経済至上主義(経済奴隷)からの離脱

私たちはいつまで、バカの一つ覚えのような、経済成長、GDP600兆円などの言葉に踊らされて生活し続けてゆくのですか?

 経済成長の先に何が待っているのですか?何のための、誰のための、経済成長なのですか?

 今までの経済成長で私たちは何を得て、何を失ったのですか?

 私たちは1980年以降、レーガン大統領、サッチャー首相、中曽根首相時代からの新自由主義、経済自由主義の下で何が起きてしまっているのかをきちんと知っておかなければならない。加速度的に世界中で所得格差が生まれ、現在もそれは拡大し続けている。かつてキング牧師が語った「私には夢がある」といった時代ははるか遠く、それこそ夢になってしまっている。
 
 冒頭に述べた現政権が盛んに訴える経済成長の先に何があるのかといえば、そこにあるのはさらなる格差社会、それに伴う、国内での治安の悪化、政治の腐敗、国際関係においてはテロの拡大、難民の増大、最終的には国家間での戦争状態すら起きてしまうであろう。

 そして誰のための経済成長なのかといえば、現在、経済的な意味で豊かである人々である。先程述べた新自由主義の下でのトリクルダウン(金持ちをより金持ちにすることが結果的にその恩恵が貧しきものへも生じてくる)というバカげた考え方を信じている人がいるとは思わないが、今の与野党の国会議員含めて相当のおバカさんが多いいので、ひょっとしたらいるのかもしれない。
 
万が一、それが多少でも言えるとしても1960年代の高度成長期の日本における企業の終身雇用の制度の下でしかない。2000年代以降の終身雇用制度が破たんしている現在においてトリクルダウンのためと称していかに大企業に補助金を与え、優遇税制、その他諸々の便宜を図ったところで社員、下請け企業にとって何のメリットもなく、内部留保、株主配当、役員報酬が増えるだけのことである。

 たちが悪いのは現政権がそれらを理解した上でそれらのことを行っていることである。いわゆる確信犯なのである。

 それでは私たちは何を得たのでしょう?

 私は思うのですが、奴隷としてではあるが、当面生きておられるという事実だけです。昔から百姓は生かさぬように、殺さぬようにということが言われていましたが、まさにその状態です。

 奴隷の最終段階は奴隷が自らを奴隷と思わなくなることであると言われている。

 私は今の日本の現状はそうなってきていると思う。経済成長は、そもそも私たちみんなの生活が物質的にも、精神的にも豊かになるための手段であったはずです。それが今はどうなっているのでしょう。手段であったはずの経済成長のために、それを目的として、経済成長のために私たちはサービス残業をして、私たちの命を削っているのです。

 経済成長という言葉に私たちは騙されているのです。手品といっしょで手段を目的にすり替えられてしまっているのです。私たち人間は今や、石油、鉄鉱石などの資源と同様に単なる資源の一つになってしまっているのです。

 様々な休むことのない広告、宣伝の嵐の中で、ある時は、政府による、エコ減税や、ありとあらゆる補助制度の誘惑の中で、まだ使える携帯や、パソコンや、車などを経済成長のためになるのだと買い替えされられている。それらの新商品、オリンピックなどの一時的な興奮と引き換えに、一瞬の間、奴隷である自分たちを忘れることができる餌を私たちは与えられ続けているだけのことなのです。

 そろそろ私たちは自らが奴隷であることに気づかなければならない。無駄な買い替えをしたところで、決して私たちの本当の意味での生活は豊かになることはないということに気づかなければならない。無駄な買い替え、消費をすることで加速度的に地球温暖化は進み、インチキなお金を使ったオリンピック招致活動、インチキなロゴマーク、施設の選定、ドーピング問題など

それらすべてのことに対して耳を塞がず、目をしっかり見ひらいて目をそらさず、しっかりとその一つ一つの事実を私たちの胸に刻まなければならない。

 現在、高収益を得ている企業、団体、組織、個人は決してそれらを手放すまいと必死の抵抗を試みて、私たちに、経済成長のない世界はデフレで失業者のあふれる恐ろしい世界であることをさかんに宣伝することは間違いない。それは洗脳された人が目を覚ますのを邪魔する行為そのものである。

 私は決して恐ろしいものではないと思っている。環境に優しくない産業、他者に健康被害を与えても何ら自らを省みることなくお金で済ませると思っている社会的価値のない企業を社会から一掃して、意味のない消費行動をやめて環境に優しい、人に優しい社会に作り変えてゆくだけのことなのです。

 確かに今までのような無駄な消費を私たちはやめなければならないため、現在の物にあふれた生活に慣れ切っている私たちにとってそれは一見、物足りなく不便さを感じるかもしれない。しかし、今より多少、不便であるとしても結果的には、自然豊かで、労働時間が少なくなった余暇を楽しめる社会への転換が図れるはずであるし、そうしなければならない。持続可能な経済成長など、有限の世界の中であり得るはずがないのです。

私たち人間がこの限られた有限の地球という中で生きてゆくにはそれしかないのです。

そして私たちに残された時間も限られているのです。

   平成28年5月20日   文責   世界のたま  

 

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