月別アーカイブ: 2014年8月

万能細胞 スタップ細胞の持つ危険性

主権者への提言の中でも取り上げたが私は、二つの点からこういった研究については人間のみならず生物界にとって害あって利がないものだと思っている。

 

一点目は基本的に遺伝子組み換え食品なども出回っている時代であるが遺伝子、細胞レベルで自然ではないもの、人の手が人工的に加えられたものに関しては、いずれ自然そのものにより排除されてしまうものだと思う。

人工的に作られるものはおそらく自然淘汰で生み出される本来の自然の過程を阻害し、最終的には種そのものの生命力を弱めてしまうであろう。

細菌やウイルスなどの生物であれ、地震や台風などの自然現象であれ所詮は人間がかなうものではない。

普段の生活の中で、ややもすれば忘れてしまいがちになるが、所詮、人間そのものが自然の一部にすぎないのだから。

 

もう一点はスタップ細胞の問題ではっきりしたことは研究者(その名に値するとは思えないが)含めてそれにたかる当事者である組織、それを取り巻く企業、馬鹿みたいに無駄な税金を出し続ける行政、政治家誰もが所詮はスタップ細胞が人間社会にとって一つの手段に過ぎないことを忘れてしまっていることです。

 

万能細胞、スタップ細胞は単なる手段であってそれそのものには何の価値もないことを認識しなければならない。

重要なのは万能細胞、スタップ細胞が何のために必要なのかである。その点、確かに救われる人が少なからずおられることは事実であるが、その救われた先に我々がどういった社会を描くのか。それを描かないままの今の状態での開発競争の中では、手段が目的化してしまい自然からの大きなしっぺ返しを受けることは間違いない。

 

この間のスッタプ細胞をめぐる利権、補助金絡みのくだらない争いが証明している。

若い研究スタッフも現代の間違った価値観を持った教育、社会の中で手段を目的化してしまい、何のための研究なのか、最終的な目的がないゆえくだらない名誉や利権(理研とも言えるが)のために結局一般社会では詐欺としか思えない行動を何のためらいもなく行っている。そのために何億という無駄な税金を使い続けている。

 

それを利用し、踊らされ、何らかの形での見返り目的、たかり目的で出すほうも出すほうだが、もらった方もすみやかに返還すべきであろう。

原子力が時代の流れの中で見直されているようにおそらく遠くない将来これらの分野でも人類は後悔するのであろう。

 

人間という生物はつくづく学習能力がないことを彼らからあらためて教えられる。

 

こういった分野を成長戦略の柱にするとは考える人たちの先見性のなさ、能力のなさにもうんざりされられる。

最先端を行っているつもりなのかもしれないが時代遅れの発想の中で転がされている自分たちに気付かない愚かな人たちだとしか思えない。

 

ただ、そういった近視眼的見方(名誉、権力、お金への欲望)しかできない人たちのことを非難していたところで何の解決にもならない。

今こそ新たな価値観で真の生命への尊重とは何なのかを考えるべき時である。

2014/08/29   文責   世界のたま  sign

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代表民主政治とは、そしてその崩壊

昨今、トップダウンの政治手法の良さを訴える政治家が増えてきていると思われ、それを支持する人も増えているのも事実である。

その理由の一つには多様化した社会の中で様々な価値観があり、討論の中でまとまらず時間だけ過ぎるそのまどろかしさや混ぜ合わせの中途半端な結論の中で何も変わらない現実にうんざりさせられ続けたことだと思う。

 

ただよくよく考えてみると、トップダウンの政治手法は結局、歴史的には大古のやり方に戻るだけの話だ。

歴史的には直接民主制から代表民主制へと人間の英知の中で選択されてきたことなのに愚かな人たちにより振出しに戻ることがさも素晴らしい現代的な政治手法とすり替えられている。

 

そういった愚かな政治家の多くは馬鹿の一つ覚えのように多数を取ればそれが民主的な結論で正義なのだと訴える。(無駄な税金を浪費した上で、解散、辞職し、やり直し選挙を行い投票率が下がっても多数を取ればそれが民主的な正義だと声だかに訴える。私から見れば詐欺師の典型にしか見えないのだが)

 

代表民主制が直接民主制に取って代わったのは一つには討論の場の確保だ。

少数の選ばれた人たちが時間をかけて討論する。冷静に討論し時間をかける中で結論を出してゆく。

その本当の意味は少数者の発言の確保だ。言い換えれば少数が多数になりうる可能性こそが代表民主制の意味なのです。

 

多数そのものに意味があるのではないのです。但し、その前提として代表者が一部の代表者ではなく全体の代表者であることが重要です。このことは日本国憲法においてもはっきりと書かれている。

 

先に述べた政治の行き詰まりの、まどろこしさの原因は政治体制の問題ではなく、個々の代表者が全体の代表者でなく一部の代表者であるからです。

正確には私個人としては半代表的な感覚が不可欠であるとは思っていますが。決してトップダウンが望ましいことではなくそれはえてして独裁者を産み、歴史的にも後戻りするだけで何の意味もなく、そういった政治手法をとることは時間のロス以外なんでもない。

 

