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科学、経済至上主義の果て~想像力を失った人類に未来はない

私は、北朝鮮核問題が、日中米韓との間で解決しようが、イラン核問題が解決しようが、人類の滅亡のカウントダウンに何ら影響がないことを断言する。それらの稚拙な問題が解決したところで何ら意味はない。

一方で、現在世界中で猛威を振るっている自国ファースト主義、経済制裁の応酬、軍事力や経済進出に伴う威嚇は、人類にとって、その生存の否定以外の何者ではない。

そうした中で、国連総会が開かれたが、もはや集まることに多少の意義を見出だせるのみの政治ショーにすぎない。ニュージーランド首相の生後間もない子供もIDカードを作ってもらい国連総会に出席していたが、今この時間にも地中海の難民船上で、シリアで、イエメンで、ソマリアで、バングラデシュで、南スーダンで、命の灯火が消えかかっている生後間もない多くの子供たちも同じ生きる権利を持った一人の人間、一つの命に他ならない。

トランプはじめ各国首脳の演説、何一つとってもそこに真の世界平和、世界中の民一人一人の自己実現できる社会を想像し得ることはできなかった。

彼らが言う、愛国主義、貿易摩擦、北朝鮮やイランに対する制裁など、万が一それらの課題がすべて解決されたところで、現在の世界情勢が悪くなることはあっても、何一つよくなることはないことを、そして最終的に、地球上での人類の生存が間違いなく危機に陥ることを彼らは想像することができないでいる。
というより、彼ら自身の人生の残り少ない生存期間のことだけしか考えていない。そもそも自分たち以外興味はないのだから
自分たちが生きている間に国家が借財を積み重ね、地球環境を破壊し、資源を使い果たそうとも自分たちが、美味しいものをたらふく食べて、いい思いが出来さえすればいいのだ。
彼らが想像できる未来など、たかが自分たちの任期である数年レベルにすぎない。

同じ時代に生きる他国において、自分たちが経済至上主義の中で、生産し、売りつけた兵器によって、何人の子供をはじめとする民間人が死のうが彼らにとって知ったことではないのだ。
このことは、アメリカのみならず、ロシア、フランスをはじめ、代理戦争の後ろ盾となっているサウジアラビア、イランなど含めた数多くの他国の紛争に関与する国々、そして他国の環境、人権を無視した経済侵略を図っている中国でも結局、同様のことが言える。そして我が国自身もそれらに加担している。

世界の歴史を振り返ってみればいい、欧米諸国や我が国によるアフリカ、アジアでの植民地政策、その後の世界各地での独立戦争、東西冷戦下での大国による代理戦争すなわち戦後のギリシャ内戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン内戦、カンボジア内戦、ハンガリー動乱、チェコにおけるプラハの春、シリア内戦、イエメン内戦、ソマリア内戦、イラク戦争いづれもアメリカ、ロシアを中心とした欧米諸国、そして我が国も戦闘、武器、戦費の供与に関与している。

現在の世界で起きているすべての問題の根源が何かと言えば、それは経済至上主義に尽きる。
確かに国境問題、民族問題など、表向きにはそれらが強調されているが、上記にあげたようにそれらの問題を、拡大化し、複雑化し、扇動しているのは、国家、国境、民族すらも記号化することによって経済的利益を上げようとする経済至上主義に他ならない。

1991年のソビエト連邦崩壊によるいわゆる資本主義の勝利は、戦後のトルーマンドクトリン、マーシャルプラン、ブレトンウッズ協定における金ドル本位制すなわちドルの国際基軸通貨化、アメリカ主導での世界銀行、IMF設立含めたありとあらゆる点でのアメリカ中心主義の幕開け後の集大成としての世界のアメリカ化に他ならない。

1990年代のヘッジファンドが引き起こしたタイ通貨バーツの暴落、その後のアジア危機、2009年のリーマンショックなど、それらすべては手段でしかない貨幣、金融システムを記号化、目的化させた経済至上主義が引き起こしたものである。

