今なさねばならないこと(2)

今、世界を見渡した時、シリア難民、パレスチナ難民、最近ではイエメン、アフリカ各地の難民、世界いたるところで、多くの子供たちを含む人たちが劣悪の環境下で、祖国を追われている。

夢も希望もなく、ただひたすらその日の命だけのことしか考えることが許されない人たちが増え続けている。

 

地中海を命を懸けて、あるいは騙されて小舟にのってヨーロッパに漂着する人々も増え続けている。

 

ある人々はヨーロッパの地を踏むことも許されず地中海に飲み込まれている。

 

多くの難民が生じている原因は、その多くが内戦含めた戦闘行為によるものです。

 

今までの提言の中で、安全保障について書いたことがありましたが、日々伝えられる世界各地の難民キャンプなどで嘆き、苦しんでいる子供たちを含む人々を見るとき、安全保障のなんたるかを考えさせられる。

 

我が国、日本においても中国、韓国、ロシアとの国境、領土問題やイスラム国などのテロの脅威に対し、日米安全保障を中心とした今後の安全保障をどうするのか、その中で、辺野古問題、憲法9条問題が生じている。

 

それらの様々の世界情勢、世界各国の動きを見て、歴史を振り返って思うことは、何度も愚かなことを繰り返してきた、人間の愚かさだ。

 

そして今、同じことを繰り返そうとしている我が国がそこにある。

 

今まで他の提言でお話したように、いくら軍事力を高めたところでセキュリテイジレンマ、セキュリテイパラドックスを生じてしまい、無駄な時間、予算、労力を使うだけで、全く意味のないことなのです。

 

それらの経験の中で、何故歴史が繰り返されるのか、我が国が繰り返そうとしているのかということを考えた時、その理由は、大きく二つあると思う。

 

一つは軍事産業に代表される資産家の更なる富への欲望に他ならない。そしてそれにまとわりつく寄生虫のような政治家、官僚たちを含めた人たちの権力欲だ。

そしてもう一つは国家、民族など、本来個のための手段でしかない物を目的化する人たちの欲に他ならない。

 

ただこれら二つは、一見二つであっても一つでもある。

 

歴史を振り返ってみるとき、資産家は自らの富を増やすため人々を先導し、政治家、官僚を利用して民族間、国家間の緊張を高めるのが常だからだ。

 

個々の細分化した集団を作ることで、それらの集団間での争いごとを生じさせ、扇動して自分たち資産家への批判、妬みを減弱させ、それらの摩擦を利用してさらなる富の蓄積を図っているのだと思う。

 

人類も自然界の中では単なる一つの種でしかないということを改めて思い知らされる。

 

ある意味で人が殺し合うことは種の保存というヒトの遺伝子に組み込まれた本能であって己で制御できる事象ではないのかもしれないとも思う。

 

ただそれでも私は思うのです。

 

我が国が、私たちが今しなければならないことは武力をもって戦うことではなく、今現在世界各地で命の危険にさらされている難民の人々へ思いをはせることだと思う。

 

日本国憲法9条という強い盾を私たちは持っているのです。

 

私は思うのです。真の安全保障とは人々の戦争、侵略への疑心暗鬼、セキュリテイジレンマを解消することなのです。

 

そのために我が国が第一にしなければならないことは防衛費を兵器などの物に使うのではなく、難民キャンプの子供たちへの教育のために、人のために使うことだと思う。

 

一人でも多くの子供たちを難民認定して、日本国内に受け入れて日本が世界に誇る教育システムの中で、平和教育、民主教育、技術教育を施し、世界へ、祖国に帰してあげることだと思う。

 

真の安全保障とは何なのか。

 

そのために私たちは今、何をなさねばならないのか。

 

2015年4月18日  文責  世界のたま             sign

 

 

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