無所属 玉田 憲勲 平成28年6月22日
( 順序は優先度の高い順 )
1. 衆参議院の違憲選挙状態の改善(立憲民主政治の回復)
このことに関しては今回、参議院議員選に立候補したことの目的(今回の選挙の違憲無効)そのものであるので当然のことである。国会議員に選ばれた以上、全国民の代表者である。全国民の奉仕者となるべきであり、地元との癒着は極力排する必要がある。しかし、当面、立候補者、選挙民の選挙意識については変わることはないとも思われ、原則1対1の完全な、機械的な平等選挙が望まれる。当面、そこに正当性を求めるしかないのだから。又、いったん選ばれても国会議員としての品格、資質が問われるケースでは、他選挙区によるリコール制度の導入も必要と思われる。
また、代表民主制の下で、その目的である討論の場の確保のためには、経済、教育、医療、介護含めた社会保障などの実質的な機能、そして財源含めた地方への移譲、すなわち地方分権による国会での審議案件のスリム化が不可欠となる。
2. 経済政策(グローバル化からの離脱、財政健全化)
私は経済の専門家ではないため、細かな記述は困難であるが、方向性だけは示しておこうと思う。
私は世界のグローバル化に対しては反対である。グローバル化は基本的に均一化、合理化が求められ、多元性、多様性の対極に位置すると思われる。うまくいっているときはいいが、結局、中長期的には、地方の自立力、自律力を喪失させてしまうと考えられる。又、大企業による寡占化が起こる可能性が高く、格差社会の拡大を招いてしまうであろう。TPPの締結などもってのほかである。世界を見渡しても、アフリカ、南米などのグローバル化のあとの経済的な砂漠状態を見てもわかることだ。
グローバル化によって一時的にはそれに沿った経済成長は起こるが、所詮は多国籍企業を中心とした都合のよい産業についてだけであり、それ以外の産業は疲弊化して、国家としての自立度はなくなり、一時的な経済成長の後に残るのは国家経済の砂漠化でありそこには貧困化した国民と、ぺんぺん草も生えない国土だけなのである。
又、我が国においては財政健全化が急務の課題であり、金融政策における、量的、質的金融緩和は方向性を転換するべきである。
産業構造も、自動車などの従来からの産業から温暖化、省エネなどの産業への転換が図られるべきで政府支援もその方向で統一してゆく必要があると思われる。
3. 消費税と社会保障
消費税については、今回延期されたが、グローバル化の中での所得格差、租税の持つ所得の再分配機能を考えたとき、まず、根本的には低所得者に不利な逆進性でしかありえない消費税の論議の前に、直接税の増税、特に最高税率、資本課税、相続税課税についての論議、その税率のアップが求められるべきである。
また、消費税そのものについても、基本的に単一税率で行くべきである。他の欧米など消費税導入国が非課税、軽減税率を採用しているが、非常に問題点が多い。まず、低所得者対策に食品など非課税にするということについても、一見もっともらしく聞こえるが結局食品に関しても、高級食材含めてたくさん消費し、低所得者以上の非課税の恩恵を被るのは高額所得者である。また、非課税、軽減税率を採用することによって、徴収能力も低下し、消費税の目的である社会保障費用を考えたとき、本末転倒の結果となるであろう。所詮、消費税は逆進制であり、しっかり徴収して社会保障費として低所得者に確実に還元すべきであり、おそらくそのほうが確実に理に適っている。そして最後に言えることは非課税、軽減税率対象を巡って多くの政治献金、天下りなどのロビー活動が間違いなく増えるであろうし、その一方、地域に根差した小規模小売店では、その複雑化した税制度に対する対応をとることができず、自らが損をするか、閉鎖に追い込まれてしまい、何のための消費税かわからなくなってしまうであろう。デンマークやニュージーランドのような第二世代消費税導入国のように単一税率で行くべきである。ただし、その前提として、消費税と社会保障につきしっかりとした国民との対話、同意が不可欠である。
4. 憲法改正について
まず、違憲状態の衆参両院での憲法改正論議、ましてや発議などは論理的にはありえない。現憲法の内容がどうであれ、あくまで現在の日本における最高法規たる国家の基本法である。憲法98条、憲法99条により衆参両議員は、現憲法に拘束されるはずであり、ましてや、最高裁判決により、現在の衆参国会議員については、その国会議員としての資格が疑問視されているのである。したがって憲法改正論議をするのであれば、法論理的、道義的にも、まず優先されるべきことは、違憲状態の改善である。自分たちの国会議員資格についてすら最高裁の判決によらなければ解決できない判断能力のない人たちに、自分たちの党利党略しか考えられない人たちに、私たち主権者の権利と自由を守るための最後の砦である憲法について、ましてやその改正について語る資格、能力はない。
