覚悟のない国家(政治家、官僚、国民)~私たちはいつまで愚民であり続けるのか

 私たちは、今、世界でおきている様々な事象の中で、何を感じ、何を思い、何を為さなければならないのか。
 私は、私自身、そしてあなた自身に、そのことを問いたいのです。

 世界の難民の数は6850万人と過去最大に達しており、その7割近くがシリア、ミャンマー、アフガニスタン、イエメン、南スーダンからの難民である。そしてそれらの難民を最も数多く受け入れている国はトルコである。
 また国連は、経済的に貧しいバングラデシュや、レバノンなどが多くの難民を受け入れているのに対して、経済的豊かな国である先進国による受け入れが少ないことも指摘している。
 そんな中、トランプ大統領は、日本には難民問題がなくていい、もしあれば安倍政権はいっぺんに崩壊すると皮肉った。
 一方、地中海ではイタリアがアフリカからの難民を乗せたアクアリウス号の入港を拒否し、そうした中でスペインが受け入れを表明し、アクアリウス号は無事スペインへ入港することができた。

 アフリカの歴史を考えた時、私には、その歴史は、欧米諸国に翻弄された歴史であるとしか思えない。産業革命以降、イギリス、フランスなどの列国によってアフリカの各地が植民地化され、一方で数多くの人たちがアメリカに奴隷として連れていかれた。
元々アフリカには数多くの民族が生活し、自立していたが、列国は植民地化するにあたってそれらの民族のことなど考えず、国境線を引き、列国にとって都合のいい産業のみの育成を図った。

第二次世界大戦後、特に1960年はアフリカの年として数多くの独立国が誕生し、それ以降も数多くの国が独立に成功した。しかし、独立後の現在も民族紛争、貧困による死者、難民は後を絶たない。私には現在生じている紛争、貧困の主たる原因は、現在先進国とされ、富を蓄積続けている国々が過去に行った民族をまたいでの国境の線引き、自立していた生活基盤の破壊にあるとしか思えない。
そして現在のアフリカに積極的に進出している中国もまた真の意味でのアフリカ諸国で生活する人々の為ではなく一部の権力を持つ人々や、中国自身の覇権のためにすぎない。
しかしそのことは、欧米が過去にしてきたことを中国がしているだけであり、そしてその欧米自身も、今現在もなお産業廃棄物のゴミ捨て場として利用し、貴重な動物の乱獲などをはじめとして、アフリカを搾取し続けていることもまた事実である。

現在の世界経済において問題になっているアメリカによる世界各国に対する関税引き上げ、経済制裁、多国間交渉拒否を含めたアメリカファースト、中国による一帯一路政策、ヨーロッパにおけるユーロの見直し、すなわち共通予算、EU内IMFの創設などを考えて見よう。
アメリカで生じていることの原因は、経済至上主義の下で生まれた国家を超えたグローバル企業の存在が大きいと私は思う。第二次世界大戦に参戦するまでのアメリカにおいては決して起き得なかったことである。何故なら、その当時、基本的にはグローバル化を否定することによって、アメリカの独立と、国内の民主主義を守ることはいとも簡単にできたのだから。

現代社会において、国家を超えたグローバル企業の存在を否定することが有り得えないとするならば、そうした中で、それらの利益を確保するためには、関税、他国への経済制裁含めた国家権力の強化は不可欠である。その結果として、民主主義は否定されざるを得ず、当然のごとく国民の経済格差は広がってゆくだけである。
 
中国における一帯一路政策もそれが成り立ちうるのは、ありとあらゆる地球資源を求めたグローバル化と、国家中心主義である。構造的にはアメリカとまったく同様であり、国家がバックアップする形でのグローバル化企業の育成は絶対である。それらの政策を行う上で、不可欠なことは民主主義の徹底的な否定に他ならない。ネット規制、人権弁護士拘束、国民の監視強化は必然的に起きている事象にすぎない。民主主義を尊重した中での国家を中心としたグローバル化は存在しえないのだから。
 
