おバカな有権者に告ぐ~真の有権者たれ

全世界でコロナ感染者が一千万人を超え、来るべき人類の滅亡を前にして、私たち人間が、現在、世界中で行っていることは、何の意味もなさない滑稽なことばかりである。

私たち人類は、進化し、賢くなっていると錯覚しているに過ぎない。

私たち人類が、豊かさを追い求めた結果が、人と人が直接会って、会話し、共に食事をしながら、お酒を飲みながら歌い、踊ることも許されない社会、その行き着いた現代社会のどこに進化があるのか。
それを、「新たなる社会」などとほざいている人間のどこに賢さが存在しているのか。それは、かつて第二次世界大戦末期、各地で戦闘に敗れ、部隊を撤退させることを、転戦と発表し、撃ち落され、沈められた戦闘機や、軍艦を、戦果として発表した大本営発表そのものである。
まったく滑稽以外の何物ではない。

そうした中でも、私たち人間は、更なる豊かさを求め続けているが、それは、どこまで行っても実際には、永遠に届くことのない幻に過ぎない。

私たち現代人は、経済至上主義社会の中で、記号化されてしまっている。
私たちが、今、追い求めている豊かさは、記号化された豊かさにすぎない。
豊かさを手に入れたと思った時には、その豊さは、指の間をすり抜け、消え去ってしまっている。何故なら、そうした記号化された豊かさは、元々存在していないのだから。
かつてオーストリアの精神分析医フロイトが言っていたように、もはや現代人には確立した自我など存在してはいない。

人類の滅亡を前にして、現代の日本、世界を考えてみる中で、最も変わらなければならないもの、それが何かと言えば、有権者である。

有権者が変わらずして、何も変わることは、決してあり得ない。
何度も言うが、個々人の中に全体がある。
今、変わらなければ、座して人類の滅亡を待つだけである。

今、世間を騒がせているおバカな河井夫婦問題ひとつとっても、例えば、選挙買収で逮捕された河井杏里が当選した昨年の参議院議員選挙広島選挙区で、自民党が二議席独占していたなら、(現実的には、おバカな安倍が溝手さんを落選させるために仕組んだものだからあり得なかったのではあるが)これらの買収問題事件は取り上げられることはなかったであろう。
そして、これも世間を騒がせたおバカな黒川高検検事長が辞職せず、おバカな安倍の下で、おバカな黒川検事総長が誕生していたなら同様におバカな河井夫婦による買収問題事件は、取り上げられることはなかったであろう。確かに河井夫婦はおバカではあるが、所詮はおバカな安倍の駒にすぎない。そしておバカな安倍自身も、おバカな本人は自覚していないが、所詮、権力という幻に振り回されているおバカな駒にすぎない。

この間の報道において、彼らに選挙資金を提供した党本部、おバカな安倍、おバカな菅、お金を受け取ったおバカ丸出しの市長、町長、県議会議長、県議、市議、町議などについては、盛んに報道されているが、一方で彼らを選んだ有権者については、何ら触れられることなく、あくまでもおバカな彼らを評価する側としてしかとらえられていない。そして有権者自身もそうとらえている。
しかし、よく考えてみると最も非難されるべき、最もおバカな者がだれかと言えば、彼らを選んだ最悪のおバカな有権者である。

先にも述べたように、今の、私たち有権者は、所詮、記号化されたおバカな有権者にすぎない。何故ならば、上記に挙げたように、自民党が二議席独占したり、黒川が、検事総長になっていたならおバカな河井夫婦問題は、何ら問題となることもなく、私たちおバカな記号化された有権者は、何ら問題意識を持つこともなかったからである。
私たちが、おバカな記号化された有権者ではなく、真の有権者であったとしたならば、当初から正当な代表者を選択できたはずである。

そしておバカな有権者を語るとき、おバカな記号化された有権者自身の問題と、おバカな記号化された有権者を生産し続けることに全力を傾けている権力、資産を有する人たちの問題、両面から考えてゆかなければならない。