5. 安全保障について
国際政治学上、安全保障とは、既得した価値への脅威の不存在である。その点から我が国の安全保障を考えてみると、日本国民の生活に対する脅威をいかに減らすかということである。
私は、オスプレイがあるから、核があるからということで、国民の脅威が単純に減るとは思えないのです。先日の西区での候補者討論会でもお話ししましたが、相手がピストルを持っていたとき、自分にピストルがなかったなら相手が撃ってくることだけを考えていればいいのですが、自分もピストルを持っていたとするなら、相手が撃ってくる前に撃たなければならない、相手が自分より精度の良いピストルを持っているかもしれないなどいろいろ考えなければならなくなり、それはお互いにとって脅威が増すことに結果としてなってしまうと思う。いわゆるセキュリティージレンマ状態に陥ってしまうのです。
私は、最近、安保関連法などで問題になる集団的自衛権などは冷戦時代の国家間を想定した安全保障の考え方で古いと思うのです。
現代はイスラム国などのテロ集団、民族同士の複雑な対立です。国家間を前提とした安全保障は成り立たなくなっていると思うのです。
その新しい時代での安全保障を考えたとき、多くの方が古く、時代遅れで、改正の論議の対象となる憲法9条における戦争放棄ほど、私は、基本的なスタンスとしての新しい安全保障はないと思う。
平成28年6月22日 文責 世界のたま
玉田 憲勲様
突然のコメント失礼致します。
現在、広島選挙区の全立候補者に対してアンケート形式の質問をお送りしている者です。
長文になりますので、恐縮ですがメールアドレスがありましたら連絡頂けますと幸いです。
ご確認の程、よろしくお願い申し上げます。
初めまして
メールアドレスはtoyodai@cure.ocn.ne.jpです。
孤軍奮闘されているご様子敬服の至りです。選挙公約にもシンパする所があります。私個人は一人ですが。人脈と知人を辿れば50人超えます。DRと言う立場からして県内各医師会の応援もとりつけておられることと思いますが、兎にも角にも泡沫立候補と言われることなく頑張ってください。
私は今年74歳となりましたが、心身とも健康でパソコンをつついて日々過ごしています。玉田候補の参院戦の勝利を願っています。
こんにちは玉田憲勲です。ブログ読んでいただきありがとうございました。私はDrですが、今回に関しては一主権者として立候補致したので、医師会含めてまったく組織の応援等は要請のみならず、相談も致しておりません。おそらく、一般的に理解されている国政選挙ということから考えれば、無謀で意味がないと思われる方が多いと思います。ただ、私にとって国政選挙とは日本国憲法上、唯一の主権者が持つ権力的契機なのです。そういった観点から今回立候補させていただいております。最近、私は思うのですが、確かに組織は物事を成し遂げる上では必要なものの一つだとは思います。ただ現在のわが国の現状を見たとき、本当に必要なのものは、何かと考えたとき、全国で一人一人がいろんな形で声を上げることだと思えてならないのです。こうやって「私個人は一人ですが。」と御支援くださること自体に私は大きな意味があると思うのです。本当にありがとうございます。
玉田候補者殿
先日は有意義なご回答を頂きましてありがとうございます。
私は現在、東京に在住しております。
毎回の選挙は「不在者投票」で、この金曜日に投票に行く予定です。
私ども県外在住者は、選挙の度に各候補の情報を集めるのに一苦労をします。
このネットの時代においてもです。
この度の当選挙におきましてもそうです。
各候補者は、あくまで建前で物を言い、単純で耳障りの良い事を選挙公約に掲げ、本当の各自の主義主張が見えません。
所謂、心の底から思う、信じる信念がないのでしょう。
その中でも貴殿は、しっかりとご自身の信念を述べられておられます。
私とは、捉え方や方向性等、かなり異なる部分はありますが誠意が感じ、伝わって来ます。
ご当選されればいいですね。
それは別として、あなたにお聞きしたい事があります。
少し長くなると思いますが、ご理解を頂けましたらとありがたいです。
まず、この選挙に勝つ努力をされていますか?