独仏が現在中心で行っているユーロの見直しに関して言えば、私は、基本的には以前のブログでも多少述べたことがあるが、困難であり、最終的には不可能なことであると思う。何故ならばEUを構成する国々は最終的には国家主権を否定することができないからである。 
 現実的にオランダは反対しており、ドイツの多くの国民も何故、自分たちが他国の尻拭いをしなければならないのかと反対している。実際メルケル首相も、EU内IMFに関してもその規模は小さいものとしており、フランスとの隔たりは大きい。
EU内南北問題に関して言えば、共通通貨制度の下であるがゆえに莫大な利益をドイツは得ることができている事実を、すなわちEU内南北問題の大きな原因の一つはある意味でドイツにあることをドイツ自身が認識しなければならない。

 国際機関に関して言えば、国連そのものをはじめとした国際組織の存在意義が問われてきている。核を保有する常任理事国による拒否権の存在もその大きな原因の一つであろう。
アメリカが脱退を宣言した人権理事会、そして先進国首脳会議すらも、その存在の意味はなくなってきている。
経済協力開発機構を考えてみよう。戦後の荒廃したヨーロッパへの経済援助、及び共産主義勢力に対する対抗処置としてなされたアメリカによるマーシャルプランの受け皿として始まったもので、その目的は経済成長、自由貿易の促進、発展途上国支援であり、それに加わることがかつては先進国の証であった。それによって、確かに欧米、日本を含めた国々で経済は発展し、GDPも増え、それらの国々の国民も物質的に豊かにはなったことは事実である。

しかし、人間の際限のない欲望の中で、より多くの国々のより多くの国民が現在より多くの物質的豊かさを求め続けることも必然である。
一方で、地球資源は有限であり、地球環境には限界がある。トリクルダウン理論でのケーキのパイには限界があるのだ。その限られたパイの中で、生じてきているのが、先にあげた現在の世界経済で起きていることなのだと私には思えてならない。

我が国に目を向ければ、国会の会期末ギリギリ、大阪で震度6の地震が起き小学生の女の子が亡くなり、ワールドカップの大会もあったため世間の関心がそっちに向いた6月19日に、どさくさに紛れて、加計学園理事長が地元の記者のみを集めて記者会見を25分間だけ行った。
また、与党は国会の会期を来月22日まで延長してカジノ法案(IR実施法案)の成立、参議院の議員定数増加法案の成立を図ろうとしている。又、文化庁は先進美術館構想として、美術品の販売を多くの文化人が反対する中で促進しようと目論んでいる。

今、世界中で、そして日本国内で生じている上記にあげた多くの問題は、グローバル化した社会において、経済至上主義が推し進められた結果、必然的に生じているにすぎない。

 そこにあるのは、前回のブログでもお話しした経済至上主義による立憲民主主義社会の崩壊、富あるものによる説明責任の否定、社会的弱者の存在の否定に他ならない。

 北朝鮮問題、難民問題含めた現在世界中で生じているあらゆる問題の根源は、経済至上主義による説明責任の否定、立憲民主主義の否定、立憲民主主義国家の崩壊にある。
 アメリカのトランプ、中国の習、ロシアのプーチン、トルコのエルドアン、北朝鮮の金、そして日本の安倍らは、経済至上主義の下で、経済そのものを目的としてしまっている。私たちは、経済を目的ではなく手段とする社会に変革してゆかなければならない。
 そのためには、非常に勇気がいることではあるが、ある程度の富を捨てる覚悟をしなければならない。他者を含めた自然との共存が可能なレベルまでの物質的欲望をコントロールする覚悟が私たち一人一人に求められている。
 それは、日本社会でかつて美徳とされていた「足るを知る」覚悟に他ならない。

  私たちは、決して世界中の社会的弱者からの叫びに、耳を塞いではいけない。
  私たちは、決して現実から目を背けてはならない。
  私たちは、決してキラキラと輝く純粋な瞳の輝きを失ってはならない。
  私たちは、決して思考停止してはならない。
  私たちは、決して愚民であり続けてはならない。

     平成30年6月22日   文責  世界のたま

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