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私たちが向かわされているところ

私が幼少だったころのことを考えることがあるが、世の中が確信的だった気がする。私自身が自己に閉じこもる性格であったこともあるかもしれないし、今の時代のようにネットやスマートフォンなどの情報伝達機器がなかったこともあるかもしれない。

無数の情報の中で選択肢を迷うことが多くなったからかもしれない。

しかしながら、その一番の大きな原因は自分自身の中にある不安ではないかと思う。果たして自分自身すらも自己に決定権があるのか、利己的な遺伝子でいう自分自身は単なる器でしかないのか。

ただどうであれ、私の遺伝子はおそらく身の危険を感じて叫んでいることには間違いはないと思う。そして、こうやってブログを書いて、訴訟を起こしているのは自分自身であること。自分自身で決定していることも間違いのないことであろう。たとえ無数の遺伝子たちが大騒ぎを起こしているに突き動かされていることが動機であったとしても。

彼らというか私の遺伝子たちがなぜ大騒ぎをしているのであろうかということを考えたとき、遺伝子という自然に突き当たる。

間違いなく自然が私を突き動かせているのだと思う。

自然が身の危険を感じている。自然がイエローカードを私たちの現代社会に対して突きつけているのだと思う。

それは私のブログの中でも何回か取り上げたことであるが自然の再認識に他ならない。遺伝子にとって、科学という名を借りた自分たちの自己否定につながる遺伝子操作はもちろんのこと、彼らが存在するために不可欠な自然環境に対する恐怖感であろう。

人間がたまたまだと思うが道具を見出したように、資本主義という道具を見出してしまった。

資本主義という道具は一見便利なものではあったが、現代社会において、これも何度かブログの中で訴えていることではあるが、私たちは手段を目的とはき違えてしまっている。というより手段としての道具を使っているうちに道具に取り込まれ本来の目的を失ってしまっているのだと思う。

先に私が述べた不安はそこからくるものなのだと思う。

よくロボット、コンピューターに人間が支配されてしまうなどと言われることがあるが、私から言わせてもらうと現実的には道具に人間が支配されるという点ではすでに資本主義という道具に人間は支配されている。

資本主義というと格差問題などが昨今取り上げられているし、現実的に全世界共通で格差は加速度的に拡大しており私自身、大きな社会問題であるとは思う。しかし、それを考えるうえで間違えてはいけないのが貧しいものが善で、資産家、権力を持っている政治家、官僚が悪と思いがちでるが、貧しき者も、富ある資産家も、権力を持つ者たちもすべてが資本主義という道具の中でこき使われている一つの道具、奴隷に過ぎないということだ。

確かに資本主義という道具は私たち人間にとって手段としては必要であったと思うしそれを利用してゆくことは間違いではないと思う。

ただ手段はあくまで手段に過ぎないのであって、目的とはなりえない。それを間違えたとき何が起こるのかということは現代社会が証明しようとしていることに他ならないし、現実的に世界中でいろんな形で生じている。

今から間に合うのか、私にはわからないが、ただ言えることは、もはや後戻りができないところに来ていることは間違いのないことである。

私たちが向かわされているところはどこなのか、せめて私たちが向かおうとしているのがどこなのかであってほしいと思う。たとえそれがどこであろうとも。

             2015年12月31日   文責   世界のたま