第Ⅱ部でも言っているように、あくまでも私見であるが、日本の現代史の中で1975年、1990年に二つのボールが投げられた。
私たちはそれを見逃してしまった。というより多くの人はボールが投げられたことすら気付かなかった。
人の人生でもそうだけれど、いつの時代も人はそれぞれその人なりに一生懸命生きているのだとは思う。
ボールが投げられたことに気付くかどうかは私がこのホームページを立ち上げた理由、主権者諸君へ、世界への提言の中で訴えている個の中に全体を見ることができる生き方をしているのか、
言い換えれば自分以外の他者のことをどこまで考えて生きているのか、ただそれだけのことだと思う。
2000年代に入り、小泉自民党政権、民主党政権を経て、今日の安倍自民党政権に至っているが2001年以降の財政政策の在り方のポイントとしては市場主義的な経済政策の是非と、増税を伴うか、伴わないかが焦点となっている。
2001年 省庁再編により1府22省庁から1府12省庁となる
小泉政権の発足 内閣支持率80%越え
構造改革による金融正常化
小泉政権の強さの要因として竹中氏は選挙制度、政治資金制度改革により下記の要因を挙げている。
- 中選挙区から小選挙区、比例代表並立制により主要な政党による政策論争が生じた。(マニフェスト選挙)大選挙区だと同じ党から複数の立候補者が出て政策論争より個人レベルのどぶ板選挙になりやすい。
- 首相の地位を維持、獲得する条件として世論の支持が重要になった。大選挙区だと同じ党から複数の立候補者が出て党内で派閥形成しやすくその派閥領袖からの支持の方が大きかった。
- 首相の権力が強化された。大選挙区だと派閥領袖が院政的に首相を制約できた。(具体的には候補者の最終的決定権など)
- 行政改革で大蔵省の権限のコントロール
- 政治過程における参議院議員の地位が大きくなった。それまでは衆議院議員が中心であった。
上記のように一見、強さがあり議会の中では小選挙区制度の結果として二大政党に議席が集まったが
実態としては、両党とも社会からの支持を集める中間団体(組合、農協、医師会など)の組織力の弱体化により、候補者依存型の小さな支持基盤の二大政党制であった。
そのため議席を獲得するために特定の支持政党を持たない普通の有権者に対してマニフェストを売り込む選挙至上主義政党が登場した
結果として大連立はもとより、政党間交渉も難航して、政策決定も不可能となり、政策課題は先送りされやすくなった。
総合的に判断して一見、支持率も高く強い政権には思えたが、
今、冷静に振り返ってみると、決して強かったわけではなく、小泉氏自身の表面的なパーフォーマンスの良さと上記でも述べた単純化したマニフェストを掲げた選挙至上主義政治、
そして1990年代の閉塞した時代背景の中で自民党をぶっ潰すという言葉に多くの国民がすがっただけなのだろうと思う。
構造改革による金融正常化はあったがそれ以外の成果は見当たらず、逆に多くの問題を残してしまった。
- 増税に関しては回避した。
- 骨太の方針2001で掲げた国債30兆枠も、守れず国債残高も増え続けた。
- 歳出削減はあったが内容的には不況に伴う国債金利の低下による恩恵や地方交付税の削減などで根本的な財政政策によるものではない。
- 外国為替資金特別会計における多量のドルの積み上げ(評価損リスクを持った埋蔵債務)
2008年 リーマンショック
2009年 民主党による政権交代
2010年 税収依存度50%を切ってしまう。
税収依存度とは予算を税収で何割賄えているかを示す指数であるが、バブル期だったが1989年では90%、リーマンショック時でも60パーセント以上あった。
政調会、事務次官会議の廃止、国家戦略室の設置、事業仕分け、子ども手当、
コンクリートから人へ
2011年 東日本大震災
小泉政権と同様に、今、冷静に政権交代が何だったのか振り返ったとき、政権末期においては自民党との差はなくなり、ほとんどの政策の主だったものは、2012年の自民党政権復帰の中で何事もなかったかのようにかつての自民党政権下での政治体制に戻ってしまった。
累積の国債残高は増え続け、無駄な時間だけが過ぎてしまった感がある。
その理由として、私は大きく二つあるのではないかと思う。
一つは民主党が上記でも述べた寄せ集めの政党であったこと。
そしてもう一つは、強い政権の意志がなかったからだと思う。
リーマンショックや東日本大震災などがあり、政権運営は困難を極めたことは事実であったが、本質的には政権を取るための政権だったとしか思えない。
政権という手段を目的化してしまった典型例だったと思う。
ただ、一つ良かったことは政権交代や、二大政党制など政治体制が変わったところで、国会議員、国民自体が変わらなければ何も変わらないということを彼らは教えてくれた。
この時代を振り返って2009年の政権交代が一見、1975年、1990年に続いて3つ目のボールが投げられたように見えるが、
ただ単に、何の考えもなく勝手に無茶振りしただけのことだったと思う。
その無茶振りしたのは、自民党でも民主党でもなく
ただ単に政権が変われば何かが変わると思った私たち愚かな国民であることを、
政権、政党という手段をいくら変えたところで目的がなければ何の意味もないことを、
そして、一人一人が価値観を変えるしかないことを、
私たちは認識しなければならない。
第Ⅳ部に続く 最終章 (借金大国 日本の終焉)