政党政治の崩壊を迎えて

ちょうど1年前に私は、このホームページを立ち上げ、8月のブログの中で、たかり集団化した政党について書いたことがある。

 

その後、一年を経過して今私が思うことは、我が国における政党政治の崩壊だ。

 

本来、政党とは何かと言うことだが、政治に国民の意見を反映させるための手段である。あくまでも世論をまとめ、それを実現させるためのものである。

 

現実がどうかと言えば、政党国家化現象が生じてしまっている。

 

政党国家化現象と言えば聞こえはいいが、内実は小選挙区制度や政党助成金、企業献金の再開など相まって、詐欺集団化していると思う。

 

国政選挙で訴える国民受けのいい内容を盛り込んだマニフェストはほとんど達成、実現されることはなく、多数を取った瞬間から、マニフェストにも上げていなかった事案、マニフェストの片隅に入れていた事案等を、さも選挙において国民の多数の同意が あったと言わんばかりに強行採決で議決してゆく。

 

そこには世論をまとめ、それを実現するという政党本来の姿はない。

 

特に今の政権与党である自民党について言えば、小選挙区制度の下でその代表者である総裁に公認権、政党助成金や企業献金の配分権があると思われ、今回の総裁選でもそうだが誰一人総裁にたてつくものが出てこない。この実態は組織化された詐欺集団、暴力団組織そのものに他ならない。

 

過去の歴史をみてみても国民の生命、自由という人権が踏みにじられるとき、その前に、手段としての立憲民主制が踏みにじられる。

 

私が一年前、このブログを立ち上げたのも、人権保障手段としての立憲民主制、国会と内閣との抑制と均衡、政党政治、そして唯一の国民の権力的契機である国政選挙すらもが、時の政権、それらに群がる一部の人達の権力や資産の維持の手段に成り下がってしまったからに他ならない。

 

この政党内での民主制の欠如は与党だけではない。最近起きたことでは、野党である維新の党も同様である。維新の党として国民から議席をもらってまだ半年である。その幹部が好き放題に離党したり、他党との合流、新党結成を図っている。

 

今の国会議員が真の意味で国民の代表者とは言えない。

 

日本国憲法上、国会議員は政党人である前に国民全体の代表者である。党議拘束より国民の利益、すなわち人権保障が優先されなければならない。

 

このように、この一年、私たちは多くのものを失ってきている。それは、国民の人権を守ってゆくための手段である。国会と内閣との抑制と均衡を失い、権力的契機としての選挙制度、すなわち平等選挙制度を失い

 

そして今、私たちは政党という民意を媒介させるための手段をなくしてしまったのだと思う。

 

今、私たちに残された人権を守る手段が何かと言うと、一つには司法判断、憲法上の違憲審査権です。そしてもう一つが、近代憲法制定の歴史の中で成文憲法の条文上からは消えていった抵抗権です。

 

今、国会周辺含めて全国各地で起こっているデモ、動く集会は抵抗権そのものです。

 

そして、私自身が最高裁に上告申立てしていることが日本国憲法上での抵抗権の行使に他ならないのです。

 

2015年9月1日   文責   世界のたま    sign

 

 

 

 

 

 

 

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