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正義の中に生きる

前回のブログでも述べた私が思う正義に基づいて生きることは非常に難しいことであると思う。特に情報が氾濫し、物があふれた現代社会の中では、人は流されやすいものだ。瞳を輝かせ続け、無垢な心を保ち続けることは至難の業である。

人は社会の中で生きてゆくうちに、己が何のために生きているのか、存在しているのか、子宮内に着床後、細胞分裂を繰り返し発生したのか、羊水の中から飛び出し肺呼吸を始めたのかを忘れてしまうものだ。

自然は離れるわけではないのに、自然と己が離れて行ってしまうのだ。己の存在は他者の存在の中にしかないのに、現代社会の中で、己を優先することを学習し、それが正しいことだと教え込まれる。そうした中で瞳は輝きを失い、無垢な心は曇っていってしまうのだと思う。

現代社会の中において正義に基づいて生きるということは、おそらく孤独に打ち勝たなければならないであろう。迫害の中で生きなければならないかもしれない。

それでも私たちは正義の中で、生きてゆく努力をし続けなければならないし、私が言う正義が完全に失われたとき、人はもはや、生きてゆくことはできないであろう。

歴史が待ってくれるかどうか、私にはわからない。

ただ一つ、言えることは、このことに気づいたものが、ただひたすらに扉をたたき続けなければならないのだと思う。たとえ扉が開くことがなかったとしても

たとえ歴史が待ってくれないとしても、ただひたすらたたき続けるしかないと思う。

それが正義なのだから

   平成28年12月31日   文責  世界のたま

正義とは

今年もあとわずかとなりました。この一年を振り返っても世界中で数多くの悲しみを私たちは目の当たりにしました。

この3年間、私自身、裁判やブログや参議院選挙を通じて様々なことを訴えてきました。

前回のブログでお話ししたように、現在を生きる私たちにとって最も必要なのは、今私たちの目の前に存在している日本国憲法の尊重、裁判官の良心への信頼が最も大切であり、さらに言えば、それらしか今の私たちを救うことができる手段は残されていない。

私は自分なりにこの3年間、自分自身の信念に従って生きてきましたが、私の心の中で常に自問自答してきたこと、それは正義とは何かということです。

正義に関してはマイケル・サンデルが三つの考え方、すなわち①正義は功利性や福利を最大限にすること(最大多数の最大幸福)②正義は選択の尊重を意味する。(自由市場で人々が行う現実の選択であれ、平等な原始状態において人々が行うはずの仮説的選択であれいづれの立場においても)③正義には美徳や共通善について判断することが含まれる。

サンデルはこの中で、正義や権利を計算の対象としてはならない、又、人間のあらゆる善をたった一つの統一した価値基準に当てはめ平らにならし、個々の質的な違いを考慮しないことは間違いであるとして③の考え方に立っている。

一方、日本生まれの正義論の著者である川本兼氏は、サンデルの正義論に対して、コミュニタリアンの正義論であるとして限界があるとしている。特にサンデルが戦勝国、かつて植民地支配を行った国家の上に立った者の思考であるとして、敗戦、被爆の体験、その一方で他国を植民地支配した体験を持つ日本人だからこそできる思考の上に立って新たな正義論を展開している。

特に人間の尊厳を公理として核に置いた正義論、従来の社会契約論を超えた新社会契約論を展開する中での従来の自然権を超えた新たに生まれる様々な人間関係の中で生じる基本的人権をも取り込んでゆく考え方が特徴であると思われる。

私はサンデル氏や川本氏の正義に対する考え方についてはかなりの部分で同意できるし、私自身が考える正義に近いものを感じる。彼らの細かな哲学的な部分は難易度が高く十分理解しているとは言えないが。
特に、川本氏が基本的人権を考えてゆく上で、現在存在する日本国憲法を利用しない手はないと言っているが、その点は非常に重要である。

私にとっての正義であるが、上記に述べたように両氏に同意できる点も多々あるが、サンデル氏の正義論おける共通善とは何なのかがはっきりしない点、又、川本氏の正義論においては、現実に存在する個としての人間の尊厳を核とすることで将来に向かっての人権の拡張、機動性を高めている点では有意義であると思える一方、正義の概念をより具体的な人間同志のコミュニティの中に閉じ込めてしまっている。このことは近代以降、人間が数理科学の発達の中で自然との共通感覚を失い、自らを数理科学的な思考の中に閉じ込めてしまった結果、人間自らを想像力のない思考停止に追いやってしまったことと同じことだと私には思えてならない。

地球温暖化、核汚染、公害などの環境破壊が加速度的に進行する中で、正義という概念を人間同志のコミュニティの中に閉じ込めることは許されないと私は考える。

蓋し、著しい環境破壊の中で生物としての人間にとって、人間の基本的人権の核たる生命の確保は困難なのだから、もはや生命以外のすべての基本的人権を考える余地はそこでは存在しえない。

私が考える正義とは、自然権を尊重することに尽きるのです。

そこで言う自然権とは従来からの人が生まれながらにして持つ権利という権利の拡張を言っているのではなく、そのままの字のごとく、自然の中での人間が持つ権利、共通感覚をもってして自然と共存する権利のことである。

そして手段としての国家は当面、必要不可欠であり基本である。

そして国家の基本法たる憲法の中で保障、確認される基本的人権は私が言う意味での自然権に基づかなければならない。

正義というものをそのように捉えたとき川本氏が著書の中で語っているように私自身も、世界の中で最も正義に近い内容を持つ憲法は現在存在する私たちの目の前にある日本国憲法である。

私が、3年前から裁判の中で訴え続けていること、ブログの中で訴え続けていること、今年の参議院選挙で最も訴えたこと、立候補した目的は日本国憲法を私たちは守らなければならないということなのです。選挙中の広報の中で、今のわが国にはある程度の自由と秩序はあるけれど、たった一つないものそれは正義ですと述べた理由です。

最後にもう一度言っておきます。

現在存在する日本国憲法を順守すること、日本国憲法の理念を順守する裁判官の良心を信じることが、今の私たちにとっての正義なのです。そして混迷の続く世界情勢の中で、日本国憲法を順守する私たちの存在そのものが正義であり、その姿を世界に発信することが、世界中の一人一人の正義につながってゆくのだと私は確信している。

    平成28年12月29日  文責  世界のたま