新たなる時代の先駆けとなれ~暗黒の時代を乗り越えて

先日、核禁止条約締結へ向けての国際会議が開かれ、115か国以上の国々が参加したが、日本をはじめ核保有国、NATO参加国は棄権した。会場には折り鶴が配られ、日本が座るべきだった机にはとりわけ大きな折り鶴が置かれ、折り鶴には、あなたにはここにいてほしかったと書かれてあったのが印象的だった。

昨年10月には被爆県選出である岸田外務大臣は日本が核保有国との積極的な橋渡し役を果たすために主導的立場でこれらの会議に出席することを述べていたが、トランプ政権の発足で今回の棄権という真逆の結果となってしまった。

その理由について核保有国と非保有国との決定的な断絶を避けるためと説明しているが、それは最初から分かっていることである。1970年の核保有国間における核拡散防止条約が功を奏せず北朝鮮までもが核を保有するに至っている現実、ロシアのプーチン首相、アメリカのトランプ大統領共に、さらなる核戦略の拡大を図っている現実、これらの現実を前にして核保有国に任せておけないという国際社会の認識の中で今回の核禁止条約締結への流れができてきたのであって、元々、核保有国との認識のずれがあるからこそ起こっている問題なのだからそもそも核保有国との軋轢は覚悟のうえで非保有国は会議に望んでいる。

いまさらどの面下げて橋渡しをすることができるというのか。アメリカに追従しかできない何の核心を持たない政府、国家に対して今回会議に参加した非保有国はもはや何の期待もしないであろうし、恥さらし以外の何者ではなく、核の犠牲になった多くの被爆者に対する冒瀆である。

北朝鮮が弾道ミサイル発射を行い、シリアでは政府軍が化学兵器の使用をしたとされ、それに対し、米中首脳会談中にアメリカによるシリアへのミサイル攻撃が行なわれた。

これらの一連の流れの中で私が思うことを二つ述べておこうと思う。

一つは北朝鮮の弾道ミサイル核実験やイランの核開発などを見てわかるように、上記にも挙げた1970年代の核保有国間における自分たちだけが核を持ち続けようという傲慢な政策などでは核抑止には何一つの効果もないこと、ましてや一歩譲って核拡散防止条約を評価したとしても結果として、この間のトランプ、プーチンなどのおバカな大統領たちが制限のない新たな核技術の開発を推し進める発言を目の当たりにしたとき世界中の誰一人として核保有国が真摯に核を地球上からなくそうと考えていると信じることはできない。

そもそも核を彼らが持ち続けようとする理由の一つは根底に彼らが核抑止論を信じているからだと思われるが、以前にもブログの中で述べたことがあるが、冷戦が終結して以降、今後想定しうる戦争状態は主権を有する国家間での国境を挟んでの戦争ではなく、民族、宗教、経済的格差からの国内や国境をまたいでの戦争である。国家主権を持たない組織に対しては基本的に核を保有することでの抑止効果はない。イスラム国が良い例であるが、彼らに対して核抑止効果による戦争終結を図ろうとしても困難である。彼らにとって核攻撃を受けたところで何も失うものはないのだから、現実を見てみれば誰もがわかっていることだ。そしてもし彼らが核兵器を持っているとすれば相手が核を持っていようがいまいが躊躇なく核兵器を使うであろう。そこでは核抑止論は全く意味のないことなのだ。

もし核抑止論が意味のあるものでないと分かっていながら核保有国が核を持ち続けるとしているならば、そのもう一つの理由は、核をも含む兵器を経済活動の一つの産物としか考えないおバカな経済至上主義である。兵器産業から莫大な利益を得ている核保有国にとって、経済至上主義により自らの経済的有利な立場を維持、継続するためには、世界の緊張緩和はあってはならず、常に緊張関係を望んでいる。そうすることでアメリカ、ロシア、中国などの核保有国はその経済的基盤、支配地域の拡大を求めている。

彼らにとって基本的に地球環境などどうでもいいのだ。彼らは近視眼的な物の見方しかできず、彼ら自身、若しくは身内レベルの当面の社会的、経済的地位の維持、保全しか考えていない。アメリカをはじめとして自国第一主義が盛んに言われているが、基本的にはそこに住んでいる国民全体ではなく、所詮は一握りの人間のためだけに過ぎない。

そして私が思うもう一つは、世界中で次々と起こっている一つ一つの事実が、本当に幼稚で、熟慮せず行われていること。その内容も稚拙で、残虐化しており、それを見聞きする世界中の多くの国民がそれらの稚拙化、残虐化に慣らされ、その無関心さの中で、更なるエスカレートした稚拙で残虐な出来事が生じていることである。

今回のアメリカによるトマホークミサイルのシリア空港施設への攻撃は、アサド政権の化学兵器使用による報復攻撃として正当化しようとしているが、ミサイル攻撃、化学兵器による攻撃、核兵器による攻撃、最新機器を利用した無人機の遠隔操作による攻撃など、それらに何の違いがあるというのか、ユダヤ人に対するガス室での大量殺人、第二次世界大戦中、行われた人体実験、ベトナム戦争での大量の枯葉剤散布それらに何の違いがあるのか

私にはそれらに何の違いがあるとは思えない。

そして連日起こっている世界中でのテロ、ロシアでの手製爆弾を使用した列車テロも、スウェーデンで起きたトラックを使ったテロさえも何の違いがあるというのか。

第二次世界大戦後も世界中で起きている戦争や紛争はすべてといっていいほど、それらの原因はその背景には欧米を中心としたかつての植民地支配か、米露による冷戦が必ずと言っていいほど介在している。

