おバカな国民(政治的無知)がもたらすもの(1)

今回のアメリカ大統領選でのトランプ現象がなぜ起きたのかということについて、私は二つの理由があると思う。

一つには以前もイギリスのEU離脱についてのブログの中で述べたことであるがグローバル化の中での国家選択の問題である。

今回のアメリカにおけるトランプ現象は構図的に、イギリスのEU離脱と同じことであり、世界中でこの現象は起きている。フランスでの国民戦線の台頭、ドイツにおけるメルケル首相の急速な支持率低下、フィリピンでのドゥテルテ大統領の台頭、我が国日本においても安倍自民党による一党独裁政権の台頭等々、見えている形は違っても構図としては同じことなのです。

これらの現象がなぜ生じているのかというと、今までのブログの中でも取り上げていることであるが、グローバル化の流れの中で、世界中で生じている格差社会が最たる原因だと私は考えている。

格差社会の中で裕福な者たちによる政治献金、ロビー活動により、正常な議会制民主主義制度が捻じ曲げられ、結果的にグローバル化の流れの中で更なる格差社会を生み出している。格差社会の拡大の中では、国内においてはグローバル化の拒絶、国家主権重視への世論が形成されやすく、国家主権重視については、国家権力もそれを利用して更なる強固な国家権力を求めて国民に対して国家主権重視を煽る。その結果として国家主権が台頭しやすい世界情勢が作り出される。

形は違うにしても現在世界中で起こっていることはそういうことだと私は考えている。その中でもそれぞれの国において、その歴史的背景などにより上記にあげたバランスは微妙に異なっていると思う。

民主主義制度が根付いているEU,アメリカにおいてはグローバル化の否定、すなわちイギリスにおけるEUからの脱退、アメリカにおけるTPPへの加入辞退などがそれにあたるが、民主主義制度と国家主権の関係においては、たとえ形骸化した民主主義制度であったとしても国家主権の暴走を寸でのところで止めることができるのではないかと、この間のそれぞれの国民の反応を見て思っている。

一方、民主主義制度が根付いていない日本やフィリピンでは、グローバル化の流れの中で国家主権が優先される中、民主主義制度がないがしろにされてしまう傾向があり、この間の実際の事実としてもフィリピンにおいては、国際的非難の中、国民の生命、身体の自由への侵害が国家主権の下で強行されている。日本においては特定秘密保護法の強行採決による民主政治にとって欠くことのできない知る権利への侵害、安保関連法の強行採決による平和的生存権への侵害、そして最も看過することが許されない私自身も今年の参議院選挙に立候補して訴えた民主政治の根幹をなす選挙制度の違憲状態があげられる。

そしてトランプ現象が起きている二つ目の理由であるが、このこともこれまでのブログの中で再三訴えていることであるのだが、おバカな国民(有権者)の存在である。

私がここで使っているおバカという言葉であるがこれは一般的な知能、知識という意味で言っているのではない。私が言うおバカな国民とは政治的無知な国民という意味である。前回のブログでも述べたが現在の日本の総理、国務大臣、国会議員もおバカさんだらけであるが、スポーツや経済、お金を稼ぐ能力など政治以外では優秀な人も多いと思う。ただ、残念なことに政治的には無知でおバカなのである。

いつも言っているように、権力者が権力を行使する上で、その手足となる人間は、無批判に何にでも言うことを聞く政治的に無知でおバカな人間でないと困るのだ。

EUから離脱したイギリスでの国民投票の後でも、トランプ現象が生じたアメリカの大統領選の後でも、それぞれの国民が国際ニュースの中で述べていたことで印象に残ったのが、日頃から政治に関心をもっていなければならないことをつくづく感じたという話だった。

そうなのだ、国民投票や選挙に行こうが行くまいが、多くの国民、有権者に通じて言えることは、おバカさんだらけなのだ。政治的な無知な人間だらけなのだ。多くのおバカな政治的な無知な人間が投票し、棄権しているだけなのだ。

アメリカのジョージメイソン大学の教授であるイリア・ソミンがこの政治的無知な有権者の問題が結果的に混とんとした世界情勢を作り出している民主主義制度にとっての大きな脅威となってきている問題であることを投げかけている。

