日本国の危うさについて(1)

日本国について様々な提言をしていますが、最近の政治、経済、金融、教育、治安すべての面で言えることは、その危うさです。

 

言い換えれば、日本という国家、組織の脆さ、次元の低さです。

 

国家というものを手段としてとらえる私ですが、本来の意味で、世界中の人々、一人一人を個として尊重するためには、手段としての国家の存在はその過程の中で不可欠であること間違いありません。

 

そういった意味で現段階においては国家の存在は大切であり、その在りようが非常に重要だと思う。

 

日本国を考えてみた時、四季があり、自然豊かであった一昔前は、そこに住む人々も心豊かで、他の提言でも述べた人々の心の中に核心があったように思う。

 

今回の提言のテーマである危うさも、その原因は、核心が失われていることに尽きると思う。

 

ところで、危うさの本体であるが、何かと言えば、一言でいうと、欲だと思う。

 

欲と言っても人によってさまざまであり、人間も所詮、生物であり、自己防衛本能があり、種を保存すべきDNAが埋め込まれているのだからある程度の欲があることは当然のことである。

 

私がここで問題とする欲とは日本国を代表する人たちの欲である。

 

そもそも国家を代表とする人々、議員、官僚、大臣、大企業経営者などはある意味で、権力欲、名誉欲、金銭欲がなければそういった職に就かないとも言え、水掛け論的な部分もあるが、おそらく社会全体の問題としては、他の提言でも何度も述べているように、資本主義のもつ根本的な問題である、金銭含めた物への過度の執着、欲であろう。

 

そして欲がもたらす結果としての格差社会とも言えるし、格差社会が、さらなる欲を生じさせているとも言える。

 

政治の世界で言えば、二世代議員なども格差社会、社会全体の固定化につながっており、それらが日本国の危うさ、脆さを生じさせているのだと思う。

 

教育に関しての提言の中でも述べているが、社会の多様性こそが社会の発展、強化につながってゆくものだと思う。

 

生物の進化の過程でもそうなのだが、多様化が環境変化に対する生物、種の生き残りには不可欠なものだと思う。

 

私は、今の日本国を見て思うのだが、格差社会の中で、社会全体が固定化する一方、人としては多様性を求めるがゆえにある意味で抑圧し、抑圧される人の中で、様々な問題が生じているのだと思う。

 

子供たちが起こす様々な事件もそうだし、差別的な出来事も原因としては同じものだと思う。

 

私は今の日本国のその危うさ、脆さを克服するためには、社会の固定化、格差社会を改善し、社会の多様性を高めていくことこそが最も必要なことだと思う。

 

その中で一つ考えておかなければならないのは、ただ単に社会の多様性を容認するだけでは不十分であり、多様性の中に核心は不可欠だと思う。

 

その核心こそが国家で言えば憲法に他ならないと思う。

 

日本国の危うさ、脆さの原因を逆に言えば、核心である憲法を軽視し、無視することで核心を揺るがしてしまっているがゆえに、多様性を容認することができなくなってしまい、社会の固定化、格差社会を招いているとも言えるのです。

 

2015年3月14日  文責  世界のたま  sign

 

 

 

 

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