今の日本社会はまともではない。
私は、今の日本社会は、かつてヨーロッパでナチスが台頭した時代と瓜二つであると思う。
東京オリンピックを前にして公共事業や、宣伝によって政府が盛んに盛り上げようとしているが、妙に冷めきった何の実態もない空虚な空気は、私にとって、かつてベルリンオリンピックで沸き立ったあの時代のヨーロッパの雰囲気そのものであると思う。
ワールドサッカー大会などで、一見表面的には明るく健全な社会であるかのように誰しもが思っているが、中身は何もない。第二次世界大戦前のベルリンオリンピックが行われた時もそうであったように
それは、思考停止したゾンビが町中を彷徨っている社会に他ならない。
実際には、私が生まれる前のことであるが、確かに私はそう感じるのだ。
今の日本社会は、おバカな裸の王様である首相夫妻を筆頭に、実際には何の価値もないしょうもない大臣ポストや、官僚ポストや、報酬のエサにむさぼりつく国会議員や、官僚、そしてそのおこぼれに与ろうとする私たち中身は何もない。愚民社会に成り下がってしまっている。
誰しもが、おバカな裸の王様に、「あなたは、ただの嘘つきの、誰一人として尊敬すべき人間であると思っていない、所詮はただのおバカにすぎない」ということを言えないでいる。
このことは、今現在一生懸命生きている多くの日本国民にとって本当に不幸なことであるが、これから生まれてくる主権者たる国民にとって、もっと大きな不幸な災いをもたらすであろう。
先日の国会においても、受動喫煙対策を強化する健康増進法改正案を審議するために呼ばれた参考人の肺がん患者の発言中に「いいかげんにしろ」というヤジが国会議員によって発せられた。その国会議員はファミリーレストラン・ジョイフルの代表取締役相談役であり、大分がん復興財団の理事でもあった。
来週、私自身、校医をしている小学校での喫煙防止教育が予定されているが、子供たちにどう説明できるのであろう。多くの子供たちは日々、自宅で喫煙者である家人から現実的に健康被害にさらされている。私自身、授業の中で、彼らをその健康被害から守らなければならない責任を負っている。しかし、もっともその責任を負っているのは、その法制度を審議すべき彼ら国民の代表者たる国会議員である。
その国権の最高機関である国会において、全国民の代表者である国会議員が、真剣に受動喫煙による健康被害を訴える非喫煙者であり、受動喫煙により肺癌を発症し、その病を押して出席した国会によって招致された参考人に対する発言として許されるものではない。
国会議員ではなく単なるおバカにすぎない。私は敢えて言わざるを得ない。そんなおバカを選ぶ有権者自身も、また愚民以外の何者ではない。
前回のブログの中でも書いたが、あれだけ説明責任を求められた加計理事長が、先日の大阪を襲った震度6のどさくさの中で、地方の記者だけに限った記者会見を25分間だけ行った。他人の不幸を利用した悪質で卑劣きわまりのない行為である。会見を見ればわかるが、そこにいるのは、オドオドした落ち着きのない哀れなおバカな人間でしかない。彼を長年の親友としているおバカな首相の人間性もたかが知れている。類は類を呼ぶのであろう。その加計学園に対しては莫大な私たちの血税が使われているし、今後も使われ続ける。
森友学園に関しては、財務省による公文書改ざん、その国会への提出、虚偽答弁、会計検査院への虚偽報告これらはすべて、日本国憲法、法律に反するものである。
日本国憲法第15条2項、公務員は全体の奉仕者であり、一部の奉仕者ではないとする条項に明らかに反しており、国会への改ざん公文書提出、虚偽答弁は、日本国憲法が立脚する立憲民主主義の否定である。会計検査院への虚偽文書提出は、会計検査院自らも、先日、法令に反するとしたが、それ以前に財政民主主義を謳っている日本国憲法に反する違憲行為である。
国会への財務省が作成した公文書が先日提出されて明らかになったように、安倍夫妻は財務省への問い合わせ、紹介含めて深くこれらの問題に関わっていることを全国民は知っている。国会答弁の中で、自分たち夫婦が関わっていたら総理大臣だけでなく国会議員も辞めると断言した彼らは、今だもって総理をしており、三選をも考えている。総理夫人としてもその警備含めて無駄な国税が使われ続けている。
これほどの国家の基本法である日本国憲法に反することをしながら、大ウソをつきながら平然と行政府の長として行政を司り、国会議員として法律の制定に関わっている。私には人としての恥を知らないおバカな似たもの夫妻だとしか思えない。
またそれを支える政府与党の国会議員、多くの官僚たち、彼らも日本国憲法15条に反した全体の奉仕者であることを放棄し、日本国憲法99条の憲法尊重擁護義務に反した国家的犯罪者としか言いようのないおバカである。
私には、行政府から改ざん公文書を提出され、虚偽答弁をされ、働き方改革法案においても、虚偽の資料を提出され、国会が求めた会計検査においても虚偽の文書が提出されても、何もなかったかのように平然と国会審議を続けている与野党すべての国会議員の能力、資質を疑う。私には彼らもまたおバカの極みであるとしか思えない。その上で彼らを選ぶ私たち日本国民、有権者もおバカな愚民以外の何者でもない。
