今後の介護保険制度の在り方について

高齢化に伴う要介護者の増大の中で介護費用は増加の一途を続けており、介護サービス事業者への介護報酬の減額が行われようとしています。

 

ただ、こんなことをしたところで焼け石に水で来年度もまた減額なり、利用者負担の増額などつぎはぎだらけの出たとこ勝負的な政策をしてゆくことになるだけで、今後の顛末は簡単に予想がつきます。

 

他の提言の中でも簡単に述べたことですが、いつまでもサービス事業者への介護報酬額を減額したり、自己負担をちまちま上げていったところで時間の無駄です。そんな方向で時間稼ぎしたところで、どうせ行き詰ってしまうのですから。

 

もう少し現在の介護保険制度を全体から見つめ直さないといけないのです。

 

私が現在の介護の現場で思う問題点をまとめて述べてみたいと思います。

 

まず考えないといけないことは大きく二つあります。

 

この二つが今後の介護サービスを考えていくうえで柱になります。今の介護保険制度のように破綻している制度を前提として変えていったところで先に述べたように、いくら変えたところで無理なのです。ただ単に時間の無駄なのです。

 

上手く行かない時にはまず、制度自体を考え直すべきなのです。

 

現在の介護保険制度は介護度によって一か月の介護サービス利用の上限が決められています。介護度は要支援1、2と要介護1から5までに分けられており、介護度が高いだけ介護保険上、多くのサービスを保険内で受けることができます。

 

結果的に介護度が高い人ほど当然医療面での多額のケアが必要で介護、医療両面での国家負担は大きくなり介護度5であれば総額一人当たり一か月で50万円以上にもなるケースがほとんどではないかと思われます。

 

今の医療、介護両面から制度を考えてみた時、そして、現在、両現場で行われている実際のケアを考えてみた時、今後加速度的に、重度の要介護、要医療が必要な人は増えてくると思われます。

 

両制度は消費税増税をしたところで、現在の国家債務状況や、今年度の国家予算を考えてみてもすでに破綻しています。

 

現実を前にしてどうしたらいいかと考えてみた時

 

介護、医療面での計画的な国家予算計画を立てるうえで必要なのは両制度利用額が総額でいくらになるのかをはっきりさせることなのです。

 

そこで私が考えるべき柱の一つが他の提言でも述べていますが介護保険と医療保険を何らかの形で一本化すべきで、なおかつ制度内で上限を設けるしかないと思います。

 

私は医療、介護保険利用を各自の生き方の選択の中で利用していく方向がベストであると思います。

 

そしてもう一つの柱として制度的に考えていかなければならないのは医療、介護制度の根本的な目的意識の徹底であり確立だと思う。

 

そもそも介護保険導入時、社会的入院の排除、医療、介護の分離のため、基本的には在宅介護、いわゆる自宅での介護サービスを中心に考えたはずなのですが、結局、施設型介護が中心となってしまい、良い悪いは別にして施設での徹底的な医療、介護面でのケアのため結果的には重度の要介護、要医療必要者が増える結果となっています。

 

私は医療、介護制度の目的は、国民の社会的生活、言い換えれば人が人として生きてゆくための国家的なサポートだと思う。

 

それでは人が人として生きてゆく社会的生活とは何なのかと言えば私はあくまで在宅生活であると思う。

 

私が医療、介護現場でよく経験することだが一人暮らしされておられる方でかたくなに他人のサポートを拒否される方がいる。

 

たまにニュースでも一人暮らしの孤独死として悲しいニュースとして報道されているのを見ることがあるが、はたして当人にとって本当に悲しかったことなのか疑問に思うことがある。

 

私は孤独死をされた方の多くは自分でそういった終焉を選択されたのではないかと思う。かたくなに他人のサポートを拒否される方と同様に。

 

隣家などへの延焼など社会的問題がない限り、私は決して孤独死とは悲しいものではなく一人で好きなように旅立たれ、誰にも迷惑かけず、自己完結された死として尊いものではないかと思うのです。

 

他の提言でも取り上げていますが、人にとって、生きているとは、ただ単に心臓が動いて呼吸していることではないのです。自己実現こそが生きているということだと思う。

 

自己実現、自己完結してこそ、生を全うしたことになるのだと思う。

 

そういった意味で介護保険制度においても、在宅介護が基本であり、今までの日本の介護保険制度のように基本的な考え方がぶれることがあってはならない。社会経済学的にも選択の余地はないのです。

 

私は二つの基本的な柱を中心としてもう一度日本の介護保険制度を作り直すべきだと思う。

 

さらに、現介護保険制度についての問題点を述べると、介護保険サービスを実際に利用しようとしたとき居宅介護サービス事業所を通じて毎月サービス計画書の作成が義務付られる。

 

介護支援専門員が最終的には計画書を作成するのだが、私自身多くの計画書の作成を実際に作成してみて感じるところなのだが、あまりにも形式的で、現実的ではない。

 

事業所の行政監査にも何回も立ち会ったが基本の計画書自体に無理があると思うことが多い。

 

80歳、90歳の高齢者にとって日常生活動作の改善目標の設定、その成果を計画書の中で作成し、実際のサービスでどこまで達成されたかなどを記載することになっているが、私は寝たきりの高齢者にとって酷な話だと思う。

 

確かに現実的には書類上の問題で多くの施設ではどこまで計画書に沿って行われているかわからないが、人も生物である以上老いは避けられず食事もとれなくなって褥瘡もできて当たり前であってそれが自然なことなのです。

 

私は介護とは何かと考えた時、その核心は、その人の自然の生き方、裏返すと死に方を尊重して寄り添うこと、ただそれだけだと思う。

 

医療における終末医療も同様だと思う。

 

私自身、介護保険制度開始時から、数多くの主治医意見書を作成し、介護度判定委員として何回も判定会議に出席し、介護支援専門委員として居宅訪問調査、サービス計画書を作成し、数多くの終末期の人々を看取ってきた純粋な現場の意見として述べさせていただきました。

 

人は生きて死んでゆく。生とは何なのか、死とは何なのか。

 

もう一度、考えてみてください。

 

その中で、これからの医療、介護保険制度を根本から見直してみるべきではないかと思う。

 

2015年1月17日   文責  世界のたま           sign

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です