日米首脳会談で日本が失ったもの(2)(世界が失ったものと心の汚染)

前回のブログでも述べたように現在の日本はもはや立憲民主主義国家ではなくなってきていることを国際的にも露呈してしまっているが、私は今回の首脳会談、いや、それ以前に大統領就任前に、安倍氏が訪米し、トランプ氏宅に金のゴルフクラブを持って訪ねた光景を見て、日本という国家としての独立性、言い換えれば真の意味での国家主権そのものを本当に失ってしまったとつくづく思い知らされた。

私は国際関係において真の意味で最終的に不可欠なものは、グローバル化された民主主義であり、最終段階においては国家主権の存在はもはや意味をなさないものと考えている。

しかしながら、立憲民主主義が世界において確立していない、それどころか失われつつある現代社会においては国家主権の存在は立憲民主主義を守ってゆくうえで依然として不可欠であると思う。

そういった意味で、我が国がアメリカに対して行っている現在の外交は朝貢外交以外何者ではなく、我が国には国家主権は存在していない。この間の他国の首相のトランプ氏に対する対応を見てみても一目瞭然である。その真意は別にしても

トランプ氏が大統領に就任後、ドイツのメルケル首相はその電話での首脳会談において、世界の首脳として唯一トランプ氏に対して民主主義、基本的人権の尊重を敢えて取り上げることで苦言、警告を発した。

イギリスのメイ首相はトランプ氏との直接の首脳会談の席上、トランプ氏を横目に敢えてアメリカの7か国からの入国を禁じた大統領令に対しての批判、苦言を呈した。

メキシコのペニャニエト大統領は国境の壁問題でトランプ氏との首脳会談を中止した。

カナダのトルドー首相はトランプ氏との会談の中でトランプ氏を横目に移民の受け入れ、多様性こそが発展の源であることを発した。

私がここで国家主権について口を酸っぱくして述べるのは最終的な個々の基本的人権の尊厳の確保にとって手段としての国家主権の存在が当面、不可欠であるからに他ならない。

ただここで間違ってはいけないのが、自国民のみの人権を優先させる意味での国家主家と、国際的な社会的弱者との共存を前提とした国家主権を決して混同してはならないということだ。現在の世界を覆っている空気、国家主権を強調する空気は前者の意味での、かつて先進国が行った植民地政策を思い起こさせる。私たちは資本主義経済の行き詰まりの中で、真の意味でのグローバル化とは何なのか、真の意味での国家主権とは何なのかを思考し、想像することもなく、歴史の中に閉じこもり、その歴史を繰り返そうとしている。

今、私は世界中で環境はもちろん、世界中の人々の心の中に汚染が広がり、悪臭が漂っているのを感じる。

トランプ氏のアメリカは自国中心の経済至上主義を唱え、ロシアを上回る核兵器の保有、世界一の誰をも有無を言わさない世界最大の兵力の保有を進め、このことが軍需産業の活性化につながり、第二次世界大戦後、世界中の金の保有を独占し、世界の金融、経済の中心であったアメリカの再現を夢見ている。

そんな中で安倍氏の日本も、違憲である安保関連法の強行採決後、スーダンへの自衛隊派遣、兵器の輸出解禁、原子力発電所の輸出し、世界中の環境に対して、世界中の人々の心の中に物理的、精神的汚染の拡散を図っている。

兵器を経済至上主義的な観点から軍需産業の生産物としてとらえる限り、世界中から兵器はなくなることはない、戦争もなくなることはない。蓋し、より多くの経済的利益を上げるためにはその需要たる戦争は起きてもらわなければ困るのだから、かつてソ連がアフガン侵攻したとき、9.11を引き起こしたビンラディンに対して軍事的支援を行い、悪の枢軸としたイランにかつては軍事基地を作り、イラン・イラク戦争当時はイラクに対し軍事支援を行い、中東最大の軍事力をつけさせ、9.11以後はそのイラクに対して、多国籍軍を率いてありもしない大量破壊兵器を理由として軍を侵攻させた。

日本においても、日本が今日、経済大国になりえたのも朝鮮戦争、ベトナム戦争による特需が大きく寄与していることは歴史的事実である。

グローバル化の流れの中で、国家間の直接的な戦争はなくなりはしたが経済至上主義が世界を覆う中で、格差は拡大してきており、その中で世界中で人々の不満は増大している。

世界中で9.11以降、テロには屈しない、テロとの戦いという言葉が各国の首脳から聞かれる。確かに世界中で民族、宗教の違いによる武力衝突やテロ事件が起きているのも事実だ。

それでは何故、それらがなくならないのだろうと考えたとき、私は先に述べた経済至上主義による格差、貧富の拡大が一つの大きな理由だと思う。

そして巨大な軍需産業の存在だと思う。軍需産業も経済活動の一つとしてとらえるならばテロとの戦いだと国民に排外主義を焚き付け、世界中の軍事費、防衛費を増大させ、実際のテロとの戦いの中で莫大な武器、弾薬を使用している。言い換えればテロとの戦いがなくなってしまうことは軍需産業にとって好ましいことではない。自らの需要がなくなってしまうことを意味しているのだから

実際に国際関係の中で緊張関係を高めているのは軍需産業を経済成長の柱の一つとする経済至上主義国家そのものに他ならないと私は確信している。

言わば消防士が火をつけて回っているようなものではないかと私は思う。

私は皆さんに問いたい、真に平和の中に生きることを望む者は、今、何をしなければならないのか

私は思う。
歴史に目を閉ざしてはならない。
歴史の中に閉じこもってはならない。
思考停止してはならない。
他者との共存を否定してはならない。 
排外主義に陥ってはならない。
真に平和を望む者は経済至上主義に陥ってはならない。
経済至上主義に陥っている私たち自身こそが真の平和を害する根源なのだと気付かなければならない。

最後に、アウシュビッツ収容所で生き残り、その後館長を務めた今は亡きアウシュビッツ博物館館長の言葉をあげておこう

ただ涙を流すのではなく考えてください。

  平成29年2月27日   文責   世界のたま

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