政党を介する間接民主制制度の限界(私たちは政党中心の政治をやめるべきである)

現在、多くの国々は立憲民主主義国家であり、政治体制を別にすれば多くの国々が形式的には国民が代表者を選んで、それらの代表者を通じて政治を行ってゆく間接民主制、代表民主制度を採用している。

以前、他のブログの中でも書いたこともあるが、間接民主制、代表民主制度を採用している理由は、いくつかあるが、その最も重要な理由は、討論の場の確保である。

私は現在の我が国の政治状況を鑑みたとき、このことは世界の政治状況についても言えることでもあるが、特に日本の場合、現在の政党を中心とした間接民主制制度については残念ながら百害あって一利なしだと思う。

そもそも政党とは主権者たる国民の意見を集約し、政治に反映させるための単なる手段、媒体として考え出されたものである。それが今は政党自身が目的化され、与野党問わず、いかに当選議員を増やすのかが最大の関心事である。議員サイドからみれば自分が当選するためにはどこの党に所属したほうが有利なのか不利なのかで離党、新党設立を繰り返している。ここでも他のブログで書いているような手段の目的化が起こっている。

手段の目的化が起こると必ず本来の目的は忘れられ、手段のためにおバカさんたちは必死になる。(ここで言うおバカさんとは国会答弁で内閣総理大臣が立法府の長であると答弁し、そのことの重大さを理解せず、聞き流す与野党すべての国会議員たちのことである。三権分立や憲法尊重擁護義務を理解していない国会議員はおバカさん以外の何者でもない。)

おバカさんたちにとって手段たる政党に公認されることがすべてであり、彼らにとって政党の本来の役割や国民への公約など二の次なのです。金の亡者となった甘利元特命担当大臣、舛添東京都知事などをみれば誰でもわかっていることだ。政党は政党でなりふり構わず政治献金という合法化された賄賂を集め続け、これも合法化された公金横領、窃盗と言える政党助成金を国家から盗み出し続けている。そんな現在の政党において党内民主主義など存在しえないのです。党議拘束により自由な議員活動もできなくなった目先の自己利益しか考えていないおバカさんたちの集まりに過ぎない。

 私自身、今でも本来の目的を持った政党でありさえすれば、日本国憲法下での代表民主制にとって役立つものと考えてはいる。

 しかし現在の日本、世界の潮流の中で政党が本来の目的を思い出せるのかといえば、私は否と答えるしかない。それどころか現在の政党中心政治、政党国家化現象の中で、党内民主主義は踏みにじられ、議会制民主主義も否定され、立憲民主主義すらも否定されてきている。
 具体的な例を挙げればきりはないのだが、現在の違憲状態選挙における小選挙区制度と政権与党の総裁権限により公認権が総裁にあるため、議員は公認を得て、政党がかき集めた賄賂や盗み取った税金の分け前をもらうためには総裁にたてつくことはできない仕組みになっている。結果的に総裁選でも見られたように立候補の自由すらない。どこに党内民主主義が存在しえるのか。

国会の議決においても先の安保関連法特別委員会採決も、議場が混乱している中で採決が強行され、誰が賛成なのか反対なのかわからない状態で可決とみなされた。結局、委員の所属政党の数で判断されたと思われるが、少数が多数になりうるという議会制民主主義の本来の意味が完全に否定されてしまったのに何事もなかったように時間は流れている。

 現代立憲民主主義の危機に関しては、現在、私自身が広島高裁に控訴していることでもある。最高裁判決での違憲状態という判決を受けながら、党利党略のために違憲国家行為を繰り返している。憲法学者の多くが違憲としている安保関連法を法制局長官の首を変え、特定秘密保護法案の強行採決、NHK会長の強引なすり替えなど諸々の言論統制をしたうえで強引な強行採決を行った。これらの事実をみて私は世界の歴史の中で中国で起きた毛沢東と四人組による文化大革命、その流れを受けたカンボジアでのポルポト政権による死者何百万といわれた国民に対する迫害を思い浮かべた。それらの時代に共通して言えるのは自分たちに都合の悪い知識人に対する迫害だ。憲法学者は憲法について人生をかけて研究されている方々だ。そして将来国家の司法制度の一役を担う人材を育成されている方々だ。それらの研究のために国は大学に対して補助金も支出している。

 国会に参考人として自分たちが呼んだ憲法学者の意見すらも都合が悪くなれば、最終的に決定するのは最高裁裁判官であり学者ではないと官房長官は言い放った。それこそが現代立憲民主主義の否定であることにおバカさんたちは気が付いていないのです。日本国憲法において国権の最高機関は国会である。選挙によって選ばれていない裁判官は基本的には国会の議決を尊重する。裁判所が違憲判断をするのはよほどのことでよほどのおバカさんでない限り違憲判断をされるような国家行為はしない。

 それではなぜ裁判所が国会を尊重するのかといえば、国会が民主的な国家機関であるからに他ならない、民主的な国家機関であるということはどういうことなのでしょう。

 現代立憲民主主義国家である我が国において民主的な国家機関であるということは、まず第一にその国家機関の存在自体が憲法を尊重した、憲法に反しない国家機関であるということだ。そして第二にそれらの国家機関が行う国家行為も憲法を尊重した行為を行いうる能力のある国家機関であるということに尽きると思う。

現在の政党は最高裁の違憲状態判決を出されても真摯に受け止めることもなく、党利党略のため違憲状態である自分たちの存在を顧みることなく、選挙、すなわち違憲な国家行為を繰り返している。

私は現在の日本における政党は、もはや民主的な国家機関としての国会であるための障害になりはしても手段とはなりえないものだと思う。

私は今後の国会の在り方としては政党を排除した間接民主制、代表民主制を行い、税源移譲含めた地方分権を強力に一挙に推し進めて、政治に地方における直接民主制を幅広く取り入れることが不可欠であると思う。

言わば外交、防衛などを中心とした分野に関しては政党を排除した個の中に全体が見れる国会議員に委ね、時間をかけた少数が多数になりうる本来の議会制民主主義を取り戻すことが最も必要なことであると思う。

   平成28年5月24日   文責  世界のたま
 

 

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