森友学園化(幼稚化、おバカ化)からの脱却 

今日は春分の日で天気も良く本来であればゆっくりしたいところであるが、たまたま当番医に当たり仕事ではあった。しかし患者さんもまばらのため先日のブログの後編部分である幼稚化、おバカ化した現代社会からの脱却についてお話しておこうと思う。

森友学園問題では学園長の国会証人喚問が決まり、豊洲市場問題では、昨日百条委員会において東京都元副知事の喚問が行われ、今日の午後には石原元都知事の喚問が予定されている。昨日の東京都百条委員会での副知事の証人喚問もそうであったが、ほとんど何の意味もない。このことは今日の午後開かれるであろう元都知事の証人喚問もそうであろうし、森友学園長の国会証人喚問もそうであろう。これらは過去幾度となく繰り返されてきた単なる政治ショーにすぎない。デジャブーにすぎないのです。

前回のブログで述べたように私たち社会はいつまで幼稚で稚拙な社会であり続けるのか。いつまで私たち国民は思考停止し続けるのか。

私は現在の日本社会、国際社会をみていて一番に感じることは今の現代社会は一見、物があふれ、物質的には豊かで便利な社会であるように思えるけれど、精神的には所詮、何の核心もなく、うわべだけの薄っぺらな社会であると思う。

核心のない薄っぺらな社会であるがゆえに、他者との共存も否定し、結果としてどこまで行っても格差社会しか作ることはできないし、民族紛争や、テロなどのない他者との共存が前提である平和な社会をつくることは不可能である。

例えば南スーダンからの撤退を政府は決めたが、その理由としての情勢悪化は否定している。私は情勢悪化が理由であるかどうかとか、日誌を自衛隊内部、防衛庁で隠したうえで防衛官僚、防衛大臣が虚偽の国会答弁を行ったとかなどの森友学園化した政府、国会議員の幼稚で稚拙なことを今更とやかく言うつもりはない。

蓋し、もはや南スーダンの情勢悪化は事実であり、そして日誌の隠匿も紛れもない事実なのだから。

今の日本社会は戦前の大本営発表と同じで、明らかに事実と異なることを事実として発表することが許される社会でありその点で何ら変わってはいない。それが許されているのは特定秘密保護法などによる情報公開の制限と、国民の無関心、すなわち国民の思考停止にあると私は考える。

ただ大本営発表と違うのはインターネット、各種メディアを通じて事実がある程度はわかってしまうからに他ならない。 

誰が見てもわかる虚偽事実自体も確かに問題であり、それについて虚偽であるかどうかを国会その他で議論し、メディアもそれについて盛んに取り上げることも多少の意味がないわけではないがもはや客観的な事実が明らかである以上、そんな稚拙でおバカな議論に時間を費やすことなどにほとんど意味はない。

何故、彼らが大本営発表をし続けるのか、そうした薄っぺらな行動しかできないのかと言えば、彼らには核心がないからだ。

例えば一歩譲って、私自身が安保関連法改正を是として状況を判断し覚悟のうえで南スーダンへの自衛隊派遣を国際協力のために行ったのであるとするならば、たとえ自衛隊員に死者が出たとしても撤退はしないであろう。

何も私は自衛隊員の命を軽んじているわけではない。国際紛争の場に赴いて他国の国民のために物事を行うことは決してたやすいことではない。命を懸けてしなければ難しいことだと思う。そこまでの覚悟をもってでしか為しえることではないと思う。
そういった意味で今の政権与党、官僚、防衛庁幹部、そして野党すらも私には核心を持っている人たちは皆無であると思う。

大本営発表当時の中央組織と同様に、所詮は頑丈に作った防空壕の中でぬくぬくと嘘の発表をし続けることしかできないのだと思う。戦地に赴いて命を懸けて国際貢献の陣頭指揮を執る者など一人もいない。口先だけの薄っぺらな者たちだけだ。

国際的非難を浴びても伊勢神宮には参拝するけれど全国戦没者慰霊祭には参加しない行動など核心を持っていない薄っぺらな人格そのものだ。

今の政府与党、官僚、野党政治家も含めておそらく本当の意味で核心をもって国家国民のために命を懸けている人はほぼ皆無であると思う。

薄っぺらな核心を持たない人たちが口先だけで道徳観の道の字も持たない人たちが如何に子供の道徳教育や、国旗掲揚、国歌斉唱を推し進めようとしても、その形式的なうわべだけの化けの皮はすぐはがれてしまい真の愛国心など育ちはしない。

核心を持たない者たちから国民は何一つ感じ、そして伝わるものはないであろう。

森友学園化した社会から脱却するために私たちは何をなすべきであろう。言い換えれば何をなさねばならないのであろう。

私からの答えは私たち国民一人一人が核心を持つことである。
それではその核心とは何なのであろう。
私にとってその核心とは、他者との共存を図る自然との共通感覚を持った熱い心であり、
そしてその核心に反するものに対してはそれを拒絶する熱い心である。

