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無に耐える

人は何もなさないということに対しては実に脆い。
人は何かをしていなければおれない生物だ。
何かをすることで人は充実感を得て、それを進歩と呼んできた。
しかしその結果が今の現実なのだ。
その結果を前にしても人は止めることができない。否、止めようとしないのだ。

何度も話しているように私は日本国憲法が大好きだ。
これも何度も話していることだがその中でも幸福追求権が大好きである。
私が日本国憲法を好きなのは個人としての人権を保障しているからではなく、前文、および本文で書かれているように将来の国民に保証しているからだ。
将来の国民に、すなわち子孫に幸福追求権を保障しているのです。

裏返してみると私たちは子孫に対する幸福追求権を保障する責務を負っているのです。

ブログの中で幾度も資本主義に対する限界、経済優先社会からの脱却を訴えてきたがそのために何を私たちはすべきなのか、それらが可能なのか、ずっと自問自答してきました。

このことも何度もお話してきましたが、個の中に全体がある、結局そこに尽きることがわかってきました。

個、すなわちコミュニテイー、小さな共同体にその答えがあるのです。

そういった意味で現在の世界の潮流である国家主権的な考えや、TPP含めたグローバリゼーションは今までの古い価値観の中での遺物でしかなく、その先に待っているのは破滅しかない。

消費を抑えた、環境の改善を中心にした世界への転換を図らなければならない。

いつまでも、経済成長、株価、GDPなど古臭い指標の中で、一喜一憂している愚かな政治屋や莫大な広告費用をかけて商品を売り込み続ける大企業の経営者、それらに携わる愚かな人々を目の当たりにしたとき、彼らは先のことなど何一つ考えてはいない。

TPP交渉の担当大臣を見れば子供でも分かる。そこにいるのは担当大臣ではなくただの欲深い愚かな心の寂しい人間だ。
ただ、それらの人たちに踊らされているとはいえ、それらを選出してそれらの者のために大切な時間と環境を提供している愚かな自分たちであることも私たちは認識し、先にあげた消費を抑えた、環境中心の世界へ導くためには私たちは何をしないかとなければということを真剣に考えなければならない。

いつまでも欲深い政治屋や大企業の奴隷で居続けるのか、しかしこの先に待ち受けているものはもはや奴隷ではなく、政治屋、大企業含めた私たちすべての死しかない。

資本主義という手段としてはその素晴らしさを利用しながら世界の転換を図っていきませんか?

その答えはコミュニティにあり、最終的にはあなた方一人ひとりの個の中にその答えは存在しているのです。

今の日本含めた世界の潮流に対して、最も私たちがすべきことは無に耐えることなのだと思う。

私自身、現在、裁判やブログで訴え続けているが、私がピエロになることで何かが変わるのであればピエロにでもなろうと思う。

未来の人のためになるのであれば。

    2016年1月31日    文責  世界のたま