アメリカのMr.トランプや、フィリピンのMr.デコルテのように選挙に勝たなければなりません。
とんでもない二人ですが、それが選挙民に支持され勝って来た。
この日本もそうです。
強力な政治家を求めています。
そうではないですか?
いくら立派な考えや公約を持たれていても、それらを実行するには勝たなければなりません。
どんな方法を使おうと勝たなければなりまん。
あなたから、その熱が伝わりません。
次に、18,19歳の若者たちに対してですが、私は彼らの多数が投票にいくとは考えていません。
同じように20・30代の若者もそうでしょう。
何故でしょう?
彼等は選挙に興味がないのです。
私は、戦後のアメリカが行った占領政策による事が理由と考えております。
団体主義の解体と戦後教育だと思っています。
違憲選挙ですが、これは私の思う事とご理解下さい。
一票の格差でしょうが、憲法上は違憲であことは事実です。
これはどう思われますか?
現実として、企業や人々は大都市に集まります。
彼等は自分の都合で故郷を捨て、都会に出て行きます。
中には、家の都合で行けない人々もおられます。
一票の格差を違憲と判断され、人口の多い都会にだけ選挙権が集まり地方の人々は地元の意見を代表してくれる議員を選出できなくなる。
自分たちの主義主張ができなくなる。
地方の人々にも選挙権は有り、選ぶ権利もあるのも現実だが。
やがて、都会主体の政治になり、地方の政治は少しずつ衰退して行く。
地方にも必ず中央に対しての要望や期待もある。
広島の上の、島根県や鳥取県の様に、徳島県や高知県の様に。
政治家の過疎化も進むのだろうか?
私が住民票を広島に置いているのは、この格差の理由からです。
違憲だ違憲だと言うのもいいが、他に方法があるのではないでしょうか?
選挙方法をかえるとか?
それを考える政治家は現れないのでしょうか?
これはあくまで私の独り言ですが。
私は若い時代、長く海外で過ごして来ました。
現在の日本国憲法は改憲されるべきでしょう。
世界に誇れる平和憲法と言われますが、こう思うのは日本人だけです。
他国は、我国の憲法が素晴らしくても関係ありません。
安全保障はこの問題にリンクします。
今、世界はISやテロとの戦いです。
いずれ日本も避けられないでしょう。
それ以上に日本には、中国や朝鮮国と大きな歴史的問題を抱えています。
彼等は、国内政治に日本は戦後以来、敵国として国民に教育し、現在も続けています。
戦後の長い間、戦争を通して国家として恨みを国民に植え付けて来たのです。
彼等に、日本国憲法は通じますか?
我々には「こんな立派な憲法があります。だから戦争はよしましょう」と言って分かってもらえますか?
