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租税について考える

今回、国会が解散され総選挙になりましたが、解散の屁理屈ではあるのだけど、消費税の問題があります。8%なのか10%なのか、いつ引き上げるのかなど様々な問題点が提起され論じられています。

他の提言、「何故借金大国になってしまったのか」の中で述べているように、我が国はヨーロッパなどとは違って戦後、租税は低くして個人、企業の貯蓄を増やし、その貯蓄をもとに世界でも類をみない経済発展を成し遂げたのは事実です。

ただ、1970年代からの社会保障費の増大、高度成長の終焉とともに本来であれば租税、社会保障体系を変えていかなければいけなかったのにそれを避けて通ってしまい今日に至っているのです。

今、国会議員が消費税についてああだこうだと、相も変わらず自分たちの国会議員としての身分の継続のためにいろいろ都合のいい、国民受けのいい適当な話をしています.

私は思うのですが、私たち主権者にとって実際問題、本当に真剣に考えなくてはいけない時なのです。選挙などどうでもいい話です。

他の提言でも述べていますが私たちにはそんなに時間がないのです。

消費税を考えるとき、物事はすべてそうなのですが、私が提言の中でよく述べているように個の中に全体があります。

消費税も租税の中の一つであるということを忘れてはいけないのです。

消費税を考えるときに消費税だけを考えて景気がどうなるだとか国会議員のように考えて行動すると来年には又ああだこうだと無駄な時間を費やすだけになってしまうのです。

これだけ1970年以降、借金大国になっている現実の中で学習能力の低さにはあきれ返ってしまうばかりです。

消費税を考えるということは租税体系全体を、後から述べますが社会保障含めた国家財政全体を考えないといけないのです。

そういった意味で租税とは何なのかからお話ししてゆきましょう。(以下、現代租税の理論と実践に沿ってお話しするので詳しくはそちらをご覧ください)

租税とは国家にとって国民に対して様々なサービスを行ったり、海外から我が国を防衛したり、海外の困っている人々にサービスを提供したりするための財源として国民から強制的に徴収する税収という意味があります。

憲法30条でも納税の義務として定められています。

租税の持つ本質的機能として上に上げたいわゆる税収としての機能のほかに大きなものとして国民の所得の再分配機能というのがあります。

世の中には貧困の格差がいつの時代にもあり、昨今、格差社会の拡大が問題となっていますが、そういった意味で格差社会是正のための再分配機能としての租税も考えないといけないのです。

そういった観点から租税を考えていってみましょう。

租税には所得税や法人税などの直接税と消費税などの間接税があります。

我が国においては1989年に一般消費税が導入されましたが、所得税、法人税についてはリーマンショック前を除けば1990年以降税収は下降の一途をたどっています。

税収が下降していっている原因としては当然、バブル崩壊などの原因もありますが政府が幾たびも行ってきた減税政策も大きな要因となっています。

最高限界税率(所得税法上の最高税率)の引き下げ(1989年には76%から65%へ、1999年には65%から50%へ引き下げる)、配当などの資本所得が労働所得に対して10%と低い軽減税率だった。(2014年度から20%)、給与所得控除など数多くの控除措置がなされた。

これらの減税措置は特に高額所得者に対して有利に働いたと言えます。

我が国の租税の流れをまとめてみると、もともと、企業、個人への租税を減らして貯蓄を増やす政策の上に、高度成長期終焉、国会議員の保身のために国民受けのいい様々な減税措置を行った。

結果として税制の最大の目的である税収は減っていった。

法人税の軽減、所得税のフラット化の一方で社会保険料の増大、付加価値税(消費税)の増大などを行い、税制の大きなもう一つの目的である所得の再分配機能も低下していった。

世界の税制の流れの中をみても付加価値税と社会保険料の重要性が増している一方で所得の再分配機能の低下が盛んに言われるようになってきている。

それでは次に付加価値税(消費税)について考えてみましょう。

消費税の利点として課税ベースが広い。経済活動に与える歪みが少ない。税収調達能力が高いことなどがあげられます。

一方、欠点としては逆進的な性格が強い(低所得者に不利)などが言われています。そのため多くの国では、一部のものについてはゼロ税率、軽減税率、非課税処置を行っています。