結局、今回のシリア問題もそもそもアサド政権に対する米ソを中心とした先進国の関与、シリア問題を複雑化したイスラム国自体も、過去のブログでも述べたように、彼らが強大になったのもソ連のアフガン侵攻をきっかけとしたアメリカによるイスラム過激派に対する軍事支援、イランイラク戦争でのフセイン政権に対する軍事支援などによるものである。

そして今回のシリア空港に対する攻撃含めたシリア内線も結局は、欧米露による軍事介入が行われ泥沼化し、数多くの子供も含めた人々が亡くなり、負傷し、難民化している。

イスラム国で兵士が乗り回すトヨタ車、イスラム国、政府軍 反政府軍が使用するすべての武器も、そして化学兵器すらも 先進国自らがその経済至上主義の中で開発し、現在も売り続けている経済至上主義に基づき生産された商品であり、その利益によって私たち日本人も含めた先進国の人々がある者はブランド物を身に着け、ある者は高級住宅を建て、そしてある者は生きるための食べ物を買うことができているのである。 

第二次世界大戦後、米ソの核開発競争の中で、多くの核実験が行われ、第五福竜丸乗組員をはじめとして、核実験場とされた太平洋の島々の島民、参加した兵士たちなどから多くの被爆者が出てしまった。原子科学に道を開いたラッセル、アインシュタイン、湯川秀樹などの優秀とされノーベル賞をも受賞した彼らがその自らの発明を後悔し、核開発競争に対する反対声明であるラッセルアインシュタイン宣言を世界に打ち出したが、もはや彼らの言葉に耳を傾ける人々はいなかった。

現代社会はこの3年間でがらりと変わってきてしまっている。今年南極が史上最も小さくなった事実でも明らかなように地球温暖化は進んでいる。そんな中でトランプ氏は自然破壊をしてでもカナダとのパイプライン建設にゴーサインを出し、パリ協定からの脱退も匂わせてもいる。自然破壊を優先してでも推し進めているのは沖縄の辺野古基地建設も同様である。そこにあるのは自然との共通感覚を持たない自然と敵対関係にある人間中心主義である。

現代社会は経済至上主義によって生み出された商品や経済そのものをも含めた手段を目的化したその末路の最終段階に来ており、自然との共存を否定し、人間自らもが自然であることも忘れ、結果として人間同士、他者との共存をも否定してしまっている。その結果として世界中で自国第一主義が生ずることは当然の結末である。そして自国第一主義といっても所詮は自然との共存、他者との共存を否定する者たちの国家など最終的には成り立ちはしない。自国とはいっても最終的に守ろうとするのは最終段階での一握りの指導者たち自身だけである。

そして現実問題として言えることは自らを自国第一主義と言っているアメリカが日本を最終的に守ることなどあり得ない。これは100%間違いのない事実である。蓋し、アメリカによる北朝鮮の挑発によって韓国や日本に核ミサイルがいくつ撃ち込まれようがアメリカ、中国、ロシアにとって何の関心もないどうでもいいことなのだから、自分たちに核被害が及ばない限りにおいては

私には核禁止条約に対しアメリカに遠慮して棄権し、シリア攻撃に関してもいち早く賛同するおバカな安倍さんの能天気さにはあきれてしまう。そしてトランプ氏、安倍氏の共通点はその稚拙さであり、未来に対する想像力が欠如しているのである。簡単に言えば本当に人間としておバカな二人なのだ。そしてそのおバカな二人を止めようとしない私たち主権者たる国民も、コマーシャルや経済至上主義によって生産される商品や娯楽の中で思考停止しているのである。

最後になるが私たち日本国民が今、何をなさなければならないのかを話しておこう。

私たちは思考停止したおバカから脱して自然との共存を図らなければならない。このことはすべての基本であり、このことはゼロか百かで百しかありえないのです。その間はないのです。その間を模索しようとした結果が現代社会なのです。

自然との共存が核心であり、核禁止条約の締結、辺野古基地建設の中止、原子力発電所の廃止などは、政治的問題、経済的問題など考える前にまず無条件に肯定されなければならない。何らかの理由で否定されることは許されないのです。私たちはそうした絶対的な前提のもとで政治的な、経済的対応を考慮してゆかなければならないのです。核心は核心であり、ぶれることはあってはならないし、ありえないのです。

それに対し必ず、現実問題として中国が北朝鮮が攻めてきたらどうするのか、原子力発電所がなくなったら電気はどうするのか、デフレになったらどうするのか、様々な反論がなされると思う。空論で現実的でないと言って、単なるバカだと言われるお偉いとされる各分野の専門家がおられるとは思う。でも私は彼らに問いたいのです。

あなた方専門家をはじめとする世界の英知を持ってして築いた世界が、今、あなた方そして私たちの目の前にある世界なのです。どこがうまくいっているのですか?どこが幸せなのですか?これ以上、稚拙で、人が住むことが、生きることができなくなるまでおバカな政策を続けてゆくのですか?

私たち日本人は目を覚まさなければならない。私たちが恐れなければならないのは北朝鮮でもなく、中国でもなく、ロシアでもなく、テロではないことを

私たち日本人が本当に恐れなければならないのは自然との共存を否定した私たち自身の心であり、他者との共存を否定した心であり、思考停止した心である。

私たち日本人は核を否定する国々との、経済至上主義の中での格差社会の中で生きることもままならない国民をかかえる国々との、国家から見捨てられ、避難している人々との、国家すら持てない民族との共存をまず第一に考えなければならない。

欧米諸国、中露と対立してでもそれらの人々との共存を図らなければならない。
私たち日本人は暗黒の時代を乗り越え、新たなる時代の先駆けとならなければならない。
そしてそれができるのも今を生きる私たち日本人しかいないのです。

   平成29年4月11日  文責  世界のたま

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