日本国に生まれて(1)

私はときどき思うことがある。

私は何故人間というか、人になったのであろう。

すべての物質は人を含めた生物含めて元素、原子の組み合わせでしかない。

何故、私は私であるのか。私であらなければならなかったのか。

 

私が人であり日本で生まれたこと、日本国籍を持った日本人であること

偶然でしかない元素の組み合わせなのかもしれないが、もしそれが必然であったならばそこに何か意味があるのであろうか。

 

私がこのホームページを立ち上げて以降、その中で、個の中に全体があると問い続けているが、個とは一人一人の人であり、さらにもっと言えば人を形造る細胞であり、元素である。いわば元素の中にすべての事象があると思う。

 

科学が発達して小さな原子、素粒子の世界まで考えることができるようになったが、人が人である限り個と全体との関係は解明できないと思う。

 

解明できない理由の一つが時間である。私は昔から時間とは何なのか、普段は忘れてしまっているのだが、考えることがよくある。

 

時間と言えば一日24時間、一年365日であるのだけれど、本当にそうなのかと思う。時間と言うものを私自身が考えるのは私が生きていて時間を認識しているからであるが、樹齢千年の木々にとって、寿命の短いセミにとって時間をどのように考えているのであろうか。

 

私たちが人間の中でしか時間を考えられないように彼ら自身も彼らの中でしか考えられないとは思う。ただ、一般的に人は、樹齢千年の木々を見て人はすごいなあと感心し、セミの短い一生をかわいそうと思いがちである。ただそうなのであろうか。

 

私たちは時間を一分60秒の世界で考えがちだが本当の時間は恐らくそうではないであろう。

 

私は短命を嘆き、一日、一か月、一年でも長く生きることが正義として、医療の目的とされている風潮があるがきっとそれは間違いなのではないかと思う。

 

時間とはいったい何なのか、感覚的には最近分かってきているのだがきっと理解できることはないだろうと思う。

 

私が人である限り。

 

2015年2月16日    文責  世界のたま                sign

 

 

 

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