己に徹して人のために生きる~民主主義とは

人が己に徹して生きてゆくことは非常に難しいことだと思う。
特に、現代の経済至上主義の中で、それを実践することはなおさらである。
先日、ハワイにおいて、ミサイルが発射された誤情報が一斉に流され、多くの住民が振り回され、ある者はあわてて建物内に非難し、ある者は愛する人へ愛しているとのメッセージを送信した。
一方で、シリア、イエメンなどでは、何の警告もなく爆弾が投下され、多くの子供を含む人々が逃げまどい、そしてその短い人生を終えている。

トランプ大統領は、北朝鮮、イラン、パレスチナなどを威嚇し、嗾け、それによって、世界中に脅威を煽り、それに便乗する形で多くの国々で、中央集権化、国家主権の強化がなされている。
彼らの目的はただ一つで経済的利益のみである。
国際的には巨大な軍事力、経済力を武器に、ありとあらゆる地下資源、海洋資源の獲得競争が行われている。
国内的には軍需産業の活性化で莫大な需要が生じており、雇用の拡大がなされている。そうした中で、人々はさらなる物質的、金銭的欲望を増大させる。

アラブの春におけるジャスミン革命によって、唯一民主化がうまくいったと思われたチュニジアにおいても経済的格差の中で、政局は混迷を極めてきている。

今、世界を見まわした時、経済至上主義の下での民主主義は成り立ちえないことを私たちは気付いているはずである。

民主主義とは自己実現、自己統治の過程である。
そのためには私たちは己に徹しなければならない。
しかし、経済至上主義の下では、決して己に徹することは困難である。蓋し、経済至上主義の下では、ある者は、更なる経済的利益を求め、ある者は物質的利益を求め続けるしかないからである。

人は、莫大な資産を形成している富あるものは一見、自由であり、彼らに雇われている人々は不自由であると考えやすいが、決してそうではない。どちらも結局、経済的価値という鎖につながれた奴隷にすぎない。

トランプ大統領がアフリカを肥溜めと表現して国際的な問題となっているが、かつて奴隷船で多くの人々を奴隷としてアメリカに連れてきたその感覚が残っているのであろう。だが、実際はどうなのであろう。経済的、物質的な鎖につながれた人生を送っているものと、たとえ、経済的、物質的に豊かではなくても自然の中で、自然と共に生きている人々、どちらが自由なのであろう。

私には、鎖を断ち切って、己に徹したとき、人は真の意味で、自由になり、そうした中で、自然との共存、他者との共存が初めて生まれるのだと思う。
個の中に、全体が見えてくるのだと思う。
己に徹したとき、はじめて人のために生きれるのだと思う。
民主主義とは、己に徹して人のために生きる社会であり、それ以外に、私たちが生きてゆく術は無いことを、私たちは知らなければならない。

私自身、己に徹して人のために生きてゆきたいと思う。

  平成30年1月16日  文責  世界のたま

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