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私たちはいつまで、おバカな国会議員、総理大臣を選び続けるのか

我が国において、又、おバカな国会議員選挙が始まろうとしている。

先日、ビザなし交流の場で、一人のおバカな国会議員が、団長に対して、ロシアと戦争して島を取り戻すしかないのではないかと述べたり、不逮捕特権があるから外出させろと騒いだりした事件が様々な点で物議を交わした。
所属政党である維新は、彼を除名し、国会の場では辞職勧告決議などが取りざたされたが、結局本人は、適応障害との診断書の下、2か月間の療養となっている。

医師の立場から、その診断自体に対する疑義、一方ではあくまでも診断は診断として尊重すべきであるという意見など見られた。
国会議員としての立場からは、民意で選ばれたのであるから早々に他の国会議員が判断できることではないという意見、日本国憲法の基本理念である平和主義に反しているのであるから即刻辞任すべきであるとの意見などがあったように思う。

私の考えを言わせてもらえば、これらの意見は全て的外れである。今回の問題は、そんなに複雑な問題ではない。
おバカな国会議員は、即刻辞任すべきで、それ以外の選択肢はない。もし本人がその理解力もないアホなのであれば即刻退場の決議をするしかない。ただそれだけのことだ。上記に述べた様な思考を必要とするような事案ではない。

そもそも国会議員とは何なのかを考えて見ればわかることである。日本国憲法第41条に基づく国権の最高機関たる国会、そして唯一の立法機関である国会の構成員であり、行政、司法などの他の国家権力からの妨害を排除するために不逮捕特権も認められている。しかし一方、強力な権力を持つがゆえに第99条によって憲法尊重擁護義務が課されている。
日本国憲法第99条の憲法尊重擁護義務者に国民が書かれていないように、憲法とは、あくまでも国家権力を縛るためのものであり、それが法の支配なのである。

今回のおバカな国会議員による島奪還のための戦争発言は、明らかに日本国憲法第9条おいて定めた国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄の条文に反している。
おバカな国会議員は、国会議員の自由な発言を守るために議員辞職はしないとほざいていたが、国会議員においては、自由な発言の前に、第99条に基づく日本国憲法尊重擁護義務が存在している。
一歩譲って、国会議員が日本国憲法に反する自由な発言が許されるとするならば、日本国憲法改正のための関連発言であろう。しかし、今回のおバカな国会議員に関してそれは該当しない。
もし、日本国憲法に反した自由な発言が許される者がいるとすれば、それは日本国憲法第99条において尊重擁護義務者から外されている国民だけである。
それらを考えた時、おバカな国会議員が自由な発言をしたいのであれば、国会議員の職を辞して、国民に戻るしかない。おバカな国会議員は、自分も日本国民であると言うかもしれないが、もしそのことを認めるとすれば、そのこと自体が日本国憲法第99条の存在意義を否定することであり、日本国憲法に反しているのだから

しかし先に述べてきたことは、今回のおバカな国会議員だけの問題ではない。おバカな総理大臣についても言えることである。内閣総理大臣も日本国憲法第99条による日本国憲法尊重擁護義務者なのだから
このおバカ現象は、そのレベルの低さ、悪質さ、官僚への広がりも含めて、その度合いは増大している。そのことは今回のおバカな国会議員の件でも言えるが、私自身間違いのない事実であると思う。一連の国務大臣の辞任、公文書改ざんなどはその証左である。

