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今、私がなすべきこと

しばらくの間、いろんなことを考えていました。

二ヶ月前の9月18日に最高裁第一小法廷から特定秘密保護法の立法無効確認、執行停止訴訟に対する棄却判決の送付があり、その深夜、9月19日に安保関連法案の強行採決がなされました。

棄却されたことについては残念としか言いようがないが、自分なりに最高裁まで上告した上での第一小法廷裁判官5名による連名での棄却判決であり、後悔はしていないが、ただ一点、広島高裁棄却後、上告受理申し立てで初めて請求理由をしっかり書き込んだので、広島地裁の段階からもっとしっかりと書き込むべきであったと思うし、法律家ではないため、法的観点からの論理構成が十分できなかったのは事実であった。

ただ、私が、我が国の立憲民主主義の崩壊に対して、憲法保障機関としての司法が、司法積極主義により、日本国憲法の基本原理たる、人権、民主、平和を守るべきであると訴訟を提起した考え方はいささかも間違っていないし、たとえ過去に判例がないとしても、いかなる政治的、経済的な損害があろうと、国際的な信用がなくなることがあったとしても、司法は違憲判断を示すべきである。

最高裁が第189回国会での安保関連法の強行議決の前日に棄却判決を送付したことについて、たまたまなのか意味があるのか知らないが、10月1日に第189回国会における安保関連法の国会議決無効、および安倍内閣による執行停止を求めて広島地裁に提訴させていただきました。

安保関連法についてはその審議母体である違憲国会たる第189回国会自体の問題に加えて、安保関連法で侵害される国民の平和的生存権侵害の問題、審議過程の審議、議決権の逸脱、立法事実不存在問題など、数多くの問題をはらんでいる。今回の訴状ではその一つ一つを法的観点から、過去の判例もしっかり交え、その上で事実関係を丁寧に訴状に盛り込んだつもりです。

 日本国憲法を守り、立憲民主主義を守ることが、人権、平和を守るための不可欠の条件であると私は信じているし、これを放置することがどんな結果を招くのかそれは過去の歴史が証明しているし、今回、私がそれを許すとするなら、その結果は歴史が明らかにするとは思うが、それは、歴史が存在していればだが。

 私が世界のたまを立ち上げてから言い続けていることであるが個の中に全体が存在しているのであり、我が国が国民の人権を守ることが世界の人々の人権を守ることであり、本当の意味での日本の平和を守ることが世界の平和を守ることなのです。決して、一国平和主義なのではないのです。多くの人々がそこを勘違いしているのであるが。

 私が沈黙している間に、日本国内では安保法案の可決以外にも、沖縄辺野古問題で、政府による沖縄県への代執行訴訟、臨時国会開催せずなど様々な問題が生じているし、世界を見渡せばフランスでのテロ、ロシアによるシリア空爆、ロシア機テロ、難民の締め出しなど新たな問題が生じてきている。

 この期に及んで世界の首脳クラスが集まって安全保障について議論しているが、すべて時代遅れの発想の中でしかない。

 フランス大統領がベルサイユ宮殿で上下両議員を集めての戦争状態の宣言、国歌斉唱をみるとちょうどブッシュ大統領が9.11のあと上下両議員を集めてのテロに対する先制攻撃の宣言そのもので、そのあとのアフガン、イラク戦争の結果は誰もが知っている通りだ。今回のフランスのシリアの爆撃の結果がどうなるのか、それもはっきりしている。

 現在の国際政治の主流であるリアリストが考える勢力均衡や覇権体制は安全保障制度の前提として国家を基本として考えている。現代社会の中で問題となっている安全保障の対象はテロ組織、民族によるテロ行為、内戦である。

 それらに対して世界の首脳は相変わらず国家間の安全保障政策を持ち込もうとしているのです。それでは何の解決にもならないことは先にあげたブッシュ大統領が行った愚行で明らかである。

 それを解決できるのは決して国家間における安全保障政策ではない。

そんな中、こんなちっぽけな私に何ができるのか問い続けてきたが、自分の信じることを訴え続けること、それしかないと思う。

 今回の訴えに関していえば、過去の最高裁判例からすれば考えられないことかもしれないが、必ず認められるとわたしは確信している。

 先の安全保障に関していえば国家ではなく個でしかありえない。私の訴訟も、そのための訴訟なのです。

  
    2015年11月18日   文責  世界のたま