相手国にとって、我国の憲法は関係ありません。
戦争は向こうからやって来ます。
戦争を回避するためには、ありとあらゆる準備をしなければなりません。
憲法を改正してでも平和を守らなければなりません。
現在の違憲状態の自衛隊存在を認めなければなりません。
彼等を自分の都合の為だけに利用するのは正義とは言えません。
テロから国民を守るにも改憲は必要です。
私も外国でテロ事件は目の当りにしています。
その有様は死んでも忘れられません。
無差別に突然に恐怖は訪れます。
そこに理由も何もないのです。
「死と恐怖」だけです。
最後に世界ですが、
私は世界は成熟しているとは決して思いません。
国連には、常任理事国と非常任理事国があります。
所謂、「戦勝国」と「敗戦国」があります。
これは歴然たる事です。
中国は日本に「敗戦国」だから意見を言う権利はないと言い切ります。
ロシアにしても、同様な態度を感じます。
彼等にとって戦争に負けたのは「日本」だけです。
恨みは続いています。
戦争は、その国々の利権から始まります。
今の私は、世界の様々な歪みを感じています。
「備えあれば憂いなし」です。
憲法も国民を守るためにもそうあるべきだと思います。
大変長くなりました。
心よりお詫びを申し上げます。
もっとありますが止めときます。
貴殿に東京から1票を入れられたらいいのですが。
ただ広島選挙区に、投票したいと思う素晴らしい人はいません。
その中で、イデオロギィーは違えど熱意は貴殿が一番です。
こんにちは玉田憲勲です。貴重な御意見ありがとうございました。選挙に勝つ努力に関して言えば、選挙というものを国会議員を選ぶことと考えるなら、無いように見られると思います。今回、私は主権者としての権利として立候補いたしているので、国会議員の地位そのものを目的としては考えていないのです。強力な政治家になるという目的も持っていません。理想だと思われるかも知れませんが、私は、日本の主権者自身が変わるしかないと思っています。私は今回に関して言えることは、自分自身の信念に基づいて行動する、それしか考えていないのです。
また、18,19歳含めた若い方々が選挙に関心を持っていないという点につきましては、事実はそうだと思います。ただ、戦後教育というより、現代の教育においても、特にグローバル化した格差社会の中で、都合よく文句言わず働いてくれる国民であるためには、政治に無関心であるほうが都合がよい、そういった観点からの政治指導者たちの教育観にあるようにも思えます。
また、違憲選挙についてですが、よく一票の、格差の正当の理由として地方の意見を反映することが言われますが、私は所詮、そのことは国会議員が己のためにだけに行動しているのが原因であって、国会議員が全国国民のために行動しさえすれば、それで解決する単純なことだと思う。たぶん、そのことも理想論であるといわれることも覚悟して述べているのですが。私はいつまでも、人ではなく、制度で調整しなければならない、そんな時代を変えるべきだと思うのです。それしか、未来はないと考えているのです。最終的には国会議員を選ぶ主権者である国民にかかっていると思う。そして国家機関に関して言えば、一票の格差自体ではなく、国会が三権分立における司法の判断を無視することに私は異議を唱えていることも御理解してもらいたいのです。
安全保障に関して申しますと、従来の国家間を前提とした安全保障では同じことの繰り返しにすぎないと思うのです。確かに、自衛は必要で、現在の憲法でもそれに関しては許されていると思っています。その中で、私は、古くなったといわれる9条が新しい安全保障政策の上で先進的な条文に見えてならないのです。
本当に御意見ありがとうございました。
いつも、桐陽台医院で診察していただいており、その際、政治の話しを一度聞いたことがあります。参議院は無所属での集まりであると、私も同感です。先生の選挙公約は難しすぎて良く理解できませんが、診察を継続していただけることで安堵している一人です。
こんにちは玉田憲勲です。
ご返事遅くなって申し訳ございません。選挙公約やそのほかの内容も多くの方からわかりにくい、しゃべるのが早すぎるなどの御意見をいただいております。少しでもわかりやすさを考えることも大切なことだと思っております。
貴重な御意見ありがとうございました。
朝日新聞デジタルの候補者アンケートを見てこちらに来ました。
朝日デジタルで見たお考えにとても共感できるのですが、初めて見聞きする方だったので、このサイトまできました。
こちらのサイトの世界のたまさんと玉田候補は別の人物でいらっしゃいますか?正直不思議な世界観が広がっていてちょっととまどっています。
もう日が迫っているのでお返事が難しい場合は無理なさらないでください。
こんにちは玉田憲勲です。
ご返事遅くなって申し訳ございません。選挙日との兼ね合いがあってすいませんでした。
全く同一人物です。
世界のたまは2年前に世界、日本の危機感から立ち上がった私の魂です。
宜しくお願いします。
こんにちは
facebook友だちを通じて玉田候補の事を知りました。
広島市議会議員選挙の時に一票を投じてる碓井市議さんと、
感性が似てる様に思いました。
碓井さんは自民党系の無所属議員ですが、
政策面で擦り合わせられるところは擦り合わせて、
次回の広島市議会議員選挙に出て当選されたら、
市議会で一緒に活躍されると良いかもです。
こんにちは玉田憲勲です。
市議会議員に感性が似ている人がおられるとのことでまた見させていただこうと思います。
でも、御意見うれしく思いました。ありがとうございます。
今日、投票に参加する未成年の者です。
自分は政治についてよくわかりません。
だから、そのことを踏まえてお聞きしたいことがあります。
日本は戦いを避けることはできないのでしょうか?
