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ピエロになること

前回のブログの最後に私自身がピエロになることについて触れたが、先日といっても3日前のことであるが、来るべき在宅療養社会についての30分程度の講演を依頼され、医療、介護、福祉、行政関係者200人程度の研修会で話をさせていただいた。

来るべき在宅療養社会は現在の在宅療養社会と全く違って本当に厳しくなること、その中で最も支えになるものはコミュニティしかないこと、その二点を伝えたかった。

うまく伝えることは出来なかったかもしれないが、可能な限りのことは自分なりにしたつもりである。

壇上の上で思ったのだがピエロになることは自分という存在を完全に消して無になることだと思った。いわゆる無心になることに近いものだ。

また先日、広島地方裁判所から、私が地裁に提訴していた安保関連法の国会議決の無効、その執行停止請求に対して棄却判決が特別送達された。

判決内容については納得いけるものでは決してなかったが3人の裁判官がある意味で丁寧に棄却理由を述べていただいたとは思う。

しかし私がこの裁判で司法というより一人一人の裁判官に問うているものは何なのか、それは裁判官の使命であり、さらに言えば、日本国憲法上における一人一人の裁判官の使命とは何なのかである。

そして私が訴えている訴訟における私自身の立場についての充分な考慮がなされていない点において大きな誤りが原審にあると思われ、広島高等裁判所に控訴させていただいた。

この間、特定秘密保護法については最高裁まで上告し棄却されたが、今回の裁判では、私自身、より無になって訴訟行為に及んでいると思っている。

控訴に関しても、より純粋なピエロになって臨んでいるつもりだ。

徹底した無になることによりそこに自ずから真理への道が開かれると思うし、そう信じている。ピエロに徹することで初めて真空状態が作り出され、そのブラックホールの中にすべての事象が自然に引き込まれるのだと思う。

現在、私は、在宅医療、介護を通じて多くのことを学ばしていただいている。その中で、もっと私自身ピエロになりきらなければならないし、残された時間がないのです。

訴訟においてもそうであり続けなければならない。

ただ、それだけではおそらく何も変わらないことも覚悟せねばならないであろう。

さらなるピエロとしの在り方を考えているが、一段と厳しいものとなるであろう。

        平成28年2月28日     文責    世界のたま