まったく意味のないことに私たちは気が付かなければならない。ただ、歴史的に行き詰った時代にはついそういった救世主を人々は望むものことは無理からぬことだが、だからと言ってそんな救世主は決して存在しはしない。

 

そういった意味で現在の我が国の代表制民主制としての国会、地方議会を見てみたとき議会は形骸化し、少数者の意見に真摯に耳を傾ける気など毛頭なくヤジや、いねむりが横行し、議員も大臣、首長含めて代表者としての自覚などありはしない。

 

ほぼ見渡す限り代表民主制は崩壊していると思われる。ただこのことは主権者たる私たちが愚かであることの裏返しだ。主権者たる私たちが選んだ結果なのだから。たとえ選ぶ人がいないとしても言い訳にはならない。

 

今、私たちは代表民主制の崩壊を目の当たりにして一部の利益や個を顧りみることのない真の意味での代表者を選んでいくことしか選択の余地はない。

そのためにも代表民主制回復手段のための議員選出、法案議決が不可欠でありそんなに時間はない。

2014/8/28   文責  世界のたま  sign

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人権と特定秘密保護法

一時騒がれた特定秘密保護法もあまり話題とされることが少なくなってきているが(何らかの力が働いているのかは定かではないが)12月の施行に向けての動きが出てくると思われる。

 

この件に関して私は大きく分けて2つの点で施行すべきではないと考えます。

一点はまづ特定秘密保護法そのものがまだ正式に成立しているとは思えないからです。

昨年度の衆参での短期間での強行採決の中で形式的には成立したとされているが、衆参ともに平等選挙違反で違憲、違憲状態との判決が裁判所から指摘されている。

 

そのような違憲、違憲状態での国会での審議、議決は基本的には無効である。

一歩譲って違憲状態の解消まで違憲状態であるが国会議員としての当面の資格は認める事情判決だったとしても、彼らに特定秘密保護法のような思想の自由(絶対的な保護が保障されている)から派生する知る権利を制限する法律の立法能力を認められているとは思えない。

というのも選挙という民主制の過程が違憲、違憲状態とされた議員に知る権利という民主制の過程に直結する権利の制限に関する法律の立法能力が与えられるとは考えられないし、決して与えてはならない。

もしそれを許すなら民主制の過程の修復は国会という立法機関での修復は困難であり、誤った民主制の過程の結果として人権そのものが危機にさらされるであろう。

 

唯一、違憲審査を有する裁判所が最後の砦であるが、私自身、今年初めに広島地裁民事部に訴えを提起しているが半年たった現在まで裁判審理に入るかすらも返答をもらえていない。司法に期待することはできないと考えます。

 

二点目はやや重複するが人権を守るためには、手続きとしての民主制が不可欠である。その民主制にとって思想、良心の自由の保障は絶対である。知る権利と国家の機密が比較されるが民主制なくして立憲主義国家は存在しえない。

そして所詮、国家そのものも主権者たる私たちの人権を守る一つの手段にすぎないのだから。実際、現実的に今の日本に守るべき機密、秘密があるとすればそのほとんど100パーセント近くが守ろうとする組織にとって都合の悪い、所詮それほど守るべき価値(主権者たる私たちにとって)のないレベルの低い内容であることは誰しもわかっていることだと思う。

 

今、私たち主権者が特定秘密保護法の施行を許すことが現在、未来の主権者たちに何をもたらすのか真剣に考えてみてください。

たまたま多数を得たからそれに乗じて成立、施行する内容の法律ではないのです。

2014/8/30  文責  世界のたま   sign

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たかり集団と化している政党

政党を考えたとき歴史的には敵視、無視から承認のレベルになってきてると思われるがそれは本来の世論を統合、実現するという本来の意味での政党を考えた時の考え方であってそういう公党としての側面の意味合いは薄れ、現在残っている政党の多くは権力、名誉、お金を得るための手段に成り下がっている。

 

助成金目当てでの離合集散も当たり前のように行われ、そういった意味ではたかり集団化しているとしか思えない。

最近のニュースの中でも経団連の政治献金の復活など、公党としての側面重視のために企業献金を中止して政党助成金制度を作ったのに助成金をもらいながら献金をもらうなどあった場合には公党とは程遠い詐欺集団に近いたかり集団としか言いようがない。

それでも本来の媒体としての役割を果たしてくれればまだ救われるが特定秘密保護法案でもそうであったが公約にも載せず、結果として多数を取った際に多数の国民の反対の世論の中、一挙に強行採決の中で可決するというやりくち、形式的なやらせの公開討論などのまやかしも含めてそこには世論の媒体としての政党のかけらもない。

 

本来の機能を失っている政党ではあるが集団としての党議拘束などの都合の良い機能だけは主張する。そこがまた厄介なところで政党という民主制の手段であるべきなのに手段が邪まになってしまっているがゆえに結果として民主制の破たんにつながってきている。

 

手段としての政党が自ら自浄能力がない以上、原点に立ち返って政党のための代表者ではなく日本国憲法で言っている本来の全国民の代表者としての代表に基づいた政治を行っていかなければ日本のそして世界の未来はないと思われる。

それができるのは、私たち主権者自らしかいないのだということも私たちは自覚しなければならない。

2014/8/29    文責   世界のたま       sign

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