多くの裁判官すらもが記号化されてしまっている。

そのような記号化された人間が作り上げる現代社会は、もはや砂上の楼閣にすぎない。
そこには、キラキラ輝く純粋な瞳を持った人間など存在しえない。

  平成30年11月25日  文責  世界のたま