イギリスでは1973年に消費税が開始され、2011年には税率20%になっていますが非課税品などが多いため課税ベースが狭くなってしまっています。

一方、1980年以降に導入した第二世代付加価値税導入国であるニュージーランドは単一税率で行っています。

消費税率に関して、我が国でも、複数税率が昨今言われていますがどちらが良いのでしょう?

低所得者対策という意味合いで複数税率が言われることが多いと思われますが、一見、正論のように見えますが複数税率に対する批判を見てみましょう。

  1. 逆進性対策としての公平性目的というが、生涯賃金の変動を考慮していないのではないか。人は一生涯同一の所得ではないのだから、良いときがあれば悪い時もある。
  2. 高所得者は食料品などについて言えば絶対額としては大きく高所得者に恩恵がいってしまう。
  3. 何を軽減化、非課税にするかなど基準があいまいでロビー活動など複雑化し行政コストもかかる。
  4. 非課税、軽減税率により租税の本来の機能である税収調達能力が落ちてしまう。

 

私は思うのですが基本的には租税の本来の目的である税収目的を考えた時、基本的には単一税率が良いと思う。

ただ、その際、考えておかないといけないのは、まづ消費税そのものが逆進性の性格をもつものだということです。

ニュージーランドやデンマークにおいて単一税率でやっていけているのも国民の合意のもと所得税や社会福祉システムで逆進性税制をカバーしているからです。

近年のOECDやIMFレポートも単一税率を採用した上で所得税や社会保障での再分配を主張しています。

今度は、税制度全体で見てみましょう。

所得税がいいのか消費税がいいのか?

世界的な流れとしては所得税などの直接税から消費税などの間接税への流れがあります。

二つを比べてみた時、効率性、行政コストからみたらどちらかはっきりしません。再分配機能から見た時には所得税でしょう。また、富に課税するというのであればやはり所得税でしょう。

近代国家の租税の歴史を鑑みてみると国家の課税権と私有財産制度との矛盾の中で試行錯誤されてきたと思う。

近代国家の租税を考えるうえでのポイントとして

  1. 民主主義の視点 民主主義のすべての権力は説明責任を持つが私的権力は説明責任を持たない。
  2. 平等の視点 資本主義社会では貨幣が支配的な財で貨幣を持つものが他の分野でも権力を蓄積しやすいためそれを阻止するためには機械的な平等の意味で単純な自由ではなく複雑な自由が必要である。
  3. 所得課税を通じた再分配が限界を持つことも仕方ないが消費税が富の蓄積に対して無力であることは明らかである。

 

現在のように資産家が使い切れない資産を保有する資本蓄積が進展している世界の中で貯蓄を延期された消費と観念することはできないと思う。

蓄積された富は社会的、政治的な権力と結びつきやすく民主主義社会では私的権力の過剰な蓄積を抑制しなければならないと思う

 

そうした観点から我が国の税制度を見た時、私は、消費税をいつ、いくら上げるかということよりも1000兆円を超える国家債務、増え続ける社会保障費、より拡大している格差社会すべてを考えた税制度を根本的に見直さないといけないと思うのです。

そういった意味で税制度全体の見直しの提言をまとめておこうと思います。

  1. 再分配機能強化としては税制度の中では所得税の再認識、最高限界税率の引き上げ、
  2. 控除の見直し。
  3. 貨幣の権力抑制のための、所得、消費、資産の課税ベースの見直し、相続税などの引き上げなど。
  4. 国家債務、社会保障費用などを考え、税収入の確保のためには消費税の単一税率と税率の引き上げ。
  5. 基本的には税制度の中だけでの再分配は限界があり、社会保障において調整をはかることが不可欠であり、その際には所得中間層からの不満も考慮して普遍的社会サービスの提供が貧困層への選別的主義的な現金給付より格差、貧困解消に効果があると思われる。

