思考停止社会 ① 大阪府警機動隊員による「土人」発言について思うこと

前回のブログで述べた現代の日本人の思考停止の典型的な一例である。

先日、沖縄での大阪府警機動隊員が基地建設反対派に対しての「土人」発言が社会問題となった。このことに対して、様々な考え方が報道されていたと思う。

その多くは、沖縄県民に対する差別発言であるという意見。それに対しては、反対派が侮辱的な言葉を投げかけた上での発言でありお互い様である。そして府知事の会見では、陳謝されるとともに、機動隊員に対するねぎらいの言葉もかけられていたように思う。

診察の合間に卸業者と話しをしていたとき、この話題になり、彼が機動隊員は権力側であり自らが権力を持っているという相手側と対等ではないという自覚を持ったうえで機動隊員は発言すべきであるということを話されていた。それもなるほどと思う。

私はブログの中でも述べたことがあると思うが、物事は立体的に考えなければならないと思う。

何故、沖縄という地でこう言った発言がなされたのかということだ。日本中で様々な問題に対して抗議デモ、集会がなされている。例えば安保関連法案の強行採決時にも多くの反対派が国会議事堂の周りで連日反対集会を開き、警察官とのやり取りも数多くあったのではないかと思う。また、各地の原発反対運動においても同様なことが起きていたと思う。

そんな中で何故沖縄という地だけでこういった発言問題が起きたのか、私はそこにこそ問題が隠されていると思う。そうした中で、沖縄県出身で元県知事、沖縄戦体験者である太田昌秀氏と元外交官、現在作家の佐藤優氏の対談本で書かれてあることは非常にわかりやすく、実際の事実であり、御紹介しながら私自身の考えを述べたいと思う。

沖縄は明治に琉球処分によって日本に編入され(奪われたという考えもある)、その後第二次世界大戦において多くの沖縄の人たちの命、自由、財産が奪われてしまった。

戦時中において当時の日本政府の中枢、すなわち大本営にとって沖縄は、本土を守るための防波堤、すなわち捨て石にすぎなかった。したがって、九州をはじめ本土各地の航空部隊を温存するため、沖縄空襲をした米軍機を迎え撃とうともしなかった。

当時の県知事であった泉知事にいたっては公用にかこつけて上京したまま二度と沖縄に戻ることもなかったし、部長級の県首脳も警察部長を除き残らず、いわゆる本土(あえて本土という言葉を使いますが)に逃げ帰ってしまった。

男子中学生は鉄血勤皇隊という学校単位で結成して出陣、女子生徒たちは即席の看護教育を受けたたけで準看護要員として日夜傷病兵の看護にあたらされた。しかし、当時の沖縄県下の男女中学校の生徒たちが武装して戦場に出される法的根拠はなかった。10代以上の生徒たちまでが戦場に投入できるとする義勇兵役法が公布されたのは、沖縄の守備隊を指揮していた牛島司令官と長参謀長が自決して、守備隊の組織的抵抗が終焉した1945年6月22日、その当日であった。結果的に男子学生の半数、女子学生の6割が10代の蕾のまま戦死した。もはや誰が見ても勝てる見込みのない敗戦が決まった時期になぜ国は公布する必要があったのか。

敗戦が刻々と迫るそんな中、日本政府は、最高戦争指導会議の場で具体的な和平交渉の要綱を作成したが、その中で固有本土の解釈について、沖縄、小笠原、樺太は捨てることが書かれてあった。日本政府は沖縄を捨てたのである。

一方、集団自決などの悲惨な経過をたどる中、まだ戦時中であったが戦後処理に関する1943年のカイロ会談においてルーズベルト大統領は中国の蒋介石に対して中国が沖縄の返還を要求すれば中国に返還することを提案している。それに対して蒋介石は米中の共同管理下に置いて非軍事化して将来は国際機関に管理を委ねることを伝えた。

