更なるおバカな国民へGO!(2)

自分たちが置かれている状況を全く認識していないおバカな国民が救われる可能性はあるのだろうか?
 
 国民の権利義務を制限する法律を制定し、それを執行する国会、内閣が違憲状態の国会議員で占拠され、政党国家化現象の中で、法律を定立し、日本国憲法上では国権の最高機関であるはずの国会が実質的に内閣の下に置かれ、国会と内閣における権力の抑制と均衡が機能停止に陥っている状況。

 民主主義という概念を選挙制度の上では、人口の少ない地方の意見を政治に反映するためだと一票の格差を正当化する一方で、国会の強行採決の局面や、沖縄問題などでは、多数決こそが民主主義であると豪語する。

 特に彼らの言う民主主義では、立憲民主主義における立憲という、憲法に基づいたという考え方が抜けているというより、意図的に外されている。

 上記に述べているように、現在のわが国における立法、行政という統治機構において立憲主義は機能しておらず、国民主権という観点からの民意によるコントロールも機能不全に陥っている。

 これは操縦不能になった飛行機に似ている。操縦かんを握っているコックピットの機長、副機長が国家機関であり、乗っている乗客が国民である。機体の一部は破壊され、操縦かんは機能していないがクルーにはその原因が見えていない。そして操縦不能になったことを乗客は知らず、それぞれがこの平穏な生活が永遠に続くものと錯覚している。

 機外の天候は悪化の一途をたどり、それは今の世界状況と同じで回復の見込みはない。

 そこで冒頭の問いである。おバカな現状認識をしていない国民が救われる手立てはあるのであろうか。

 私は、そんな状況下でおバカな国民が救われる方法があるとすれば、それは機外に求めることであると思う。管制塔を通じた多くの客観的な冷静な検討、指示である。そして最終的にはそれらを冷静に受け止め、適確に選択して、実行に移すクルー、および乗客自身である。

 管制塔の役割を果たすのが司法、すなわち裁判所である。

 どこまで立憲民主主義的な意味でその機能が、残存しているのか、それは私にもわからない。しかし、民主制という飛行機の根幹部分が破壊されてしまっている中、操縦かんが全く機能しない中、非民主主義的な機関であるがゆえに、民主制の崩壊の中で、最後までその機能が影響を受けることなく残存していることを私は信じたい。

 司法とは、日本国憲法が、国民の権利と自由を守るために、そして、最終的に日本国憲法自身をも守る憲法保障機関として、そのすべてを託した存在なのだから。

          平成28年7月25日   文責   世界のたま

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