第Ⅰ部 なぜ日本が借金大国になってしまったのか

他の提言でも述べていますが、皆さんもご存じのように1000兆円を超える借金大国になってしまっています。

では何故日本がそうなってしまったのか。日本財政の現代史Ⅰで、その歴史をたどってみましょう。

日本が敗戦国になった当初のドッジラインによる均衡財政は、1960年所得倍増計画を発表した池田隼人内閣に引き継がれる。

四大工業地帯を結びつけるベルト地帯の整備のための公共事業で雇用を産み地方から余った労働力が流れ込んだ。その後は地方への公共事業を増やし地方で働く人の雇用も創出した。

国民皆保険、皆年金を実現したのも池田内閣ですが、赤字国債発行禁止の中で基本的には小さな政府(国の支出をできるだけ少なくして民間に任せることは民間に任せる)を目指しており、

それを可能にしたのが1970年代まで盛んに行われた減税と貯蓄奨励のための優遇処置による国民の貯蓄を増やす政策だった。

この時代、赤字国債を発行しない小さな政府を実現できた理由は下記の3つが考えられる。

  1. 減税、貯蓄奨励のための優遇処置による莫大の貯蓄

その貯蓄先である一般金融機関からの企業への融資、郵貯を原資とする財政投融資が高度成長を支え、国民の所得を増やし、それが貯蓄を増やすという好循環。赤字国債を発行するより財政投融資を優先。

財政投融資というのは民間では対応困難な事業を補完するために、郵便貯金、簡易生命保険資金、年金資金を財源として政府系機関や地方自治体を通じて行う投融資活動である。それが制度的に定着したのは戦後であった。その頃の財政投融資は社会資本整備の手段として用いられた。

2.企業による終身雇用、医療、年金保険制度の確立

3.家族環境 女性は働く夫を家庭で支え、専属主婦の年金制度、老後は家族が家庭内で介護し、在宅で看取る。

その後の時代の流れ(私がポイントと思う事柄を年代別に簡単にまとめてみました。)

1965年 国債発行(税収が財政規模の歯止めになっていたが公債発行することで歯止めがなくなるため、発行の原則が作成される。1.公債は公共事業に限定し、経常的な歳出は租税、普通歳入でまかなう。2.公債は市中消化とする。(日本銀行が引き受けない))

 

国債発行によってそれまでは大蔵省が収入を通じて財政規律を行っていたがそれが困難になってしまい族議員を生じさせ、それに対して大蔵省はシーリングによる予算総額の統制を行ってゆくこととなる。

要するに国債発行するまでは税収入がわからなければ支出も決めれなかったため税収入を把握できる大蔵省中心で財政が行われていたが、

国債を発行することで収入がはっきりしなくても極端には収入がなくても支出が可能になり、国会議員の財政への関与が大きくなり結果として族議員が生まれたのだ。

 

1970年 公債依存度4.2%

1971年 ニクソンショック(ドルの金の兌換停止) 円の切り上げ

1973年 オイルショック 地方で革新知事誕生 老人医療費無料化

財政投融資計画が国会の議決対象となる。

1974年 一般会計で社会保障費が公共事業費を超える。日本列島改造論での狂乱物価

大蔵省資金運用部で財政投融資(外)資金による国債引き受け開始

1975年 特例公債(赤字国債)の発行 公債依存度26.3%

1979年 公債依存度 39.6%

この時代、国債発行が始まり急速に増大する中、族議員が生じたが族議員のもたらした問題として

1.政治家と官僚の力の逆転  特に官僚出身の政治家の力が増した。

2.シーリングによる規制で大蔵省は予算の増大を抑えようとしたが族議員の             圧力の中で平等的な対応を要求され予算の硬直化を生じた。

3.族議員による予算の分捕りのため、一部の国民の利益のための予算支出が行われ、普遍的で個別的なサービスには極力、支出が抑えられ、国民の自己負担が増えたりする結果となる。

4.公共事業費の増大が族議員の力を強めそれが公共事業費用を増大させる負の連鎖が始まった。

1978年 大平内閣 大型一般消費税導入を訴えるが党内外、世論の反対もあり断念

1980年 増税なき財政再建

1982年 鈴木内閣 財政非常事態宣言を行う。

1989年 一般消費税の施行

 

財政投融資は当初、社会資本整備のため利用されて、それが日本の経済成長に寄与して社会が発展できたことは事実でそこまでは手段として悪くはなかったと私は思う。

だが、1970年代半ばからの社会保障費増大に伴う多量の赤字国債の発行、その赤字国債の引き受け先となっていった。

健全財政を考えた時、貯蓄が財政投融資を通じて国債に投資されるか、税として取られ健全財政に資するか、どちらを選択すべきだったのか答えははっきりしている。現にヨーロッパは、日本とは違って、税による社会保障の整備を行っていった。

健全な財政、赤字のない財政を実現したかったのであれば、社会資本整備から対人社会サービスへ財政ニーズが変わってゆくのに合わせて国民貯蓄から租税へ財源をシフトさせてゆくことが不可欠であった。

それができなかったのは他の提言でも述べているが、政治家で言えば次回選挙での当選、官僚で言えば天下りの確保など、それぞれの全体を見ない個に対する保身、欲望。企業で言えば自らの利益のみを追求し、本来の企業の最終目的である国家、国民の利益を考えられなかった。

そして最終的には国民自らが、それまでの減税含めた優遇処置に対する欲から抜け出せず、自らの利益のみに執着してしまったからに他ならない。

私たちはこれから何をしなければならないのか。答えははっきりしている。

第Ⅱ部へ続く

2014年10月14日    文責  世界のたま   sign

 

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