結局、アメリカの占領下の中、住民をそれぞれの集落に戻そうとせず、各地の収容所に隔離し、沖縄の大半の土地を占領し、軍事基地に使用した。また、米軍に土地を奪われた農民たちは、一度に500人規模で南米のボリビアに集団移民させられ、住民の対米感情は悪化し、そんな中で日本復帰への思いが強まった。

沖縄の住民は占領下、無権利状態の中で、自治権の拡大、民主化を図り、一つ一つの基本的人権を獲得してきた。本土では民主憲法が上から与えられたのに対して、沖縄では、民衆が自らの手で獲得してきた。それだけに平和と民主主義を基本原理とする現行憲法への執着が強かった。日本復帰の願いは叶えられたが、司法が統治行為論により日本国憲法の適用が躊躇される日米安保条約の下、またしても住民の人権は踏みにじられたままなのである。

戦後まもなく沖縄の在日米軍専用施設は全体の53%だったが、日本が独立したとたんに逆に本土から海兵隊を沖縄に移したために現在の75%に増えてしまった。米軍が北海道への基地移転を提起した際にも当時の町村官房長官が自分の選挙区に移すのは反対だとつぶされたこともあったようだ。実際、政府や与党の政治家、そして本土の国民誰もが、日米安保条約は国益に不可欠であると言いながら、自分たちは一切その負担を引き受けようとしない。

戦後、戦後軍事裁判所はA級戦犯者25人を有罪として、7人の死刑を執行したが朝鮮戦争含む冷戦の中で7人以外の戦犯者を釈放し、戦時中の中核的存在だった現総理安倍さんの祖父である岸信介らの戦争責任を徹底追及することなく要職への復帰を許した。軍事裁判所に対する様々な意見はあるが、国民としての私から見ても明らかに彼らは多くの子供たちを含む日本国民を死に追いやった張本人であり、その責任は大きくそう簡単に許されるものでない。私は、このことが、戦後民主主義を変質させ、現在の孫である愚かでおバカな安倍総理による立憲民主主義制度の破壊、戦争の歴史を繰り返そうとしている行為につながっていることは避けがたい事実であることは間違いないことだと思う。。

敗戦から7年後の1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本国憲法の下、日本は主権が回復したとされた。一方で、沖縄は上記で述べたように日本から切り離され米軍統治で27年間、生命への侵害、女性への性的侵害、土地の侵奪、強制移民など住民の基本的人権を蹂躙され続けた。それは悲しいことに今、現在も続いている。主権が回復されたのは本土であって沖縄ではなかったのだと思う。そして今だもって、回復されているとは私には思えない。

沖縄県民が「屈辱の日」とする4月28日を、戦争責任者である岸信介の孫である安倍総理は「主権回復の日」として祝っている。その歴史認識は上記で述べた沖縄切り捨てそのものである。

私は思う。現政権の間違った歴史認識に基づく、立憲民主主義政治の破壊という事実こそが大阪府警の機動隊員の発言の元凶なのである。今日のニュースの中で警察庁が土人発言について、全国の警察に向けて、人権擁護の徹底の指導を図る指示を出したと伝えているが、全くの茶番である。泥棒が盗みをやめましょうといった類の発言である。政府、警察庁自らが発言させているのだという当事者意識のない、相変わらずおバカな首相、政府の指導の下にある警察庁であることをその発言は露呈している。そんなことでは決して今回のような発言はなくなることはないし、元々彼らは指導する気もないのだと思う。

機動隊員はそれをただ代弁しているだけなのだと思う。そしてそれは物事を立体的にとらえることのできない無知そのものである。

そして、今回問題となった彼の一言は、現在の日本国民の姿、そのものであり、それこそが、歴史を顧みることもしない、贈与を否定し、他者を思いやることのできない思考停止をした私たちを映し出している鏡だと思えてならない。

平成28年10月29日  文責  世界のたま

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