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人権と特定秘密保護法

一時騒がれた特定秘密保護法もあまり話題とされることが少なくなってきているが(何らかの力が働いているのかは定かではないが)12月の施行に向けての動きが出てくると思われる。

 

この件に関して私は大きく分けて2つの点で施行すべきではないと考えます。

一点はまづ特定秘密保護法そのものがまだ正式に成立しているとは思えないからです。

昨年度の衆参での短期間での強行採決の中で形式的には成立したとされているが、衆参ともに平等選挙違反で違憲、違憲状態との判決が裁判所から指摘されている。

 

そのような違憲、違憲状態での国会での審議、議決は基本的には無効である。

一歩譲って違憲状態の解消まで違憲状態であるが国会議員としての当面の資格は認める事情判決だったとしても、彼らに特定秘密保護法のような思想の自由(絶対的な保護が保障されている)から派生する知る権利を制限する法律の立法能力を認められているとは思えない。

というのも選挙という民主制の過程が違憲、違憲状態とされた議員に知る権利という民主制の過程に直結する権利の制限に関する法律の立法能力が与えられるとは考えられないし、決して与えてはならない。

もしそれを許すなら民主制の過程の修復は国会という立法機関での修復は困難であり、誤った民主制の過程の結果として人権そのものが危機にさらされるであろう。

 

唯一、違憲審査を有する裁判所が最後の砦であるが、私自身、今年初めに広島地裁民事部に訴えを提起しているが半年たった現在まで裁判審理に入るかすらも返答をもらえていない。司法に期待することはできないと考えます。

 

二点目はやや重複するが人権を守るためには、手続きとしての民主制が不可欠である。その民主制にとって思想、良心の自由の保障は絶対である。知る権利と国家の機密が比較されるが民主制なくして立憲主義国家は存在しえない。

そして所詮、国家そのものも主権者たる私たちの人権を守る一つの手段にすぎないのだから。実際、現実的に今の日本に守るべき機密、秘密があるとすればそのほとんど100パーセント近くが守ろうとする組織にとって都合の悪い、所詮それほど守るべき価値(主権者たる私たちにとって)のないレベルの低い内容であることは誰しもわかっていることだと思う。

 

今、私たち主権者が特定秘密保護法の施行を許すことが現在、未来の主権者たちに何をもたらすのか真剣に考えてみてください。

たまたま多数を得たからそれに乗じて成立、施行する内容の法律ではないのです。

2014/8/30  文責  世界のたま   sign

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たかり集団と化している政党

政党を考えたとき歴史的には敵視、無視から承認のレベルになってきてると思われるがそれは本来の世論を統合、実現するという本来の意味での政党を考えた時の考え方であってそういう公党としての側面の意味合いは薄れ、現在残っている政党の多くは権力、名誉、お金を得るための手段に成り下がっている。

 

助成金目当てでの離合集散も当たり前のように行われ、そういった意味ではたかり集団化しているとしか思えない。

最近のニュースの中でも経団連の政治献金の復活など、公党としての側面重視のために企業献金を中止して政党助成金制度を作ったのに助成金をもらいながら献金をもらうなどあった場合には公党とは程遠い詐欺集団に近いたかり集団としか言いようがない。

それでも本来の媒体としての役割を果たしてくれればまだ救われるが特定秘密保護法案でもそうであったが公約にも載せず、結果として多数を取った際に多数の国民の反対の世論の中、一挙に強行採決の中で可決するというやりくち、形式的なやらせの公開討論などのまやかしも含めてそこには世論の媒体としての政党のかけらもない。

 

本来の機能を失っている政党ではあるが集団としての党議拘束などの都合の良い機能だけは主張する。そこがまた厄介なところで政党という民主制の手段であるべきなのに手段が邪まになってしまっているがゆえに結果として民主制の破たんにつながってきている。

 

手段としての政党が自ら自浄能力がない以上、原点に立ち返って政党のための代表者ではなく日本国憲法で言っている本来の全国民の代表者としての代表に基づいた政治を行っていかなければ日本のそして世界の未来はないと思われる。

それができるのは、私たち主権者自らしかいないのだということも私たちは自覚しなければならない。

2014/8/29    文責   世界のたま       sign

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