最近のその急速な質の劣化の原因ついて言えば、二大政党を目指した小選挙区制への選挙制度変更によって一つの選挙区においては、当選者は、ただ一人だけとなったこと。その小選挙区制度の下での政党国家化現象、政党内での党首の権限の増大にあると考える。
政党助成金含めた政党中心政治に関して言えば、日本国憲法上、政党に関する条文は一切ないにもかかわらず国会議員である前に政党人であることが優先される。又、小選挙区制、比例代表性における立候補者の選定は、その政党の党首、代表者が最終的な決定権を握ってしまっている。
そうした中で、おバカな党首が最も理想的な候補者と考えるのは、そこそこ世間受けのする学歴、経歴、専門知識を有した、そしてここが最も重要なのであるが、真の意味での想像力に欠けた、他者との共存を否定しがちな、そこそこの権力志向の強い真の意味でのおバカな候補者だと思う。そうした人間は、国会議員になること自体がその人間の目的であり、極端な話、政党や、政策など二の次で、ましてや国民のことなど考えるのは選挙の時だけであり、自分の議席を維持するためであれば、政党を渡り歩き、最悪の場合は診断書をもらって雲隠れする。国民にとっては最悪であるが、政党にとっては、そういった彼等こそが、使いやすい都合のいいおバカなのである。
今回の戦争発言したおバカな国会議員の場合、その所属、公認政党である維新は、自分たちの議席を守ることに徹して早々と除名し、何事もなかったかのように振る舞っているが政党の公認責任はどこにあるのか。おそらく彼らは言うであろう、選んだのはあなた方国民なのですと、どんな業績を残そうと、最終的には何の責任も取らないおバカ政党以外の何者ではないことを露呈している。

この7月には参議院選挙が予定されているが、私が、冒頭に述べたように、この選挙が何故おバカな最悪な選挙であるのかお話ししておこうと思う。

まず第一に、はっきりさせて置かなければならないのは、国会議員選挙とは、先にも述べた様に国民の代表者であり、国権の最高機関である国会の構成員、そして私たち国民の人権に直接かかわる法律を作る唯一の立法機関の構成員を選出する選挙であるということです。
すなわち、本来的にも、日本国憲法上も、国会議員選挙とは、主権者たる国民のための選挙であって、決して国会議員のための選挙ではない。
しかし、今回の参議院選挙に限らないが、特に中選挙区制に変わって小選挙区制が導入されて以降、国会議員選挙全般で言えることであるが、国会議員選挙が国会議員のための選挙に成り下がっているということである。特に、このたび行われようとしている参議院選挙は、明らかに国会議員のためだけの選挙である。
そもそも国会議員の定数を減らすことは与野党間の合意であった。その一方で、最高裁による一票の格差についての違憲状態判決が続き、昨年末の最高裁判決においてようやく、先の衆議院議員選挙に関しては一応国会の是正の姿勢がみられ、その格差が1.98倍で2倍を下回ったこともあり合憲判決が出された。しかし、違憲、違憲状態とする少数意見もあったし、最高裁が求める各県に割り当てる別枠方式の抜本的な改革は為されていない、今だもってごまかしの選挙制度に他ならない。
その進まない最大の理由は、現在の選挙区の変更を望まない現在の与野党含めた現職国会議員のエゴ以外の何者ではない。私が、現在の全ての国会議員がおバカとする最大の理由はそこにある。
特に今回行われようとしている参議院選挙などひどいものである。一票の格差是正のため、別枠方式を少しいじって数か所で二つの県で、いわゆる合区にして一人の当選者にする代わりに、比例代表に特別枠を作り、合区によって押し出された現職議員を特別枠の中で救おうというのである。まったく馬鹿げている。国民を愚弄している。そのために結果的に定数は6議席も増えてしまった。定数是正するという国民との約束など全く無視している。
定数が増えることに関しては野党もまんざらでもないと考えており、与野党すべての国会議員が、もはや自らの議席のためにしか選挙制度を考えていない状況にある。
さすがに参議院選挙を目前にして体裁が悪いのか自分たちの歳費を減額してその減額分で増えた議席の歳費との帳尻を合わせようとしているが、議席が増えれば、国会内の椅子から、住居から何から何まで歳費以上の国民負担が増えることは自明である。
全く本末転倒のおバカとしか言いようのない最低の人間たちである。彼らが日本国憲法でいう国権の最高機関を構成する国会議員であるとは、国民の恥以外の何者ではない。