 

我が国にはそんなに時間がありません。

選挙などのんきにやっている暇はないのです。特に民主制を否定しているような選挙はもってのほかだと思う。

そんな彼らだから、そしてそんな彼らを選んでいる私たちもそんな人たちだから、このような世の中になってしまっているのです。

他の提言でも言っていますが資本主義という手段を有効に用いて餓死のない、便利な社会を作り上げられたことはよかったとは思います。

ただ、私たちが忘れてしまったことは所詮、貨幣とは手段にすぎず、目的にはならないということです。

他の提言でも述べているように確かに憲法29条で財産権は保障されています。ただし公共の福祉による制限も受けています。

私は思うのですが私有財産制度は原則として守られるべきことだと思う。生物の本能であると思うから。

ただ、一方では格差社会の中で富が富を生み、それが国民一人一人の機会の平等を侵害してきていると思う。

そうした中で税制度を考えてみると単に消費税だけ考えても全く意味のないことなのです。

低所得者への再分配機能のため、所得税の累進課税、最高限界税率の引き上げは不可欠で所得税は現代においても中心となる祖税であると思う。

法人税についてもグローバル化の中で資本の呼び込みのため税率競争となっていますが我が国においては特に大企業においては賃金に回らず企業の内部留保に回ることが多いと思われ税制度上も検討が必要と思われる。

消費税については単一税率で課税ベースも可能な限り広げるべきだと考えます。租税とは何かという原点を考えた時、これしかないと思う。

ただし、再分配機能としての社会保障、福祉政策があっての上です。そのためには国民の合意が不可欠である。

そして、国民の合意を得るためには何が必要かというと、

租税制度を決める国民の代表者たる国会議員の良識です。

己の欲を捨てた他者のために生きる代表者としての誇りです。

私が他の提言で今、私たち国民が苦難に堪えなければいけないと言っていることとはそういうことなのです。

これからの我が国の租税制度を考えていくとき、必要なことはたった一つなのです。

私たち、一人一人の中に、個の中に全体があるという認識です。

ただそれだけのことなのです。

最後になりましたが租税についての考えに共鳴し、多くのことを学ばせていただき提言の中にも引用させていただいた「現代租税の理論と思想」を執筆された先生方にこの場を借りてお礼申し上げます。

 

2014年11月24日  文責 世界のたま  sign

国会の解散について

国会の解散が盛んにニュースのトップニュースになってきているが、今回は国会の解散について考えてみましょう。

そもそも国会の解散権が誰にあるのか

憲法上は憲法第7条の天皇の国事行為の一つとして、内閣の助言と承認に基づく衆議院の解散と、第69条の内閣の不信任決議に対しての衆議院の解散であるが、第69条に関しては主語がなく衆議院が解散されなければと書いてあるだけで誰が解散するのか条文上でははっきりしていない。

結局、最近では憲法第7条により解散するということで、今回の解散についての国会議員の発言を聞いていても解散は内閣総理大臣の専権事項と言っている。

ただ、それでは勝手に総理大臣の気分で解散できるのか

今までは、議会と内閣が対立して妥協ができなくなってしまったケースか、新たに国民の信を問わなければならない大きな問題が生じた時、だいたいこの二つのケースで解散できるとされてきていた。

今回のケースを考えてみると、自民党一党支配のもと内閣と議会との対立はあり得ず、先に上げた二つ目の理由、新たに国民の信を問わなければならない新たな問題として、消費税増税の延期をすることの是非のための解散とこじつけた理由を付けているが、消費税増税については来年の10月とはなっているものの、延期することも可能とされており、別段、解散で国民の信を問う必要はない。