近畿財務局の職員を常識が壊れてしまったと自殺に追い込み、愛媛県職員が為したまともな公務をあたかも偽りであったかのように中傷する人たちが、首相として国家行政に携わり、それを支える保身のみで行動する国会議員や官僚が立法、行政に携わる。
今の日本社会においては、他者への思いやりを持った優しい人間や、日本国憲法を順守しようとする人間は生きてゆけないのだと思う。
まともな常識を持った人間では生きてゆけない社会なのだと思う。
先日のブログの中でもお話ししたように、私は現在広島地裁に訴訟を提起している。
具体的には、前回の衆議院選挙に私は、選挙人として投票し、被選挙人として立候補したが、その選挙は、虚偽に塗り固められた国会、説明責任の究極の放棄である国会議員の一切の発言を許さない冒頭解散に基づく、偽りの政権選択選挙であって、有権者の信を問うという主権者たる国民の選挙権、被選挙権への侵害であり、公職選挙法第一条の公正な選挙違反であるとして、3月に広島地裁へ国家賠償請求訴訟を提起した。
その第一回公判が開かれた。訴状、答弁書双方の意見の隔たりは大きいとして裁判官によって、口頭弁論の終結が言い渡されたが、その公判の翌日、国会において多くの隠ぺい、改ざんされた公文書が提出されたため、私は、新たな新事実として口頭弁論再開の申立をした。先日、その申立ても棄却され、明後日の判決を待っているところであるが、おそらく敗訴であろうと思う。
今回の訴えは、日本国憲法で認められた主権者たる国民としての権力的契機としての選挙権行使に関する権利侵害を問うており、国権の最高機関たる国会を構成する国会議員の権力の正当性、さらに言えば、国会議員の中から選出される内閣総理大臣の正当性、もっと言えば、内閣総理大臣が指名、任命する最高裁裁判官の正当性をも問う重要な問題である。
また、訴状の中でも書いたが、現在の我が国は、行政の肥大に伴う行政国家化現象、政党国家化現象の中で、国民の人権を保障するための三権分立が機能不全に陥っている。抵抗権の実力行使、革命を除けば、主権者たる国民にとって日本国憲法上、唯一残された人権保障制度が三権分立の中での裁判所、司法による違憲審査権である。
言わば、私が、何度も違憲訴訟、今回の国家賠償請求訴訟を起こしているのは、我が国において、主権者たる国民のための憲法上認められた人権保障機能が機能しているのかを問うているのです。
私は、主権者たる国民にとっての日本国憲法上、唯一で、最後の砦である司法の独立を、個々の裁判官の独立を信じているが、裁判官も一人の人間にすぎないのも事実である。裁判官の人事権を握る最高裁裁判所、それを構成する最高裁裁判官を指名、任命するのは内閣であり、そこがシロアリに食い荒らされるのも時間の問題なのかもしれないとも思う。
私は、シロアリによって現代立憲民主主義国家という家が倒れるその日まで、信じて戦おうとは思っている。
有識者や、多くの国民の中に森友加計学園問題をいつまでもやっているのだと、それより北朝鮮問題だ、株価や、経済政策などが重要だと訴える人たちがいるが、私は明らかに誤りであると思う。何故なら、森友加計学園問題は、北朝鮮問題、経済政策問題などのあらゆる国家政策を議論審議し、国民の言論、出版、一切の表現の自由、内心の自由さえも制限することが可能な法律の立法すらも議決できる国権の最高機関たる国会を構成する国会議員、それらから選ばれる行政府の長たる内閣総理大臣の正当性、主権者たる国民の権力的契機である国会議員選挙権にもかかわる問題、立憲民主主義の根幹にかかわる重要な問題であることを看過しているからである。
現代立憲民主主義が守られている限り、人は、例え戦争で国土が焦土化しようが、大恐慌で国家が疲弊化しようが、一人一人の国民は人権を守り、取り戻すことができるのです。しかし、現代立憲民主主義が存在しない社会では、如何に平和で、経済的に豊かであったとしても、そこには一人一人の人権は存在し得ず、人は、自由な発言、自己表現をすることはできない。人は、自己実現、自己統治もできない生ける屍でしかない。
それらがたいした問題でないとする有権者がいたとすれば、それ等の有権者は、有権者自身、将来の日本の有権者たちのことを考えない先見性のないおバカな愚民にすぎない、歴史を繰り返す単なるおバカにすぎないと、私は断言する。
そうしたおバカな人間は、現実の幻に過ぎない一時的な与えられた経済的豊かさに惑わされ、溺れてしまい自分自身の将来、未来の子供たちに起こる事実を想像できなくなっているのだ。
もう一度言っておこう。
私たちはいつまで、おバカな裸の王様である首相夫妻、おバカな国会議員を支持する愚民であり続けるのですか。
私たちは、あなたがおバカな裸の王様であることを、声をあげて語らなければならない。
私たち自身のために、そしてこれから生まれ来る未来の日本国民のために
日本中で、世界中で声をあげることもできないでいる人たちのために
私たちにはもうそんなに時間がないのだから
平成30年6月24日 文責 世界のたま