正義の中に生きる

前回のブログでも述べた私が思う正義に基づいて生きることは非常に難しいことであると思う。特に情報が氾濫し、物があふれた現代社会の中では、人は流されやすいものだ。瞳を輝かせ続け、無垢な心を保ち続けることは至難の業である。

人は社会の中で生きてゆくうちに、己が何のために生きているのか、存在しているのか、子宮内に着床後、細胞分裂を繰り返し発生したのか、羊水の中から飛び出し肺呼吸を始めたのかを忘れてしまうものだ。

自然は離れるわけではないのに、自然と己が離れて行ってしまうのだ。己の存在は他者の存在の中にしかないのに、現代社会の中で、己を優先することを学習し、それが正しいことだと教え込まれる。そうした中で瞳は輝きを失い、無垢な心は曇っていってしまうのだと思う。

現代社会の中において正義に基づいて生きるということは、おそらく孤独に打ち勝たなければならないであろう。迫害の中で生きなければならないかもしれない。

それでも私たちは正義の中で、生きてゆく努力をし続けなければならないし、私が言う正義が完全に失われたとき、人はもはや、生きてゆくことはできないであろう。

歴史が待ってくれるかどうか、私にはわからない。

ただ一つ、言えることは、このことに気づいたものが、ただひたすらに扉をたたき続けなければならないのだと思う。たとえ扉が開くことがなかったとしても

たとえ歴史が待ってくれないとしても、ただひたすらたたき続けるしかないと思う。

それが正義なのだから

   平成28年12月31日   文責  世界のたま

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