今、ニュースを見ても
世界にはテロが起こっていることを目にします。
憲法改正を行うと日本の兵器の使用も認められることになるのですが、
自分は戦争を目にしたことがないので、何が正しいのかわかりません。
今の人々は原爆の被害から戦争をしても、争いが生むことは悲しみだけだと
歴史から理解をしています。
けれども、色んな国々では
まだ争いが終わらず、日本は
憲法改正でまた戦争に関わることになるかもしれません。
人々は戦争が悪いものだと把握しているから、今回の憲法改正を認めないと思います。
でも、何のために日本は再び
戦争と関わらなければならないのでしょうか?
長文になってしまい、すみません。
考えが未熟な自分ですが、
どうかお答えください。
こんにちは玉田憲勲です。
あなたが提示する問題は本当に難しい問題です。いろんな考え方がありますし、簡単に答えがあるならこんなに世界中で悩んでいないでしょう。
今私が思うことを述べておきます。
まず、私は、私たち人間は所詮、生物の一種にすぎないということを認識しなければならないと思う。生物である以上、種の保存行為、縄張り行為、それらに伴う闘争行為は、生物としての本能であり避けることはできません。そういった意味では、日本は戦いを避けることはできないという答えしかありません。
それらを前提として、それでも避ける術はないかと考えているのが安全保障(既得した価値への脅威の不存在)の問題だと思う。
今回の選挙においてもその中で訴えてきたところですが、国家同士の戦争を前提とした今までの安全保障政策、すなわち、同盟国が集団的に軍事力を行使する集団的自衛権などを中心とする政策は、もはや古いと思うのです。
あなたがおっしゃられるように東西冷戦時代とは違って脅威の対象が国家というより、テロ集団や、様々な民族紛争であるからです。イスラム国などがその典型ですが彼らにとって国家そのもの、命すら最終的には守る対象ではなく、むしろ聖戦で亡くなることを望んでおり、従来の安全保障で言う、既得した価値を守ろうとする気持ちはなく、それに対する侵害への脅威そのものが存在しない、戦力、核による抑止は全く意味をなさないからです。自分を捨ててくる相手に対してはこっちがこんな物持っているぞとか、お前たちの命はないぞとかいう脅しは全く意味をなさないからです。
その上で、どうするかですが、本来人間が生物として持っている闘争本能、最近の国際情勢での脅威の対象の変化を考えたとき、私たちがどうすべきなのか、私は、理想にすぎないと言われようと、今までも述べてきましたが、私たち一人一人の人間が、個の中に全体を見ること、それしかないと思っています。本当に難しいことだとは思います。しかし、生物の中で人間だからこそできることだとも思う。
私が憲法9条の存在意味について従来の国際関係の中では古くなっているといわれる意見に理解できる部分もありますが、新たな安全保障、国際関係を考えたとき、私は、逆な意味でこんな斬新的な憲法はないのではないかと思うのです。
憲法とは内容が問題であって、押し付けられた憲法であるとか、そんなことどうでもよいのです。
私は、現在の憲法で自衛力の保持は可能であると思う。ただ、あなたがおっしゃられるように、日本が戦争に関わらなくするためには、個の中に全体を見なければならないと思う。そのためには国民一人一人が個の中に全体を見ることが不可欠なのです。個の中に全体を見ることは、ある意味で自己を捨てる覚悟が必要だと思う。
私は世界を見渡した時、これも今までも述べてきたことですが、世界の中でその役割を担える国家は日本しかないと思うのです。
その理由は、先程述べたように戦争放棄を内容とする憲法9条を持っていること、そして、これもよく言われることですが、災害の中でも、きちんと列をなし、順番を守るその国民性です。それこそが個の中に全体を見ているのですから。政治、経済あらゆることにおいて、私たち日本人が率先して世界に向けて行動して、個の中に全体を見るという範を示すことしかないと思うのです。それは今までのようにGDPをただ単に増やしたり、意味もなく常任理事国に入ることではありません。当然、私たちにも痛みを伴います。
しかし、ある意味で己を捨てて個の中に全体を見ること、そこにしか私は人類が生き残る術は無いと思うのです。