結局、自分たちの政権の延命のための理由づけにされていることは誰しもわかっている。

他の提言でも述べているように、一時的なごまかしのアベノミクス、黒田日銀総裁とのタッグを組んだ金融緩和政策の化けの皮が剥げないうちに多少の議席の減少は覚悟しても過半数以上は今なら確保できそうなため、彼らの国会議員としてのさらなる4年間の期間の延命を図るためだけの解散に過ぎない。

彼ら現国会議員のくだらない意図はどうでもいいのだけれど

ただ、今回の解散のニュースを見ていて私が感じたことは、今まで、数多くの解散があったが今回ほど、私自身もそうなのだが、すべての国民が本当の意味で冷めた解散はないと思う。

私自身そうなのだけど、かなりの国民は立ち止まって冷静に見ている。

立ち止まったらよくわかるのだけれど、国会議員たちだけが騒いでいる。

国会議員たちだけが大騒ぎしている舞台を遠くから主権者である国民があきれて見ている感じだ。

見え透いたおもしろくもない筋書きの舞台を。

しかも、800億円という選挙費用という入場料を支払って。

本当に不思議な感覚である。

主権者である国民は自分たちだけで勝手に馬鹿騒ぎしている国会議員たちを冷めた目で見ている。こんなに主権者である国民と国会議員が乖離した解散劇は今まで見たことはない。

おそらくこの感覚は私だけではないと思う。

本当の意味で我が国の立憲民主国家としての制度も国家財政とともに崩壊していっているのだなと実感する。

現国会議員や現政党がどうなるかではなく、我が国を支えてきた立憲民主主義そのものが音を立てて崩れていくのを私たちは目の当たりにしている。

これも一つの歴史なのだとは思う。

そういった歴史的事実の中で

今、私たちは与野党問わず彼ら現国会議員とこのまま共に行動してゆくのか決断しないといけないと思う。

彼ら現国会議員は、どこまでもいっても国会議員という本来の意味を理解できていない。

国会議員とは主権者たる国民の代表者であり、言い換えれば主権者である国民の基本的人権を守り、国民の幸福追求権を実現する一つの手段に過ぎない。

手段であるべき国会議員が自らを目的化してしまい

自らの国会議員としての地位、政党の維持、拡大を目的として国会の解散権を行使しようとしている。

本来、国会の解散とは、主権者たる国民の幸福の実現のためだけに許されているのです。

治者と被治者の同一性のためだけに許されているのです。

 

2014年11月13日 文責 世界のたま    sign

 

資本主義から社会福祉主義へ

先日、借金大国 日本の終焉を提言させていただいてから、本当に、加速度的に安倍政権、並びに黒田日銀総裁は、日本の終焉への道を突き進んでいます。

日銀による、量的、質的異次元の金融緩和でもなかなか国内消費の冷え込みは変わらないため、国民の大切な年金基金の株式への投資を増大させ表面的な株価の上昇を行っています。

これが消費につながって結果として財政再建につながるわけがありません。

年金基金の株式への投資は海外の投資家も巻き込んで株価の上昇という一時的な現象を巻き起こすことはでき、企業の内部資産の増大、含み資産増大に伴う金融機関の表面的な黒字決算には役立ちますが、あくまでもこれは帳簿上の問題です。

先日、訪問した取引先の地銀の融資担当も、黒字とはいっても株価上昇に伴う含み益の増加によるもので、実際の貸し出しによる利益では赤字であるので喜べないと話されていたのを思い出す。

私は仕事上、いろんな中小企業で働いている人たちと話する機会が多くありますが以前と違って、儲けているのは大企業、親企業だけだといっておられます。一次下請けの方でも最近は仕事が忙しくても経営的にはしんどいと言われておられます。

これだけの財政ファイナンスと言っていい手段を用いての金融緩和を行い、円安誘導も行っても貿易収支は改善せず、国内消費も伸びない。

それでもかと今度は国民の厚生年金に目を付けて(自分たち公務員にはどうなろうと関係のない厚生年金だからできるのですが)