私は、現在、一昨年行われた衆議院選挙に関して、財務省による公文書改ざん、国会での虚偽答弁、改ざん文書配布、会計検査院への改ざん文書提出、安倍内閣による国会召集の拒否、冒頭解散などの国、政府による違憲、違法行為、すなわち、公職選挙法第一条によって保障された私の選挙権、被選挙権に対する侵害を理由として国家賠償請求訴訟を起こし、現在上告し、最高裁第一小法廷で審理中であるが、その訴訟の過程で、被告である国がその答弁書の中で「国会議員でもない原告が」という表現を用いた部分があった。おそらく立法府のみならず行政府も国会議員選挙とは、国会議員のためのものであるとしか考えていない。
第一審の広島地裁の判決では、当該選挙において私が投票し、立候補したことをもって形式的に、選挙権、被選挙権侵害はないとしたが、先にあげた一昨年の最高裁判決でも明らかであるように、最高裁は選挙権に関して、実質的な選挙権の価値の平等を求めているのであり、明らかに最高裁判例に反している。これらのことは、上告理由書、上告申し立て理由書の中でも書いたが、私が、今回の裁判で司法に問うているのは、選挙権とは誰のもので、何のためにあるのかということである。
行政国家化現象、政党国家化現象のもとで、国会は、内閣の下僕と成り果て、国民の人権を守るべくして日本国憲法上、設けられた三権分立制度は完全に破綻している。そうした中で唯一残された憲法保障制度が、国会議員選挙権だと私は思う。
上告理由書、上告申し立て理由書の中でも書いたが、国会議員選挙は、国民の基本的人権を守るための国民のためのものである。決して国会議員のためのものではない。与野党含めた全国会議員は、手段と目的をはき違えてしまっている。

今回の参議院選挙に合わせて衆参同日選挙も盛んに言われている。その中で言われているのが、解散、総選挙は内閣総理大臣の専権事項であるということだ。
しかし、私は基本的に間違っていると思う。日本国憲法において衆議院の解散が定めてある条文は内閣不信任に対する第69条による解散と第7条の国事行為としての解散だけである。第7条の国事行為としての解散は形式的なものであり、実質的には第69条の内閣不信任決議に対する対抗処置としての解散のみである。一歩譲ったとしても国会における合意形成が困難という大義がない限り、国権の最高機関たる国会の解散はできないとするのが、日本国憲法の要請であると私は思う。
現在、上告している裁判の理由書の中においても国会の召集義務違反、その後の冒頭解散についても、私の選挙権、被選挙権侵害にあたる違憲、違法行為であることを申し立てており、国民の人権を守る最後の砦としての司法判断を問うている。

今回行われる参議院選挙、併せて行われるかもしれない衆議院選挙、いづれにしたところで、自分たちの都合で解散し、より多くの議席を得ようとする与党、選挙のためだけの野合にすぎない野党、どちらも自分たちの議席数を増やすためだけの国会議員選挙であり、日本国憲法前文第一文で謳われ、日本国憲法が要請する「正当な選挙」では決して有り得ない。

そうした選挙の下で、与党がより多くの議席を得たところで、国会議員、官僚の驕り、劣化が進むだけであり、野合の野党が議席を増やしたところで、所詮、選挙までの野合にすぎず、何一つ為すことはできないであろう。

与野党の国会議員が、政党人である前に、一人の全国民を代表とする国会議員であるという日本国憲法が求める国会議員としての原点に立ち返らない限り、何度、国会議員選挙を行ったところで現在、そして将来の国民にとって何の意味も為さないであろう。
経済格差は広がり、より多くの国民の基本的人権は失われてしまうのも時間の問題である。

私は、現在、将来の国民の思想、良心の自由をはじめとする基本的人権を守るために、自分自身ができる全てのことをしたいと思っている。
たとえその結果がどうであろうと

民主主義とは過程であり、結果ではないのだから

   令和元年5月29日  文責  世界のたま