現在世界中で生じている様々の問題は、たとえそれが民族紛争であれ、核をめぐる問題であれ、宗教上の問題であれ、国境紛争であれ、その根底に存在しているもの、もしくはいったん生じた紛争の解決を長引かせ、泥沼化させているものは、経済至上主義以外の何者ではない。もはや、アメリカや、ロシアや、中国といった個々の国家が問題の本質ではない。私が過去のブログの中で、国家を対象とした現在の安全保障体制が全く意味をなさないと言っているのもそれが理由です。蓋し、経済至上主義は国家を超えてグローバル化しているのだから

私自身、市場経済社会は、私たちが生活する上で不可欠なものであるとは思う。しかし、拡大再生産を至上命題とする経済至上主義は、私たちにとってもはや不必要なまでの過度の欲望を生じさせ、人類の生存基盤たる自然を破壊し、そして残された自然すらもそれを記号化することによって、拡大再生産の対象としてきている。

人間の欲望は本質であり、それを抑えることは困難であるとの指摘もある。フロイトが言うように自我とは幻に過ぎず、人間は無意識によって束縛された存在にすぎないという見方、生来犯罪人説のように、生まれたときから人間はすでに決まった存在であると考える考え方もある。

確かに、資本主義社会の中で、人間が自由に理性的な振る舞いができるかと言われれば、それは困難な部分もあると思う。しかし、私はある一定の環境の中においては、自然や、他者との共存を図る理性的な行動を選択することは可能であると思う。

その一定の環境とは、人間の欲望のコントロールされた社会に他ならない。
それは、税制度で言えば、所得の再分配機能であり、企業でいえば、ワークシェアリングであり、車で言えば、カーシェアリングであり、電力消費で言えば、節電である。

そうした中で、私自身が考える近代以降、現代社会の中で、最も重要な人間の欲望のコントロールが、法の支配、現代立憲民主主義に他ならない。

私には、現代社会は、原子力、遺伝子操作をはじめとした科学主義や、上記にあげた市場経済を中心とした経済至上主義における歯止めの効かなくなった人間の欲望が、人類の生存基盤たる自然の修復能力を超えてしまってきているとしか思えない。それは間違いのない事実であり、現実である。

私は、そうした中で、それらの欲望の暴走を止めることができるのが、唯一、法の支配、現代立憲民主主義であると確信している。
近代以降、法の支配、立憲民主主義の下で、市場経済は発展した。
しかし、1990年以降、グローバル化、アメリカ化の下で、経済至上主義が猛威を振るい、本来は、人間の欲望、経済至上主義をコントロールすべき法の支配、現代立憲民主主義が、経済至上主義に飲み込まれてしまっているのが現代社会である。
そうした中で、近代以降、自然から乖離した人類は、経済至上主義によって、人類の生存基盤たる自然をも破壊尽くそうとしている。

法の支配、現代立憲民主主義の確立のみが、唯一、経済至上主義によって引き起こされている世界中の紛争や格差社会の中で失われている命、科学主義によって引き起こされている自然破壊の中で失われている命を救うことができると私は確信している。

私自身が、来月公判を迎える広島高裁における国家賠償請求訴訟も、我が国日本における現代立憲民主主義の存在を問うているのである。

私は、我が国日本の法の支配、現代立憲民主主義の確立こそが、沖縄問題をはじめとする国内の諸問題、そして世界における上記にあげた様々な問題を解決する唯一の術であると確信している。

自然を自ら破壊することのない他の生物は自然淘汰の中で、自然を守り、結果として生物を守ってきたが、近代以降、自然を破壊することが可能となった人類は、自らが生存できないほどの自然破壊をすることによって、その破壊された自然によって自らが淘汰されるのを待っている。そこには、もはや人類の生存は有り得ない。

人類は、科学主義の中で、科学という枠組みによって、種としてのヒトが、本来持っていた自然との共通感覚、無限の想像力を失ってしまった。

   平成30年9月28日   文責   世界のたま