それを株式に投じて株価を上げているのです。

なぜ日本が借金大国になってしまったのかⅠ~Ⅳの提言の中でも述べていますが日本のGDPの2倍以上の国債残高がある中で、財政再建については何もせず、

ただ赤字国債を発行し続け、その受け皿として国民の貯蓄である郵便貯金も使い果たし、市中銀行を隠れみのにして日銀が国債を無制限に買い支え、

ついに最終的に、国民にとって最後の財産である将来的な生活費である年金までリスクの高い債券投資に使ってしまうという愚行を行っているのです。

年金の運用についてはある程度の必要性があるのも事実です。

ただし、この原資は官僚、公務員を除いた多くの厚生年金受給者の掛け金です。

過去にも多くの掛け金が箱ものに使われたり、投資に失敗したりで失われてきました。誰一人そのことで責任取ることもなく、当事者はちゃっかり共済年金を受け取っているのです。

今回のようにあらゆる金融政策を行っても、消費は伸びず、円安の中でも貿易収支は改善しない中で、実体経済が全く好転していない中でする政策ではありません。

本来、年金の運用は実体経済自体による株価上昇の中であくまで手段として運用されなければならず、株価を上げるための手段として用いることは決してあってはならないことです。

私は財政、金融の専門家ではありませんが、これだけは間違っていると言えるのです。

何故なら、道理に合ってないからです。

どんな、分野にもかかわらず、どんな状況に関わらず、必ず言えることがあります。

道理に合わないことは決して成就することはないのです。

今回の年金投資についても大きな国民の代償を伴うでしょう。

おそらく、円安を契機に輸入品価格の上昇、物価の上昇、消費の冷え込み、実体経済の悪化、金利の上昇、消費税増税の躊躇、増税したらしたで消費の落ち込み、国家歳入の減少、国債金利利払いの増大、国債発行が困難になり歳出削減、消費のさらなる冷え込み、実体経済の悪化、株価の急落、年金基金の減少、年金受給額の削減と負の連鎖となってしまうでしょう。

今回の一連の国の対応に関して思うことは、なぜ日本が借金大国になってしまったのか第Ⅱ部で提言したように、第二のボールが投げられたときの状況に似ています。安易な道を選ぶのか、茨の道を選ぶのか、私たちは同じ過ちをしてはいけないと思う。

 

道理はまづは財政政策が先なのです。たとえ、その先にどんな困難が待ち受けていようとも

 

金融政策はあくまでも補完的な手段です。今は手段が目的化してしまい、手段のための手段ばかり行っているのです。

国会議員自体の歳費、無駄な意味のない政党助成金、文書交通費はもとより、無駄な国会議員自体の定数削減、自分たちだけでできる財政削減すらもできない国民の代表者たる国会議員として無能な人たち、与党も野党もありません。

財政政策せずして金融政策頼み。

額の問題ではないのです。

政策を行う国民の代表者としての自覚を問っているのです。個を省みることができないものに全体は見えないものです。

己を捨ててこそ国民の協力が得られるのです。

個の中に全体はあるのだから。

 

私は思うのです。これ以上国家債務を無駄に増やしたり、国民の財産を無駄な政策に使うことをやめるべきです。

 

それではどうするのかと言われると思います。

 

他の提言でも述べていますがはっきりどうすべきか悩むときは原則に戻るべきです。

 

道理に沿って行動すべきです。

 

私たちには、幸いにして国民、企業の貯蓄があります。私は何らかの方法で累積国債との相殺をして、同時に歳出抑制を行い、基本的には小さな政府、地方分権を行うべきです。

 

国会議員、地方議員などの削減、給与減額は大前提ですが、国民自らも年金の減額、医療費、介護自己負担増大、失業含めて多くの苦難があるとは思います。

 

ただ、私は思うのです。

 

今しかないのです。

 

それしかないのです。

 

資本主義を乗り越えた社会福祉主義への道を歩み始めるべき時なのです。

 

注) 社会福祉主義とは私が作った概念で決して大きな政府を意味するのではなく、どちらかというと中福祉中負担に近い考え方で、地域社会、福祉社会(環境含めた)に重点を置いた社会のことです。このことについては改めて提言させていただきます。