私たち有権者は、幼き頃から、経済至上主義社会の中で、溢れんばかりの美味しい食べ物や様々な衣料品、玩具、スマートフォンなどの餌をばらまかれた中で育ち、欲望を喚起させられて成長し、今度は、他者の欲望を喚起させる能力をつけさせるための学校教育を受けさせられ、そうした受験戦争、就職戦争を経て、世界中の人々に新たな欲望を喚起させる企業戦士として経済至上主義社会に送り出されている。

そうした中で、私たちのような立派な「記号化された有権者」が拡大再生産されている。
前回のブログでも述べたが、誤った脳育がそのすべての根本的原因である。安倍、菅、河井夫婦、自民党、その他、買収事件に関与した全ての者たち、そして記号化された有権者たちのバランスを欠いた肥大化した前頭葉が問題なのである。

私が、過去のブログでも何度も話しているが、経済至上主義による民主主義政治への侵害や前回のブログの中でも述べた世界中の有権者たちの中で生じている投票そのものを棄権する行動の原因たる「合理的無知」、何も考えることなく投票する行動の原因たる「合理的非合理性」は、その結果として生じている。

今回のおバカな河井夫婦の問題は、上記に述べたように、近代以降、人間が神から授かったとした理性に基づく法による支配、その延長線上にある民主主義が、同時に発生した市場経済と産業革命とが合わさってできた資本主義経済社会に飲み込まれた結果として生じたものである。
すなわち、民主主義の根本である選挙制度に対する資本主義経済社会による選挙買収(民主主義買収)である。

近代以降の民主主義、資本主義の成れの果てともいうべき事件ではあるが、私は、決して近代以降のそれらの発展を決して完全否定するものではない。

近代は、ヨーロッパから始まっており、その主体は、白人男性であった。
私には、最近アメリカを中心に発生している白人による黒人の殺害もその根源はそこにあると思う。

アメリカでの警察官による黒人絞殺事件問題、その後も警察官による黒人への発砲殺人、詳細は不明だが、黒人が殺され吊るされた状態で相次いで発見されている。
世界中でこれらに対する抗議デモが起こり、奴隷商人たちの銅像の破壊、一部は暴徒化し建造物破壊などをする者たちも出てきている。
デモを行う人々が叫ぶフレーズが「アイ キャンノット ブレス」息ができないということを、警察官によって殺された人に代わって口々に訴えている。
かつて、1960年代のアメリカで、ノーベル平和賞を受賞し、後に暗殺されたキング牧師が、述べたフレーズ「アイ ハブ ア ドリーム」私には夢があるという言葉を思い出すが、真逆の言葉である。

彼がまだ若き牧師時代、人種分離法の中で、バスの席を白人に譲らなかった女性を支援するため彼が起こしたバスの乗車拒否運動によって、連邦裁判所は、人種分離法の違憲判決を下した。その後、アメリカ全土で公民権運動を展開し、ワシントン大行進の後に、公民権法の成立、そして黒人は参政権を獲得した。

近代の起源がヨーロッパであり、その主体が、白人であったという事実に加えて、人類は、二項対立的思考から逃れることはできないでいるのも黒人、有色人種差別の原因であろう。

確かに、医学の世界における正常と異常、法律の世界における有罪と無罪、その二項対立的思考方法は、確かに、科学的であり、合理的思考方法である。しかし、白人による黒人の殺害事件で明らかになったように、大きな問題を生じてきている。
政治の世界における与党と野党、日本が欧米に真似て採用した二大政党政治、小選挙区制度、それらは、日本のみならず、世界中で現実的な、互いが譲ることのできない現実の二項対立を生じてしまっている。思考方法の問題ではなく現実の問題となってきている。

その現実的な問題として、人権保障のために、人間が作り上げた制度としての民主主義制度、すなわち正当な代表者による討論によって少数が、多数になりうる制度の崩壊を招いている。
徹底的に対立した二項対立において、少数者にとってもはや討論の場は存在していない。
現実の日本の国会を見れば一目瞭然である。
おバカな安倍、菅、麻生たちの説明責任の放棄、それは、少数者の存在の否定そのものである。

