たかり集団と化している政党

政党を考えたとき歴史的には敵視、無視から承認のレベルになってきてると思われるがそれは本来の世論を統合、実現するという本来の意味での政党を考えた時の考え方であってそういう公党としての側面の意味合いは薄れ、現在残っている政党の多くは権力、名誉、お金を得るための手段に成り下がっている。

 

助成金目当てでの離合集散も当たり前のように行われ、そういった意味ではたかり集団化しているとしか思えない。

最近のニュースの中でも経団連の政治献金の復活など、公党としての側面重視のために企業献金を中止して政党助成金制度を作ったのに助成金をもらいながら献金をもらうなどあった場合には公党とは程遠い詐欺集団に近いたかり集団としか言いようがない。

それでも本来の媒体としての役割を果たしてくれればまだ救われるが特定秘密保護法案でもそうであったが公約にも載せず、結果として多数を取った際に多数の国民の反対の世論の中、一挙に強行採決の中で可決するというやりくち、形式的なやらせの公開討論などのまやかしも含めてそこには世論の媒体としての政党のかけらもない。

 

本来の機能を失っている政党ではあるが集団としての党議拘束などの都合の良い機能だけは主張する。そこがまた厄介なところで政党という民主制の手段であるべきなのに手段が邪まになってしまっているがゆえに結果として民主制の破たんにつながってきている。

 

手段としての政党が自ら自浄能力がない以上、原点に立ち返って政党のための代表者ではなく日本国憲法で言っている本来の全国民の代表者としての代表に基づいた政治を行っていかなければ日本のそして世界の未来はないと思われる。

それができるのは、私たち主権者自らしかいないのだということも私たちは自覚しなければならない。

2014/8/29    文責   世界のたま       sign

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