2014年11月5日  文責 世界のたま    sign

企業(会社)とは

世の中には数多くの企業があり、そこで数多くの人たちが働いている。また、多くの若い学生が毎年、就職活動のために、多くの企業を訪れていることでしょう。

今回は、皆さんが働いている、または、働こうとされている企業について考えてみたいと思います。

最近のニュースでも派遣労働者に関しての法改正が問題になっています。

派遣労働者についての改正ですが派遣社員について一定の派遣雇用期間が経過しても人が変われば引き続き派遣雇用が継続できるというものです。

賛否両論言われており雇用の機会を増やすことができる反面、派遣の固定化につながり企業サイドに立ったものだとも言われています。

 

私はこれらの議論をみていて思うことは、表面的な派遣社員の在り方がどうであるかと考える前に、現代社会における企業そのものを在り方がどうあるべきなのか、もっと言えば企業とは何なのかを考てみる必要があると思います。

 

企業を取り巻く問題には派遣問題以外でも、食品偽装問題、自動車などの製造業のリコール問題、ブラック企業問題、製薬会社における治験欺罔問題や薬剤副作用問題、電力会社における原子力汚染問題、電力買い取り問題など数多くの問題が生じています。

一つ一つの問題をみると一見それぞれ違った問題に見えますが、根源的な問題は企業の社会的責任だと思う。それはつまり企業の在り方、企業とは何なのかが、今、問われているのだと思う。

 

企業とは何かを考えた時、多くの人の答えは、日々の生活費を稼ぐところ、そして、自分自身のやりたいことを実現するところといったところでしょうか。

確かに現実的にはそういった理由で働かれている方が多いいと思います。

 

企業の成り立ちを考てみると、個人で生産するだけでは限界があり、人が集まり分業して効率的に多くのものを生産する中で物が豊かになり社会が発展し、企業という形が形造られ、それと同時に雇用者と被雇用者という関係、企業が巨大化する中で、経営者と株主という関係が生じたのだと思う。

従って、もともと企業という組織は社会が豊かになる必要な手段として生じてきたものだと思う。

財政の現代史に関する提言の中でも述べているが日本社会においても当初、企業は終身雇用制のもとで国の社会保障制度の一役を担っており、企業で働くことで多くの勤労者、その家族は安心して生活を送り、社会が発展できたのだとは思う。

そうした中で企業も巨大化し、現代社会においては、本来、社会、国民のための手段としての企業が、企業のための企業に、言い換えれば、手段としての企業が目的化してしまっている。

 

資本主義という考え方は確かに社会を物質的に豊かにし、飢餓や、貧困を減少させたという点では手段としては間違っていなかったと思うし、合理的で必要だったとは思う。

その中で企業の果たした役割は大きかったと思う。

 

ただ、今の世界、特に日本社会を考えた時、私は思うのです。

 

主権者諸君へ、世界への提言の中でも述べているのですが果たしてこれ以上の手段としての便利さは社会にとってそんなに必要なのか?

 

手段としての企業の利益のために私たち社会が振り回され、利用されているだけではないのか?

 

私が、世界、日本社会を直視した上で、立ち止まって考えた時、これ以上の便利さが世界の人々の豊かさ、特に心の豊かさ、言い換えれば人間らしさにとって必要かと問われたなら

 

否と答えると思う。

 

1年10ヶ月前くらいだったか滅多に行かないのだが製薬メーカーの勉強会に招かれて話をさせてもらったことがあるが、その時に思ったことは、勉強会の内容ではなく、席の配置だった。

私が一番前の席に製薬メーカーのスタッフに向かって一人で座っていたのだが、一列に私に向かって座っている製薬メーカーのスタッフたちから離れた一番後ろの会議室の入り口のドアのそばに子会社の卸業者のスタッフがたった一人でぽつんと居心地悪そうに座っていたのを今でもはっきりと覚えている。

