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震災とグローバリゼーション

熊本では、今回の震災で多くの方々が亡くなられ、今現在も続く余震の中、被災された多くの方々が過酷な避難生活を強いられている。

震災後、様々な報道がなされている中で、今回に限らないがいつも思うことがある。

今回の震災においても震災当初の話であるが総理大臣が官邸にいながら早期に屋内生活への指示を出した一方、熊本県知事は現場がわかっていない、今までに例を見ない激しい余震が続く中、人々は怖くて屋内避難などできないといった談話が流された。

この報道を見て私は東北で起きた震災での原子炉の燃料棒融解を思い起こしていた。

あの時も現場で対応に当たる指揮官はじめ職員と、現場から遠く離れた東京にある総理官邸や東京本社にいる東京電力の幹部との考え方、指示の違いが報道されていたし、今だもってそのやり取りの詳細がはっきりしない部分がある。

どちらのケースでも最終的に正しかったのは現場だと思う。正しいという言い方は適切ではないであろう。それしかないのだ。

今回に限らないが世界各地でいわゆる未曽有のことが立て続けに起きている。今までの経験では対応が困難な事例、予測がつかない事例だ。

それらをみていて私がいつも思うことは国内外でグローバリゼーション化が推し進められる中でのグローバリゼーション自体の持つ脆さであり、そこへの加速度的な流れであり、未来の地球、そこで生活していると思われる現在生きている子供たち、孫たちを含めた未来の人たちへの生存の危機である。

グローバリゼーションは常に均一化を求め、効率化を求める。その中で地域性、人間性は薄れ、失われてゆく。

確かに災害対策において自衛隊、警察含めた人的、ガス、電力、水道などに対する復旧、そして予算面での国家的な対応は不可欠である。

しかし、震災当初、長期的対策の中ではその担い手は地域しかないのです震災という観点から見た時に最終的に必要なものが地域であるということを誰もが認識するのであるが、特にグローバリゼーション化した現代社会にあっては、当事者になって初めて気づかされるものだと思う。

その地域性であるがこれらは一朝一夕にできるものではない。

よく様々な危機的状況があるたびにそれらに対しての対策が考えられ、備えがなされるが、社会全体がグローバル化の流れの中で、それらを考えてゆくことは元々、無理な話なのです。

社会全体での地域性の崩壊の原因は言うまでもなく、経済でのグローバル化である。

経済でのグローバル化が図れる中で人口は移動し、小規模事業者、それが農業、漁業、畜産、林業、商業、工業など何であれ、崩壊し、チェーン店化された事業者、大規模事業者にとってかわられる。

経済でのグローバル化は政治的、行政的、社会的グローバリゼーションを引き起こす。

経済的グローバル化は世界中で今や南側諸国、北側諸国を問わず、地域性を破壊し、地球規模での破滅への道へとその流れを推し進めている。

今、私たちが来るべき予測不能な危機的状況を前にして、私たちの、子供、孫、そして私たち人類の、生き物の未来が存在することを保障したいのであれば、何をしなければならないのか。

それは経済のグローバル化を止めることであり

今生きている私たちが、今しなければ何の意味もないのです。

  平成28年4月30日  文責  世界のたま