グローバリゼーションと民主主義と国家主権

最近の日本含めた国際状況を見ていて思うこと。

国家というものが強調され、戦後築かれてきた民主主義の存在が薄れ、人々の中でないがしろにされつつあるということだ。

 

ブロック経済のはて、世界大戦が起こり、その後、世界中で復興がなされ、社会主義体制の崩壊の中で、資本主義を中心とした社会が形成され、グローバル化が進んでいる。

 

私はこのグローバル化が何を社会にもたらすのか、あまり考えることはなかった。

 

おそらく、経済を中心とするグローバル化の流れの中で、企業、そこで働く人々、そして政府、国家そのものも、その流れの中で押し流されながら、なんとか企業、国家の生き残りをかけて戦っているのだと思う。

 

そんな中一方で、世界中で、事実として冷静に現実を見渡してみると、民主主義が崩壊し、国家というものが強調されている。

 

私は、今までこれらのことを関連して考えることはなかった。

 

そうではなく、グローバル化は民主主義にとって利することはあっても害することはないのではないかと漠然と考えていたように思う。

 

最近出会った本の中でグローバリゼーションと民主主義と国家主権との関係を論じてあった。

 

その中でこの三つをすべて満たすことはできず、二つを取れば一つは失うと書かれてあった。

 

それを読んだとき現代社会の中で生じている現象が理解できた。

 

確かにグローバリゼーションを優先し、その上で国家を考えていこうとすれば、国内的には民主主義を制限せざる負えなくなると思う。一方、グローバル化の中で民主主義を推し進めてゆこうと思えば国家という存在は弊害、邪魔になってしまうであろう。

 

今の日本社会の在り方、現実を見た時、グローバリゼーション、そのための国家という組織の強化に重点が置かれていることは間違いのないことだと思う。

 

資源のない我が国にとって、経済的にもグローバル化の推進は不可欠であると考え、そのための手段としての国家の機能強化が優先されているのであるが、一方ではそれらとは両立しえない民主主義は軽んじられてきている。

 

ただ、立ち止まって考えてみると、グローバル化の手段としての国家機能強化とは別に、国内的な統治手段、格差社会における格差維持のために、それを目的として国家機能強化、民主主義への抑圧が行われていることに私たちは気づかなければならない。

 

他の提言の中でも、触れているが、資本主義社会の行き詰り、地球環境の悪化というまったなしの状況の中で、今、私たちは、グローバリゼーションと国家主権という二つを選んでいこうとしているが、これが正しい選択かと問われたならば、私は否と答えると思う。

 

今、私たちは、民主主義をまづ第一に選択すべきで、その手段としての国家主権を次に選ぶしかないと思う。

 

確かにグローバリゼーションは国家、国民の生活の維持向上、国際関係にとって必要不可欠なことにも思えるが、私は選択の順番を間違えてはいけないと思う。

 

人が生きるということは自己実現、自己統治のためであり、そのために、グローバル化は必要だと思うが、自己実現、自己統治なくしてグローバル化は何の意味もなさない。

 

グローバリゼーション、国家主権という名の下に決して、私たちは民主主義を失ってはならないのです。

 

2015年6月17日   文責      世界のたま         sign

 

 

 

 

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