その当時の私の担当のメーカーのMRは常日頃、卸業者とは二人三脚でお互いに助け合って上下関係はないと言っていたが現実を垣間見た気がした。

おそらくメーカーのMRは認識していないのだろうが、こうした積み重ねが、製薬メーカーの奢りを生じさせているのだと痛切に感じ、皮肉ではないが、その時にその製薬会社が海外で訴訟を起こされている薬剤(日本国内でも製薬会社が、緊急の注意喚起、患者への発がん性についての説明義務を指示していた)に絡めて、エイズ混入血液製剤事件を取り上げたが、一方で、このスタッフたちでは、おそらく被害者患者の痛みは理解できないだろうと痛切に感じたのを今でもはっきり覚えている。

その後、MRと訴訟を起こされている薬剤について話した際、MRが裁判では勝っているという話をしたとき、私が「発がん性があるかもしれないが裁判では勝っているという張り紙をしてあるフレンチ料理を君は食べるの?」と聞いたら黙って何も答えなかった。最近、アメリカで80億程度の上訴審賠償判決が出ていた。陪審員判決から相当、額が減ったから多分その企業は安堵しているのだろう。

ただ、私は思うのだけれど企業の本来の存在理由を考えた時、本当は訴訟の勝ち負けではなく、その額でもない。

訴訟を起こされたこと自体が問題だと思う。たとえアメリカが訴訟好きな国としても。

一歩譲ってそんなに安全性に自信があるのであれば何故、日本国内で緊急の注意喚起、患者へ発がん性の説明義務をするのかが理解できなかった。

特に、製薬メーカーであれば健康被害については謙虚さが必要であると思う。

そしてかかったと思われる多額の訴訟費用、賠償金もその一部は、我々日本国民の医療費としての税金が使われているのということも認識すべきで、その意味でもいくら莫大な利益を上げ、給与が良いとしても、社会的存在価値の低い企業としか言いようがない。

 

医療に関わるものにとって最も大切なものは何かと問われたなら、

 

いかなる理由があろうとも、どこまでも、相手に寄り添う姿勢であり、気持である。

 

世界の財政政策を見ても分かるように、EU、アメリカ、日本ともに行き詰まってきており中央銀行が、国債、債券を買い取る、金融緩和を推し進めざる負えない状態に追い込まれてきている。

 

昨日のニュースでも日銀の黒田総裁は70兆からさらに10兆円の金融緩和の上積みを行い、年80兆円としたが、本当に日本財政、金融政策の限界だと感じた。ただそれを決めた金融政策委員9人のうち反対が4人いたことがほんのわずかであるが救いだった。

 

他の提言で述べようとは思うが、言わば、世界は資本主義経済の限界に差し掛かっていると思われる。

 

現実的にいくら日銀が金融緩和しても大企業のみが利益を上げ内部留保を増やし、中小企業含めた勤労者は賃金は上がらず、完全に経済の流れ、貨幣の流れは行き詰まっている。

日本の基本法たる憲法を振り返ってみたとき、憲法上、資本主義を認めている条文というと29条の財産権の保障、22条の職業選択の自由であるのだが、共に、自由を認める一方、その自由は公共の福祉による制限を受けている。

憲法上、具体的権利の中で公共の福祉による制限を受けている条文は他にはない。

 

私は思うのだが、日本国憲法は資本主義経済の限界を予定しているのだと思う。

 

今回の提言の企業とは何かということで言えば

 

企業とは、社会の心の豊かさを創造する媒体、手段だと思う。

 

多くの方はおそらく理想の考え方で現実的ではないと言われると思う。

 

それは私も含めて資本主義的な考え方で教育を受け、資本主義社会の中で生活してきたからです。その中では現実的ではないとしか思えない。

 

世界への提言、主権者諸君への中でも言っているように、資本主義社会の行き詰まりの中で資本主義を超えた 新たな価値観が必要な時なのです。

 

 

平成26年11月1日  文責 世界のたま   sign