国内政治において言えば、まず第一に国会議員たるもの、現在の与野党の国会議員のように稚拙な違法性レベルの責任を問題化するのではなく、道徳的レベルでの責任を問題化して、それに対して責任をとるレベルに国会議員としてのレベルを早急に高める必要があるのだが、そのためには日本国民、主権者が自分自身は別にしても、そういった国会議員を選ぶという意識改革をしなければならない。

しかし残念ながら過去のブログで書いたように今の日本の主権者ではなかなか難しい部分であることも事実であり、現実的には司法が、道徳的判断は現実問題として困難であるとしても、憲法レベル、法律レベルでの的確な判断をもってその是正を図り、当面時間稼ぎするしかないかとは思っている。

具体的な国内政策においては、財政、経済、社会保障、防衛など、先にあげた核心をもって考えれば自ずと答えは導き出される。

財政政策においては際限のない金融緩和、公共事業、減税政策を続け、そうした中で国の借金は1000兆円を超え、赤字国債発行するも、もはや引受先もなくなり中央銀行たる日銀が300兆円を超える国債を抱え込み更なる国債を引き受けようとしている。もはや財政ファイナンス、ヘリコプターマネーとしか思えない状況である。また、年金基金や日銀の株式購入で表面的な株価を押し上げる詐欺同然の国家政策。

私からすればこれらのバカげたおバカ政策(おバカでないというのであればどうやって1000兆円以上の借金を毎年の赤字会計の中で返してゆくのかはっきり具体的に日銀総裁なり、国会議員、官僚が説明できるはずだが誰一人としてできる人はいない)をもうこれ以上続けることはやめ、抜本的な累進課税制度、相続税、法人税などの消費税含めた税制度の所得の再分配機能を重点に置いた見直し、地方分権化の促進の中で財政規律の健全化を進めること以外の核心は存在しない。現在のわが国の財政政策は戦争末期の特攻作戦以外の何者ではないとしか私には思えない。

経済政策においても原子力や、遺伝子操作含めた科学技術偏重政策は、自然との共通感覚という観点からは核心と真逆な方向での政策でありその先に未来はない。現実的に東芝問題がそうだったように。そうではなく自然エネルギーを使った自然との共存政策こそが核心である。地球温暖化に対してもコマーシャルや経済至上主義政策の中での無駄な消費を進めることは決して核心ではなく、私たち人類にとってその存在すらも否定する真逆の政策であることに私たちは気付かなければならない。

社会保障政策についても不自然な延命は核心ではありえない。人の命とは何なのか、生きるとはどういうことなのかをもう一度振り返り、考え直すことが最も重要なことだと思う。
その上で、医療、年金、介護それぞれを一つ一つもう一度一から考え直さなければならない。今までのわが国の社会保障政策の一番の問題はそこにあるのだと思う。核心のないまま、ただ単に適当な予算予測の中で帳尻だけ合わせているので、百年安心プランなどのように、くだらない数年も持たないプランになってしまうのだと思う。そうした中で、現在フィンランドにおいて期間限定で試行されているような国民一律の現金給付も一つの考え方だとも思う。

防衛政策においても核心のないままうわべだけの愛国心を語っている今の政権与党のようないい加減な気持ちでの日米安保体制を基軸とした政策は根本的に見直すべきであると思う。今回の南スーダンがそうであるようにしっぽ巻いて帰るようなみじめなことを続けることは国際的な恥以外何者ではない。私は本質的に防衛とは他者を信じてはいけないと思う。いろんな考え方の人がいるとは思うが、最終的に国家としてその最大公約数をとるとすれば、他国を信じないというしかない。そうした前提で我が国は我が国の主権者自身が最終的にすべての世界を敵に回しても守り抜く覚悟とそのための方策が何かを一から考え直さないといけないと思う。多くの専門家はアメリカの傘抜きでありえないと言うが、私はそうは思わない。現にベトナムがそうであったように、如何に大国アメリカでも不可能なことはある。(確かに中国や、ソ連などの後ろ盾はあったにしてもだ。)結局言えることは主権者たる国民一人一人が核心を持っているかどうかにかかっているのだと思う。

森友学園化した社会から私たちが脱却するために何が必要なのかと問われたならば
私は答えるであろう
それは主権者たる私たち一人一人が核心を持つことである。
ただしこのブログの中でも述べているがそれはたやすいことではない
当面、イギリスがそうであるように、フランスがそうであるように、アメリカがそうであるように、韓国がそうであるように、立憲民主主義制度が危機を迎えている時

その是正を図ることができるのは司法である
そしてそれは、裁判官一人一人の良心に他ならないと私は思う

  平成29年3月20日  文責  世界のたま

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