現在の日本政治とナチス政治

特定秘密保護法の議決以降の日本政治の流れを見ているとふとナチスがかつて行っていた政治手法を思い浮かべてしまう。

 

かつてヒットラーが政権を握るため何度も議会の解散を繰り返し、ある意味では国民の選挙疲れの中で多数を勝ち取っていった。

 

昨年度の衆議院解散も結局、安保法含めた国民の反発を見据えて、最高裁での違憲状態の是正判決をも無視し、2年という任期もありながらさらなる4年という任期を得るため行ったのだということは明白である。

 

結局、今回の安保問題もそうであるが、多数の民意を無視した違憲な法律を強行議決するために、違憲状態での選挙を強行するという立憲民主主義のかけらもないナチスが政権を取った過程に酷似してきている。

 

国民のあきらめの中でそれらの政治工程を淡々としてゆくというその核心のない軽薄な政治行為も非常に似通っている。

 

地方に目をやっても莫大な費用をかけて行った、都構想の住民投票結果を、真摯に受け止めることもなく、まだ投票から間がないのにもかかわらず、性懲りもなく自分たちの主張が通るまでごり押ししようとする軽薄な政治行為をし続ける姑息な政治屋もいる。

 

彼らに共通しているのは自分たちの主張が通れば民意であり、民主主義だと叫び、少数者を無視する。彼らには正々堂々と国民と向き合う気持ちはない。

 

国民の反対が予想されれば憲法改正ということから逃げ、法制局長の首を変え、憲法判例解釈を勝手にして、憲法解釈の変更という姑息な手段をとる。

 

政党を私物化して、民意を欺き、姑息な手段で自らの政治的欲望の実現を図る。

 

彼らにとって少数者に対する思いやりは存在しない。

 

立憲民主主義を理解できないものに何一つできることはないことを、彼らは学ぶであろう。

 

2015年9月3日  文責  世界             sign

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です