憲法と国民と国会議員について

 

皆さんは憲法尊重義務というものをご存知でしょうか?憲法というもの自体はっきりとわかっている方は意外と少ないかもしれません。

最近、愛国心教育など、さもそれらしくもっともらしく語る実は勘違いした政治家含め声高に叫ぶ人が巷に増えていますが、愛国心という前にきちんと教育の中でまず第一に教えるべきものが、憲法だと私は思っています。

憲法は国家の基本法です。国家という以上、何らかの憲法を持っています。私は日本国憲法が大好きです。ただ日本国憲法についてはいろいろな考え方があるのも事実です。押し付けられた憲法だとかいう意見もよく耳にします。ある意味ではあたっているとも思われますが、でも最終的には中身が問題です。

みなさん日本国憲法を読んでみてください。前文含めて私に言わせると方々に宝石が散りばめられています。

その中でも私が大好きな条文は憲法13条です。

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求権に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

この中でも特に幸福追求権という言葉が憲法典の中でも私が一番好きな言葉です。

ところで国家あるところに憲法はあるのですがそれでは何のために憲法はあるのでしょう?

私は国家は個人の人権を守るための手段としかとらえていません。すなわち憲法とは個人の人権を国家(権力者)から守るための法なのです。

日本国憲法は二つに分けられます。すなわち、人権と統治です。人権では自然人として守られるべき権利を宣言し、統治では国家の機構を定めていますがその目的は人権保障です。そういった意味で偏屈な見方かもしれませんがこのことが、国家(権力者)が教育の中で憲法をあまり重点としておきたくない理由だとも思われます。

国家にとって憲法とは己を束縛する掟にすぎないのですから。

その端的な条文が日本国憲法99条です。この条文こそが憲法尊重義務をうたっている条文です。

みなさんは意外と思われるかもしれませんが日本国民個人には憲法尊重義務は課されていないのです。

そこで課されているのは天皇、国会議員などの公務員です。

愛国心を叫ぶのであれば、まず国家(権力者)自らが基本法たる憲法を守るべきです。違憲と言われている人たちが愛国心を訴え、憲法改正を訴えるとは日本という国も立憲民主国家として落ちぶれるところまで落ちぶれたものです。

そういった憲法も守れない政治家が教育を語り、道徳を語る。憲法、法律は最低限度の規律です。それらを守れないものは決してそれらより厳しい道徳を守れるわけがないのです。

自分たちが自ら作った法律を守るのはだれが考えてもごく当たり前のことです。

よく政治家が自らの行動を正当化する際に、法律に反したことはしていないなど発言しますが聞いていてそのレベルの低さにはあきれ返ってしまいます。守るのが当然なのです。現実的に日々テレビなどで流されている道徳的にレベルの低い議員たちは如実にこのことを物語っています。

現在の国会を構成している与野党すべての国会議員に道徳を語る能力はない。

様々な異常な社会現象、子供たちの様々の異常な事件、その元凶が愚かな政治家たちを含めた我々、大人たちにあることを私たちは気づかなければならない。

それを知った上で現実の我が国の政治的な現状を見てみたとき裁判所で違憲、違憲状態とされたインチキな選挙に基づいた国会議員が憲法で最も保障された思想の自由に絡む知る権利を制限する特定秘密保護法案を施行しようとしている現実

私が立憲民主制の崩壊状態だとして広島地裁民事部に訴えている理由はそこにあります。

憲法を守られない国家はもはや国家とは言えません。

そして国家という手段を失った国民の人権はもはや守る術はないのです。

今こそ私たちは憲法改正、愛国心などというくだらない政治家のまやかしに騙されることなくまず第一に憲法尊重を訴えていかなければならないのです。

 

2014/9/4   文責    世界のたまsign

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