イリア・ソミンは、おバカな国民がおバカであり続ける理由として合理的無知という概念を用いている。例えば有権者の投票行動を考えたとき、世の中が有権者にとってうまくいっていて、多くの有権者がそう思っているときに、敢えて投票に行かないだろう。逆に世の中が有権者にとってうまくいっていないときに自分一人が投票に行ったところで何も変わらないだろうと思い、敢えて投票に行かないだろう。その有権者にとって投票しないことはある意味で合理的なのである。そういった有権者は投票に関わらず、多くの政治的問題においても無知であり続けるであろう。例えば自分一人が自動車をエコカーに変えたところで地球温暖化にほとんど影響がないと考え、何一つ行動を起こさないことと同じことだ。

イリア・ソミンは、おバカな国民が陥りやすい行動として合理的非合理性も挙げている。ある一定の政治的思考を持つおバカな国民は、自分の思考にあった情報を安易に受けいれやすく、そうでないものに関しては無視し、拒絶するというものだ。他者から見て非合理な事実もおバカな国民は難なく受け入れてしまいやすい。私は思うのだが、2000年以降の小泉総理時代からの郵政民営化、ぶっ潰せなどのショートカット化された歯切れのいい訴えに単純に踊らされる国民の多くはおバカな国民であろう。小泉以降も、橋本元大阪知事や、現在の安倍総理にも通じるものがある。ナチス政権下のヒトラーの言葉に踊らされたおバカな国民と同じだ。

これらのおバカな国民のもつ合理的無知、合理的非合理性を、おバカな国民が増えている中で世界中の一部の権力を握り、また握ろうとする人たちがこれらを利用して国家主権のコントロールを図り、その強化をもくろんでいるのが現状であると思われる。

以上のように世界を取り巻くグローバ化の流れと、国民のおバカ現象が相まって世界中で民主主義制度の危機を招いており、とりわけ民主主義の根付いていない日本にとってはその危機は、ほぼ崩壊を意味しており、現実的にここ2~3年で国家の基本法である憲法を否定し、国家権力機関の制限規範である憲法を、主権者たる国民の義務規範にすり替えようとしており、もはや我が国には本来的な意味での憲法は存在しなくなっている。

それを許しているのがおバカで無知な日本国民である私たち一人一人なのだ。

歴史を振り返ったとき、おバカな無知な国民は、ナチス政権下や、東條英機政権下でも存在した。第二次世界大戦という未曽有の大量殺戮が行われたが、現代と比較したとき、二つの大きな相違があると思う。一つには当時は今ほど国民一人一人が直接、バイアスのかかっていない情報を得ることが困難な時代であった。そしてもう一つには最終的に核兵器は使用されてしまったが、現代ほどの高レベルの大量殺戮兵器はなく、基礎をなす地球環境もまだ保たれていた。だから、人類は後戻りができたし、今私たちが存在しえたのだ。

これだけネットなどを通じてバイアスのかかっていない世界の情報を個人が得られる中での無数のおバカな国民の存在、無数に存在する大量殺戮兵器、修復不能になりつつある地球環境

それらを考えたとき、私たちはもう二度と後戻りをすることができないであろう。

   平成28年11月29日    文責  世界のたま

おバカな国民(政治的無知)がもたらすもの(1)」への2件のフィードバック

  1. もうこうなると行くとこまでいかないと世の中は止まらないんでしょうね。ずっと歴史がそうだったから。運よく軽めの何かが起こって(もう十分起こっているような気がしますが)懲りて目覚めてくれればいいですが、あの方々はそれで起きてくれるような生易しい方々ではありませんでした。うすうすそうだとは思っておりましたが、ほとんど地獄への片道列車です。

    1. にょろにょろさん、お便りありがとうございます。
      私は、昔から、潮の香りを感じながら、磯で、岩場の周りを動き回る小さな生物を見ているのが大好きでした。一日中でも飽きませんでした。
      彼らは、ただひたすらに一生懸命に純粋に生きているから
      私も、遠い昔、母親の羊水の中で感じた、進化の過程の源泉を感じられるからだと思う。

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