上記に述べた誤った脳育によって生じた経済至上主義と、二項対立的思考により、新たないくつかの問題が、生じている。
イージスアショア、持続化給付金、辺野古埋め立てなどの問題である。
何千億円、何兆円のレベルで私たちの税金が、何ら説明されることなく脳育不全のおバカな安倍、菅、麻生らによって湯水の如く国庫から流れ出ている。

これらは、明らかに財政民主主義に反している。
ましてや税収入が60兆円を割ろうとしている中で、160兆円もの予算、おバカな彼らは、自分たちの金だと思っている。国民の血税である政党助成金を買収資金として1億円以上おバカな河井夫婦に提供することなどからして明白である。
しかもその原資は、全て後世の人たちのツケである。
政府が国債を刷りまくり、日銀が買いまくる金融緩和政策とは聞こえがいいが、財政ファイナンスに他ならない。国債残高も1000兆円をはるかに超え、財政規律など毛頭考えてはおらず、後世代の者への責任、思いやり、想像力など微塵のかけらもない。

最近の話題では、富岳スーパーコンピュータが盛んに取り上げられている。
その処理能力のスピードと簡便さが世界で評価された理由であり、富士山の別名をつけたほど日本が誇りたい気持ちは理解できる。しかし、私には、そんなに大したこととは思えない。 

山中教授率いる京大の研究機関にユニクロ柳井氏が100憶円寄付したこともそうであるが、寄付する先が間違っているとしか思えない。裏返せば、脳育を間違ったもの同士であるがゆえに結びついたともいうことができる。

富岳のようなスーパーコンピューターやiPS細胞に共通して言えることであるが、確かに手段としては、優秀なものであり、肥大化した前頭葉をフル回転させた結果としての産物としては優秀であろう。
しかし、残念ながら、彼らは、肥大化した前頭葉を持っていても、自然との共通感覚がないのだ。言い換えれば、真の想像力を彼らは持ち合わせていない。
彼らは、資本主義社会や、科学という所詮作られた世界の中でしか生きていない。その中での産物、能力に過ぎない。

そうした中で、iPSや、富岳スーパーコンピューターは、かつて、アインシュタインや、湯川秀樹などの科学者やラッセルなどの哲学者らが、マーシャル諸島ビキニ環礁での水爆実験によって生じた第5福竜丸事件の翌年、ロンドンにおいて連名で世界に向けて発信したラッセルアインシュタイン宣言と同様な運命を辿ることは必然であろう。
彼らには、所詮、人類社会のみしか見えていない。
彼らには、自然と人間との二項対立的思考という誤った思考方法がその原点にある。
彼らが、二項対立的思考を捨て去った時、自分たちが為したことが、自然から見れば、有害以外の何物ではなかったこと、取るに足らない稚拙なことでしかなかったことに気が付くであろう。人類が、自然の一部に過ぎなかったことに気づき、自分たちのしたことを後悔するであろう。しかし、その時では遅いのだ。

人類は所詮、自然の一部にしか過ぎないこと、人類含めた大自然の中では、カウスの世界の中では、iPS細胞、富岳スーパーコンピューターなど所詮、おもちゃに過ぎず、石器と何一つ変わるものではない。

私たち有権者は、おバカな河井夫婦、安倍、菅、麻生など、せっかく反面教師とできる対象を目の前にしておバカな有権者から真の想像力のある有権者に変わらなければならない。

何度も言うが、それは、有権者一人一人が、変わるしかないのである。
選んだ政治家や、前頭葉が肥大化した科学者や経営者が変えてくれるわけでは決してない。
有権者一人一人、己自身が変わった上で、真の想像力を持った人間を見極め、選択しなければならない。

その道は、確かに険しく、苦しい道のりであろう。
しかし、人類にとって、それしか選択肢はないのだ。
私たちの子供たち、未来の人類が生存し続けるためには

  2020年6月29日  文責  玉田 憲勲

 

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