新たな有権者として、今回選挙に臨まれる君たちに伝えておきたいことがあります。
私は、今の日本の政治の在り方は間違っていると思う。
今のわが国には、ある程度の自由と、秩序はあるけれど、たった一つないものがある。それは正義だと思う。
私は、今回の選挙を通じて、君たちに国政選挙とは何なのか、国会議員とは何なのかを考えてほしいと思うのです。そのために私は今回、立候補したと言っても過言ではないのです。
これからは君たちの時代です。君たち自身が切り開いてゆくしかないのです。
私は国会議員とは所詮、主権者たる国民のための道具にすぎず、それを選ぶことが選挙だと思っています。しかし、現実的には、多くの国会議員が選挙を、国会議員を、政党を、目的にしてしまっているのです。
日本国憲法の第一文、前文の冒頭に書かれてあることは、国政は正当に選ばれた代表者によって行われると謳ってあります。今の国会議員は違憲状態の選挙によって選ばれており、その正当性はないのです。道具としては間違っているのです。
道具に正当性がない以上、その道具を使って、如何に立派な家を建てたとしても何の意味もないのです。
私は、国家とは家のようなものだと思う。その基礎をなしているのが民主制、すなわち選挙であり、その上に立つ家が、憲法で保障される自由だと思う。しかし、選挙が違憲のまま、基礎ができていないまま、いろんな法律を作り、憲法改正までしようとしているのです。基礎ができていないまま家を建てたところですぐに崩れてしまいます。すなわち、そんな状態では、私たちの自由を守ることはできないのです。
私は、君たちにそんな脆い家を建ててほしくないのです。自由を失うことのない時代を作ってほしいのです。間違っていることは間違っているとはっきり言える、道理のある社会を作ってほしいのです。
私は、この選挙を通じて、国政選挙とは何なのか、国会議員とは何なのか。君たちと一緒に、もう一度考えてみたい。ただそれだけなのです。
平成28年6月22日 文責 世界のたま
有権者の皆様へ
私が今回立候補したのは皆様方と一緒に、特に今回初めて選挙に臨む若い方々と、もう一度国会議員とは何なのか、選挙とは何なのかを考えたかったからです。
その上で、今回私が、最も訴えたいこと、それは、今回の参議院選挙は憲法に反して違憲で、無効だということです。
私が何故違憲選挙にこだわるのかです、一つ話しておこうと思います。
人は、パンと、水があれば生きて行けます。しかし、思想と、表現がなければ生きて行けません。そして、人は、物がなくなれば早く気づきますが、自由がなくなったとき、気づくのに時間がかかり、気づいた時には遅いのです。特定秘密保護法で表現の自由を、安保関連法で平和的に生きる権利を失ったように、選挙とは、自由を守るための手段であり、選挙が違憲になったとき、自由は守れないのです。それが、私が今回選挙に立候補した理由です。
私は、国会議員とは、主権者であるあなた方の生活を豊かにし、その安全を守るための一つの道具、手段だと思う。選挙とはその道具を選ぶために行うのです。
だから、主権者にとって最も大切なのは、一人一人の道具としての国会議員が何を考え、何を目指しているかです。政党や、最終的には個人名すら、何の意味もないのです。
国会議員が全国民の代表者であるということはそういうことなのです。
その上で、なぜ、今回の参議院選挙が違憲で無効なのかですが
前々回、前回の参議院選挙につき最高裁判所はともに違憲状態判決を出しました。前回の最高裁判決においては、国会に抜本的な選挙制度改革を求めました。それにもかかわらず、今回の選挙においても多少の改正はしたものの、最高裁が求めた抜本的な制度改革はなされておらず、今回の参議院選挙も三度の違憲状態選挙なのです。
それでは違憲状態とは何なのでしょう。違憲状態とはあくまで実体としては違憲なのです。ただ猶予期間が与えられているだけなのです。いわば執行猶予がついた犯罪者と同じです。執行猶予が付いた犯罪者が猶予期間中に同じ犯罪を犯したなら、おそらく間違いなく実刑となり、刑務所送りでしょう。この度の参議院選挙も先ほど述べたように、今度で続けて三度目の違憲状態です。常識的に考えればもはや実刑、無効以外考えられないのです。
では、これを判断するのは誰なのでしょうか? 今回の選挙の翌日全国で違憲訴訟が予定されています。また、最高裁の判断を待つのですか?それは間違いです。
本来は国権の最高機関たる国会自らが判断すべきことですが、国会議員にはその判断能力がないのです。私たちはそんな判断能力のない国会議員を延々と選出し続けているのです。
国会議員に判断能力がないとすれば誰が判断すべきなのでしょう。そうです私たち主権者です。
私たち主権者は、今回の参議院選挙が無効であることを意思表示すべきなのです。
ただ、多くの皆さんはそんなことより、日々の収入、生活が大切なんだといわれる方も多いいと思う。格差社会の中、私もその気持ちはわかるつもりです。
しかし、先ほども申したように違憲状態とは実体は違憲なのです。選挙で選ばれた国会議員とされている人が実体はそうでもないかもしれない。総理大臣と思っている人が実体はそうではないかもしれない。
あなた方はそんな実体がはっきりしない運転手の運転するバスに乗りますか?そんな操縦士が操縦する飛行機に乗るのですか?私は乗りたくない。
そんな実体のはっきりしない代表者に私たちの未来を、子供たちの未来を託すのですか?
自分たち自身が違憲かどうか判断できないのですから、彼らが作る法律や、憲法改正のための行為も違憲の可能性の高いものしかできないのです。例えば、特定秘密保護法や、安保関連法のように
そして、違憲状態を繰り返す人たちは民主主義を多数決と勘違いしている人が多い。結果的に強行採決や有識者の意見、民意を無視することにつながりやすいのです。特定秘密保護法や、安保関連法のように
私は、民主主義とは何なのかと問われたなら、少数意見が多数意見になる可能性であると思う。
また、違憲状態を繰り返す人たちが憲法改正を訴えることにも矛盾を感じます。
憲法改正をしたところで違憲状態を繰り返す人たちはそもそも改正した憲法すら守る意識が低いのだから。
もう一度言っておきます。民主制すなわち選挙は家でいえば、基礎です。その上に自由や、経済が乗っているのです。選挙制度が崩れたとき、自由や経済も崩れてしまうのです。
最後になりますが
今の我が国にはある程度の自由と秩序があるかもしれないけれど、ただ一つないものがあります。それは正義です。
平成28年6月22日 文責 世界のたま